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草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2017年06月27日
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第 二百四十八 回 目

 今回は、「法華経」そのものについて、可能な限りわかりやすく、平易に解説したいと

考えています。お断りしておきますが、私は仏教の専門の学者ではありませんし、専門の

仏教徒・僧侶でもありません。哲学的な思考を愛する、アマチュアの一人として、ごく

オーソドックスな見解を読者と共に、研究・考察してみたい。そう考えて居りますので、当然に

参考にした文献はございますが、ここでは一応それを省いてご説明させていただきます。

 さて、前半部で 宇宙の統一的真理( 一乗妙法・いちじょうみょうほう ) を明らかにしてい

る。後半部では 久遠・くおん の人格的生命・久遠本佛・ほんぶつ を明らかにしている。更に

もう一つ加える。それは、現実の人間的活動・菩薩行道・ぼさつぎょうどう が強調される部分

である。

  ―― 先回りして申し上げれば、野辺地での私が発起人として始めようと計画している

プロジェクトは、正しくこの 菩薩行道 に分類されるべき行為なのです。


 そして、更に先回りして 私見・草加の爺の立場 を御披露致しますと、私たちは全員が、菩薩

的な可能性を根本の所で具備し、潜在的な能力と資格とを秘めた 非常な善意の萌芽としての生命

体 としてこの世に誕生して来ている。このように断定して憚らない、金輪際、妥協したり、説を

曲げたりは致さない。くどいようですが、倖せへの近道であることだけは間違いがない。


 それでは、順番に「法華経」の概略を説明致します。

 釈迦佛は、まず真理の広大・無量であることを解き明かし、みずから、その中に浸って、瞑想を

する。ついで、眉間の白毫(びゃくごう)より光を放ち、くまなく宇宙万有を照らし出す。これは、

佛が最高・究極の教えを解き明かす前触れであって、遥かな過去においても、同様の事が有ったこ

とを物語りつつ、参集者たちは佛の教えを待ち望む。

 次に、佛は瞑想から立ち上がり、初めに、宇宙の事物の真相(=諸法実相・しょほうじっそう)に

ついて説明をする。


 全てのものは、相(=外なる様相)・性(しよう、=内なる性質)・体(=外相、内性を合わせた全

 体)・力(りき、=潜在的な能力)・作(=顕在的な作用)・因(=ものの生じ、動く直接的原因)・縁

(=因を助ける間接的原因、条件)・果(=因縁によって生じた結果)・報(=結果が事実となって外

に現れ出ること)・本末究竟等(ほんまつくきょうとう、=第一の相から、第九の報まで関係し合い

、一貫している事をいう)の、十個の仕方で生じ、又、動くのだと説く。


 以上を 十如是・じゅうにょぜ と呼び、古来、ものの存在・生起のカテゴリーとして重視

されている。

 つまり、この 十如是 が本末一貫した法として、もろもろの事物にそなわり、それぞれを

支える真理となっている。


 逆に言えば、諸々の事物、ないし、それを支える真理(諸法)の具体的なあり方が、十如是だと

いうことになる。これが即ち、諸法実相である。


 更に言えば、諸々の事物や諸法は、それぞれ独立・固定したものではなく(無我・むが、空・

くう)、又相互に関係し合って(相依・そうえ、縁起・えんぎ)、全体で一を形成している。

 十如是について言えば、Aの持つ十如是とBの持つ十如是とが関係し合っており、更に、C , D 
, E …… のそれぞれの十如是と関係し合っている。この様な関係性は相互に無限に影響を

及ぼし合いながら、遂には 宇宙的な一つの大法 にまで至りつく。


 この様な様相を指して、「法華経」では一乗妙法・いちじょうみょうほう と呼ぶ。一般的に

表現すれば、宇宙の統一的真理である。それは、最高・絶対の真理である故に、妙法と言い、

無上道と称し、諸物・諸法を統合する乗り物として、一乗とか、一佛乗とか呼ぶ。これが又、

佛の最高・究極の教えである。


 佛は、それまで人々の機根(仏の教えを聞いて働き始める、こころの能力のこと)や立場に応じて

二乗とか三乗とか、種々に真理や教えを説いてきたが、今やここに、それらを統合・統一した

最高・絶対の真理が説き明かされる。佛の究極の目的は、実はここにこそあったのだ。


 これに関しては、少し歴史的な解説が必要でしょう。

 釈迦当時、或いは、以後の仏教徒には、釈迦の教えを耳にして、悟りへと向かう者(=声聞・

しょうもん)と、独りで人生・自然の因縁生滅する姿を観察して、悟りへと向かう者(=独覚・ど

くかく、縁覚・えんがく)の二種のタイプ(二乗)が挙げられるが、そのいずれも人生の無常・空

・くう ということから、ニヒリズムに陥り、生きる意義を失ってしまった。


 そこで、西暦前後に到って、現実の中で真理実践に励むグループ(菩薩・ぼさつ)が立ち上がっ

た。そして彼等は仏教改革運動を起こした。そうして、二乗者(小乗仏教徒)の思想を、真理への

小さな乗り物(小乗)と評し、みずからを大乗と称した。特に、二乗者のニヒリズムを強く批判し、

彼等は佛になる可能性を亡くしてしまった、とさえ非難した。


 釈迦の説いた人生の無常・空ということは、そのような虚無的な考え方に落着するものではな

く、実は虚空・こくう の如き 無限・絶対の世界 に導くことにあった。ひいては、人生の

起伏に囚われて苦悩する心が解放され、大いなる喜びと生きる意義が、復活されるものであった。

この道理を明らかにしようとしたのが、すなわち 大乗の菩薩 たちである。

 大乗の菩薩たちは、まず 「 空 」 の原理的解明に努め、それを経典に編集した。かくして

出来上がったものが 『 般若経・はんにゃぎょう 』 である。更に、「空」の積極的な表現

が試みられ、「空」なるところ、そこに 統一的真理(一乗妙法) が見られるとしたのが、すなわ

ち『 法華経 』である。

 この統一的真理の樹立は又、統一的世界観、乃至、統一的人生観の確立ともなった。


 中国天台宗の開祖・智顗(ちぎ、538~597)は、それを受けて 一念三千 という形に

組織づけた。三千という数は次の様にして出てきたもの。―― 宇宙の諸存在は地獄から佛に至る

まで十の階層(十界、悟りと迷いの視点から十種の境界を分けたもの。悟界は、仏界・菩薩ぼさつ

界・縁覚えんがく界・声聞しょうもん界、迷界は、天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地

獄界を言う。そして、この十界は別々に存するのではなく、相関するものとして、十界のいちいち

に又、十界が含まれる(十界互具・じゅっかいごぐ)。その意味では百界となる。

 また、諸存在のそれぞれは、先の説明のごとくに、 十如是の法 によって支えられている。

 このようにして、百界にこの 十如是 をかけると、千という数字が出てくる。

 更には、一つの存在を取り上げてみると、主体(衆生世間)と、それを構成する物心五要素(五陰

・ごおん世間)と環境(国土世間)の三つ(三種世間)が考えられる。この三世間を掛け合わせると、

三千という数になるわけである。


 要するに、「 一念三千 」とは、ミクロ(=極小、一念)の世界と マクロ(極大、三千)の

世界とが統一的真理に貫かれて、相互に密接に関係し合いながら、渾然一体となっている様を、表

現したものであり、更には、極微の 一念 に 三千 の全宇宙が包含され、三千の全宇宙に

極微の一念が透徹している様相を、強調したものである。

 次回も、この続きを行います。





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最終更新日  2017年06月27日 16時04分42秒
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