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草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2017年10月11日
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( 神慮に依る「野辺地ものがたり」の番外に 1 として )




ああ、えつこ、えつこ  あんなにも、こんなにも かついく を、僕の事を

好きだった えつこ、えつこ……

 悦子、とことん 克征を愛して、愛し抜いた 悦子。

 文字通りに 全身全霊を傾けて 克征を愛し続けて呉れた―、その愛の在り様は

少しばかり、常軌を「逸していた」、そう、少しばかり……

 あんなにも、こんなにも、この僕を、克征を愛してくれた悦子は、今はもう地上には

居ない。 ( いや、そうだね、本当はそうでないことを、この克征は良く承知しているよ。

勿論さ。でも、世間の人には通じないから、取り敢えず “永眠した” とか、“此の世から

居なくなった” などと、極く有りきたりな、そして平凡な表現を、ここでは借用しておくよ )


 「天上の愛」とか、「二世を契った愛情」とか人々が呼んでいた感情の意味合いを、ボクは

悦子の臨終間際の 振舞い から、はっきりと、明瞭に、知らされた。ダメを押された。また、

悟らされた…。

 必要があって、先日四十年振りに、東京都新宿区役所の戸籍係を訪れたら( 無論、君が

知っている事は承知さ、悦子、君はもう何時も、ボクと行動を共にしているのだからネ )、

懐かしい思い出の数々が、それこそ走馬灯(廻り燈籠)の様に、脳裏に蘇って来たっけ――

 『 えッ、らっしゃいませ! 何時もの美人が、ご来店下さいました!! 』

 ……ボクらは葵鮨の、いつものカウンター前の席に、並んで座る。悦子、君はさながら女王様

か、映画の大スターの如くに艶然と微笑みながら、若い板さん達に目礼を返す―、楽しかったね、

幸福だったね、君も僕も。「地上の楽園」という言葉が有るけれども、当時の僕等にとっては、

何処でも、どんな場所であっても、忽ちに 地上の楽園 に変化してしまった…、まるで魔法だね、

そうだよ、奇跡だよ、実際の話が……


 ――― ( 地上での役割を終えて、ドクターから死亡診断書を書かれ、谷塚斎場で荼毘に付さ

れた後だというのに、ボクの心は「少しも、悲しみを感じては居ない」のだ ― そう表現したら

嘘になるし、世間の誤解を招くかも知れないネ )

 世間の誤解など、少しも怖くはないさ、悦子も既に十二分に理解してくれているように……

もう「理解」などという面倒な手続きは、一切不要になってしまっている、二人にとって、

( 何故って、えつこ と かついく の間では、肉体の制約は全く意味を持たない物に、

なってしまったから。なにしろ、魂と魂とが直かに触れ合っているのだし、それこそ、固く

ひとつに結び合わされて、文字通りに 完全な結合体 に成長を遂げた、二人の関係だからね )

 だから、二人という表現でさえ、厳密には正しくないのだけれど、もう暫くはこの世の、世間の常

識というものに敬意を表し、それを忠実に踏襲して、便宜的に書くけれど )

 振り返って見れば、
          お互いに随分と苦労に、苦労を重ねたね、相互理解などと一般には

呼び慣わしている事柄に関しては……、お互いに人一倍に 自己主張 が強い ― 通常は

頑固とか、強情とか形容するのだけれども、その上に、生まれ育った場所も環境も、従って周囲の

人間関係の在り方だって、「全然」と言って良い程に異なっていたのだから。そもそも、女性と

男性という根源的な、大きな、大きなギャップ・溝が間に介在していたのだからね、考えて

みれば……。かてて加えて、九歳近い年齢の差・世代間の断絶が横たわってもいた、実際の話が。


 それにしても、悦子、君の「一目惚れ」には、心底吃驚仰天させられたよ。余りにも無謀過ぎ

だよ、無茶苦茶だよ、危険だし、盲蛇に怖じずの蛮勇と言うものじゃないか!? 実際の話がさ。

 実地に体験した、この僕ですらが長年の間、実感が無く、ピンと来ていなかったくらいだから、

周囲の誰一人として、真相を包まずに打ち明けた所で、頭から信じようとはしなかった。それも

無理のない話なので…。

 飛び切りに若くて、美人の悦子に対して、まあ、背丈は百八十センチ近くあったから、強いて言えば

スタイルの良い、頭の切れる三十歳の男が、ゾッコン惚れ込んで、猛烈にアタックを仕掛け、無理矢理

に篭絡した、落とした。そう見るのが普通なのだ、十中の八九、いやいや、十のうちの十までが。

 それにしても、悦子、君の僕に対する 密かな一目惚れ から始まる、夫たる僕への直向きな

献身、大きな愛情の傾注は、実際、常軌を逸していた、としか形容の言葉が見つからない。異様だ

よ、

人間離れしていた、神業だよ。そう、正に神様のなさせ給わ

った行為、その物としか表現の仕様が無い、実際の話が…。

 なにしろ、実の妹や、僕を産んだ母親に対してさえ、強い嫉妬の感情を顕にして、取り乱したり

していた位だから。詰り、それ程に「切ないくらいに」、かついく からの愛情を独り占めに、

独占したかったのだろう、きっと!?

 《 愁ひつつ 岡に登れば 花茨、君 あしたに去りぬ、ゆふべの心 千々に 何ぞ遥かなる、

君を思ふて 岡の辺に行きつ 遊ぶ、岡の辺 なんぞかく悲しき 》 ― 与謝 蕪村 ―

 昨日(平成28年5月3日)、正成(克征と悦子の次男で、今活躍中のアーチスト)と一緒に、君が

こよなく愛した舞子スキー場(新潟県南魚沼市舞子)近くの風景に、接して来たよ。実に、心が

洗われる様に感じた。五月の風が清々しく薫りたち、柔らかな浅緑が目に優しく、えつこ の心に

直接触れるかの如く思われ、静かな感動に包まれていました……。

 そして君が、大自然を、水と緑をこよなく愛して已まなかった、自然の申し子の様な素晴らしい

女性だったことを、今更ながらに思っていました、静かな感動に包まれながら。

 何時だったか、青森県の十和田、奥入瀬の渓流を二人してゆっくりと辿った、あの何とも心

楽しい一日を、今改めて思い出します。― 君が、新婚の際に、少女の頃の大切な 心の秘密 を

初めて語る事として、僕にだけそっと打ち明けた、あの “占い場” へ至る小径は、その折にも

自然災害が原因で、危険なので足を踏み入れることが叶わなかったけれど、あの清冽な渓流の

聖域全体が、あの日は僕等二人だけの「借りきり状態」だった、不思議な事に。さながら、

奥入瀬と十和田湖の女神たちが取って置きの御褒美を、僕等夫婦にプレゼントして下さったかの

如き、観があったね。ほら、思い出すだろう、五十歳に近い中年男が、十代の少年に戻って

しまったかのように、手放しでハシャギまくったっけが。何しろあの超有名な観光地の、あの

名所の場所が、えつこ と かついく 以外には、人っ子ひとり、車の一台すら通らなかったの

だから、不思議と言えば、あんな不思議も珍しさを通り越して、言葉を失う程の現象だった、

本当に。

 「 御主人、この様に素敵で、美人の奥様がいらっしゃって、本当にお幸せでいらっしゃいます

ねって、あの人たちどうして言わないのかしら― 」

 心の底から憤慨に耐え切れない、といった如何にも語気荒く、悦子、君はよく繰り返し言ったもの

だった。新婚時代から始まり、もう既に新婚などとはとても言えないくらいに、時間が経過した

頃まで、夫婦二人しての夜のデート。若いサラリーマンのカップルとしては少々贅沢な高級店ばかり、

ビールなどを飲みながら、楽しい食事をし、とりとめの無い会話を交わしている折に、決まって

判でも押したように、

 「 奥様、本当にお幸せでいらっしゃいますね、このようにお優しい御主人様がいらっしゃって… 」と、

カウンターの中のお店の主人か、メインの料理人などが、異口同音に投げかけてきた、感嘆と称賛の

言葉に対する、君の偽らざる感想であり、お腹の中で返事していた、強い抗議の言葉であり、率直な

感情だった。それでも、お店の中に居る間は、何事も無かった如くに、穏やかに、又、にこやかに

表情を保っていた君が、その店を一歩出るが早いか、もう我慢の限界だと言わぬばかりに、口から

投げ出した 決まり文句 が、「あの人たち云々…」のセリフだった。

 僕の方は、最初のうちは君が何について言っているのか、直ぐには理解が出来ずに、戸惑ったり

していたものだが、何度も同様の体験を重ねる内に、ああ、あの事か、と見当がつくように訓練

されていたよ、仕舞いには。すると又、君は、「 あなたはズルい、お店の人たちに、ああいう科

白を言わせる目的で、ずっと演技していたのだわ、きっと…… 」

 これを聞いて、僕の方は開いた口が塞がらない思い、だった、実際。いくら当時の僕が、俳優

やら芸能人に近い場所に居たからといって、君が言う様な 高級な芸当 は、殊の外に不器用で

野暮天な僕には、そんな洒落て気の利いたアイディアなど、思案のほかだったし、万が一にも

そんな事を考えついて実行しようにも、思っただけで、実行は不可能な行動だった、天から。

それは君の買い被り過ぎというものだったよ……。

 それにしても、君は僕の事を、実際、必要以上に理想化し、過度に美化して考えていた節が

ある、今にして思えば。

 こんな事があった。悦子が珍しく、自分を謙遜してみせて、「 私の手の指、短くて、恰好が

悪いでしょ 」と言い、更に言葉を継いで、「 あなたのは、長くて、形も立派だし…… 」と付

け加えた。

「そんなこと無いよ、あなたの方がずっと形がいいよ」と、君の目の前に、両手を広げて見せた。

すると君は、じっと僕の余り形の良くはない、手の指を時間をかけて見守ってから、実に意外

そうな顔をしたっけ。一事が万事、惚れた目で見りゃアバタもエクボ、立ち小便も金のステッキ、

と昔の人が表現した如くに、どうした訣なのか、原因はよく分からないけれど、出会い頭に一撃で

僕にいかれて、一目惚れしてしまったらしい君は、それ以後、克征のする事為す事の全部を、まる



魔法のヴェールが掛けられた様に、途轍もなく素晴らしく、魅力溢れるチャーミングな物として

受け止め続けていたのかも、知れない。 ( 実に、お気の毒様!!としか、現在の僕には表現の

しようもないのだが… ) ― 最初に掛けられた魔法は、生涯、解けた形跡は無かった、確かに

……、幸か不幸か……。そして、悦子は人生の終わりに臨んで( 現代医学の精髄を極めた、最先端の

医療と、日本屈指と定評のある著名な霊能者のエネルギーと、悦子が折り有る毎に頼りにし全幅の

信頼を寄せていた 七戸の神様 の庇護に加え、有難い浅草寺の観世音菩薩のお慈悲を忝なくした

揚げ句の、延命治療拒否の決断後に )、“ 思い残すことは、何もない ” と、そう断言して憚

らなかった。

 莞爾として微笑みながら言い切ったし、その大空の様に澄み切った表情には、一片の雲の翳りも

感じられなかった―、真に あっぱれ としか言いようも無い。

 ……… 考えれば、考えるほどに、不思議さが増加する「不可解なる現象」の連続だった、悦子

、君と共に過ごした日々、時間、一瞬一瞬が、悉く。

 事が起こっていた当時には、少しも違和感を覚えず、むしろ当然過ぎる事柄が生起していると、

当たり前の如くに受け止めていたのだが、そして又、今も不思議や小奇跡・ミラクルマターは

頻繁に発生を続けて止まない、当たり前の様に、日々に続いているのだ……

 これはやはり尋常一様な現象では有り得ないね、なんど考え直しても。幾度となく頬っぺを

抓り直しても…。

 悦子と結び合わされた瞬間から、非日常的な、だから、地球上では想像不可能な不思議が、

極く普通の物として、連続して、途切れることなく、続いているわけだし――、君も僕も

謂わば無我夢中で、恰も「夢の中で夢を見ている」ようだし、しかもきわめてリアルであり、

これ以外には在り得ない現実感を、伴ってもいた。

 だから、例の青森のねぶた祭りの日の夜更けに遭遇した「女性の幽霊」にしても、金町に住んで

いた頃、スナックからの帰りに一緒に目撃することになった、巨大なオレンジ色の UFO に

しても、ほんの付録にしか過ぎないエピソードなのさ、実際の話が。

 今、僕の生涯で何度目か、はっきり分からないけれど、夏目漱石全集を読み返している。

漱石の言う「恐れない女」と「恐れる男」の表現を、今更ながら、自分自身の身に

引き比べている。勿論、大いに恐れる男としての克征と、恐れずに、臆せずにどんどん

行動する、少しも恐れを知らない悦子と、捉え直して見ながら…。

 恐れない女の悦子は、この僕・克征に対した時に最もその本質を発揮した様に、思う。

大体において、積極的で、非常に行動的ではあっても、通常の意味では用心深かったし、

警戒すべき対象に対しては、それなりに「恐れる事を知っていた」のだから、悦子の総体を

捉えて「恐れない女」と言うレッテルを貼るのは、全くの的外れと言わざるを得ないのだが。

事が、克征の事となると、俄かに何も恐れなくなってしまう。そうとしか解釈のしようが

ないのだ。実際の話が…。

 今、突然にフラッシュの様に浮かんできたワンシーンがある。 ― 「お父さん、素敵!」

、そう言って僕のカラオケで歌う姿を、手放しで賞賛している君の、実に無邪気で、倖せ

そのものと言った表情と声が、つい昨日の出来事のように蘇ってくる…。そう、悦子は

何時だって手放しだった、僕に

関するする事柄では。実際、呆れてしまうほどに、あっけらかんと

手放し状態だった。実に、信じられないくらいに。

 思うに君は、無意識の裡に克征を「教育」していた。純粋にして、天真爛漫な楽天家振りを

遺憾無く発揮しつつ…。純粋にして、無償の愛情こそが、偉大なる教育者の唯一の資質だと

でも、主張するかの如くに。知らぬ間に、僕を 最良のティーチャーに仕上げてしまった。

そして、人生に対してちゃらんぽらんだった僕に、明確にして一筋に太い、ド性骨を

植え付けてくれていた、人生の道筋を、立派な、堂々たる目標・目的を与えて呉れていた。

人間業とは思えない、見事な手際で以て、無尽蔵な愛情という手段だけを、巧みに行使

してね。実に、感嘆の一語に尽きるのですよ、実際のところが。







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最終更新日  2017年11月15日 13時27分20秒
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