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草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2018年01月22日
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第 二百八十五 回 目

  「 庶民の視点から読む 万葉集 」 ―― その第 二章


 父母(とちはは)え 斎(いは)ひて待たね 筑紫なる 水漬(みづ)く白玉 取りて來までに

(― お父さん、お母さん、そんなにも悲しまないで下さい。私は必ず元気な姿で国に帰って参り

ますので。それでも子供の身が案じられるでしょうから、村の鎮守の神様に鄭重にお供え物を致

し、私の安寧と無事とを祈願して下さい。私は必ず健勝で、地の果てにある筑紫の海の珠玉・真珠

をお土産にして、意気揚々と帰郷致す所存で居りますので。どうぞ、お力落としをなされて、病気

などなさりませんよう、御機嫌よう日々を御暮し下さいませ、どうぞ!)


 忘らむて 野行き山行き 我(われ)來(く)れど 我が父母は 忘れせぬかも(― いくつも

の野原を過ぎ、多くの山を越えて、私は父母の事を忘れようと努めてきた。けれども、どうしても

忘れることなど出来はしない。長い長い旅に旅を重ねて行けば行くほど、懐かしく、有難い父親と

母親の存在が脳裏を片時も離れず、益々望郷の思いが激しくなって行く…。それも無理のない事で

はないか、生まれてこの方私は慈しみ深い父親と、限りなく優しかった母親の無限の愛情にくるま

れて、健やかに伸び伸びとこの世での生を、心行くまでエンジョイすることが可能だったのだから

……)


 吾妹子(わぎめこ)と 二人わが見し うち寄(え)する 駿河の嶺(ね)らは 戀(くふ)し

くめあるか(― この世で最愛の愛しい妻とかつて一緒に眺めた駿河の山々。美しく、清らかな波

が穏やかに、やさしく打ち寄せて止まない海岸が印象的だった。目に焼き付いている絶景と共に、

我ら夫婦の心の天国、理想の世界。それを象徴する清浄極まりない山容と共に、永遠に生き続ける

美しい妻との感激の恋…、生きる喜び、感動、感謝、感激!)


 父母が 頭(かしら)かき撫で 幸(さ)くあれて いひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる(

― 故郷の父母が国を出発する際に、私の頭をあたかも幼い子供にそうする如く、優しく、優しく

撫でたり擦ったりしながら、どのような場合でも安穏で健やかに、御暮らしなさいねと前途を

案じて、祝福して下さった最後の言葉が、耳についていて忘れることが出来ない。愛情たっぷりな

両親の真情から発せられた、何気ない、普通の言葉なのですが、今しみじみと心の中で、何度とな

く繰り返し思い出されてならない。私は両親から真実、溢れるような多大な愛情に包まれて、生い

育って来た幸福を、勿体無く、極めて有難い事だったのだと、只管に感じ続けている毎日でありま

す。だから、何が何でも、石に齧りついてでも健勝でいて、両親と再会を果たさなければならない

のだ。何が何でも、是が非でも…。それにしても、もう一目でもよいからご両親に、お目にかかり

たいものだ、たった一目でを)


 百隈(ももくま)の 道は來にしを また更に 八十島過ぎて 別れか行かむ(― 思えば遥か

遠くにまでやって来たものだ。陸路では果てしもなく曲がりくねった山坂を経過し、更にまた

海路でも無数の島々を過ぎ越して、命がけの旅を重ね、重ねして地の果てにまで、たどり着かなく

てはならない。そして、その果てには困難極まりない義務としての、公務としての任務が厳然と

して待ち設けている。明日の命さえ保証されていない、厳しく、困難至極な生活を耐え忍んで、

是が非でも、生きながらえなければ、この世に生を享けた甲斐も無いというもの。何としても

生き永らえなければ、生きて在らねば…。いつもいつも、そう心の中で念じながら、私は現在困難

な時間に立ち向かっている)


 旅衣(たびころも) 八重着重ねて 寝(い)ぬれども なほ膚(はだ)寒し 妹(いも)にし

あらねば(― ああ、今夜で旅立ってから何日目の夜を迎えることか。兎に角も多くの日数を

重ねて来たことである。その多くの日数ではないけれども、夜着を十分過ぎるほどに数多く重ねて

着て寝るのであるけれども、肌寒い感じは一向に無くならない。いや、それどころか、夜の衣を

重ねて着れば着る程に、肌寒い思いは増していくばかりなのだ。だって、考えても御覧なさい。

家にいた時には毎夜、片時も離れてなど寝なかった愛しい、愛しい恋人たる最愛の妻が、美しく

優しいベターハーフが欠けていて、此処には居ないのだから、ねえ。旅の日数を重ねる毎に、心は

寒々しさを、空しい空虚な飢渇感を強めるばかりで、この欠乏を埋める術など、どこにも有りは

しないのだ。ああ、愛しの妻に、温かく柔らかい美人の心に、すっぽりとくるまれたいものだ。妻

だって、今の私と全く同様に、閨(ねや)の空虚さに耐えかねているに相違ない。ああ、空しさの

極みだ、寂しさの極限だ…)


 大君の 命(みこと)かしこみ 出で來れば 吾(わ)ぬ取り著(つ)きて 言いし子なはも(

― 大和の国を御支配なさって居られる偉大なる王様の厳命を承って、九州方面の辺境防備の任務

に就くべく生まれた村を離れて、勇んで旅に出て来たのであったが、別れの折に父親である私の

着物の袖に泣きながら取り付いて、さんざんに別離の言葉を掻き口説いた、愛しくも哀れな子供

よ。あの時の印象深い姿と声が、今でもありありと心に焼き付いて残っている。あの子供は、今頃

どうしているだろうか、無事で毎日を送っているだろうか…。心配で、気懸りで、心の休まる時が

ないのだ。ああ、吾子よ、いとし子よ、いついつまでも健康で、無事であってくれよ。神様に捧げ

る弱くみじめな父親の心の底からの願いを、最後の僅かな望みを、どうか叶えてやっては下さらな

いでしょうか、どうぞ…)


 ―― こうして見てくると、千年以上前にも死を覚悟しなければならない、辛く切ない別れに

際しては、父や母、妻や子供、つまり身近に生活する家族の存在こそ、私たち一般庶民の毎日を

支えていた。生き甲斐を形成していた。そうした切実にして真実な、生きた血の通い合った情愛の

深く、そしてまた強固な絆が、生きる力の源泉に存在した。確固としてあった。夫婦の愛情、親と

子の結びつき、これこそが人間関係の基本なのだと、素直に首肯出来ますね。

 シンプルにして素朴な原理・原則。高遠にして広大な理想も、身近な、ぬくもりの感じられる

自己との強い結びつきの中から、自ずから発している。自然に、無理なく始まっている。この事実

を改めて各自がしっかりと確認しよう。そして、しっかりと大地に両足を着けたスタンスを、どの

様な場合でも忘れないでいたい。そう、しみじみと思うのでありました。





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最終更新日  2018年01月22日 21時52分28秒
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