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第 三百十三 回 目
今回は “捕らぬ狸の皮算用” とも言われかねない、今回のプロジェクト、乃至、ミッションのゴー ル・目標・理想形に至る「青写真」について述べることに致します。 現段階で今回の試みの全体像を朧げながらでも把握出来ている人間は、草加の爺・私一人なのですし、 「セリフ劇」という言葉の表現し意味している所を、アバウトな形にしろ大体にした所で、理解したり 説明できるのは世の中広しと言えども、やはり私だけなのですから、どうしても大略や大体の掴みだけで も先ず、出来るだけ分かりやすい言葉、表現で解説しておく義務が、私には課せられている。かように 自覚致しましたので、その必要にして不可欠の責務を果たそうと思うのです。 先ず第一に最終的なステージに達した理想の演劇都市としての野辺地の町をイメージしてみましょう。 外観については私には正直、殆どイメージが湧かない。と言うよりは関心が薄い。と、申しますのも それに関しては土地の御方、町民自身に精一杯夢を膨らませて、様々に思い描いて頂くのが筋というもの と、謙虚に御譲りしたいと愚考致して居ります、実の所は。 私の責任と言いますか、任務の最大の関心事は謂わば町の内面、土地のスピリット・魂の在り方に全部 が全部注がれている、それだけで手一杯と言った状況でありますね。ですから、それに関しては目一杯に 夢なりイメージは膨らむ。膨らんで膨らんで際限がない程。 つまり、町に住む方々の活気・活力に溢れた旺盛な生命力と活力・エネルギーに関して、ほとんど無限 大に発展・進展を遂げて頂きたいと、心底から念願して止まないからでありますよ。 更には、町の外、国の内外から訪れて来る客人・ゲストたちの姿が、にこやかな笑顔と共にやって来 て、更なる幸福感に包まれては一杯の笑顔で去っていく客人たちの、何とも楽し気な満面の笑みが、次か ら次へと浮かんで参ります、はい。その素敵この上ないイメージが。 狂人の戯言などと、どうか笑わないで下さい。この様な愉快で楽しいイメージが湧くこと自体が、既に して恵まれた非常にハッピーな事ではありませんか…。それにこれは言ってみれば、論理的な必然に基づ いた本当に手堅い、堅実極まりない確信と呼ぶべきもの、なのでありますからして。 もてなし・ホスピタリティーとエンターテインメント・演劇、人類初の本格セリフ劇の町、野辺地。 心と身体のリラクゼーションを全部の訪問者に間違いなく齎す、海と山と川、そして人々が調和して生 き、旅人を満足させ、十全な癒しを提供する奇跡の土地。 演劇や芝居と言えば劇場という既成概念が牢固として、抜き難く存在します。私・草加の爺が提唱する それには必ずしも大劇場の施設や、大掛かりな舞台装置などは必要としません。ただ最小限必要なのは、 観客と手当てする側としての役者・俳優だけであります。極めてシンプルそのもの、舞台などは何処でも 構わない。民家の居間であっても、商店の店内や店先、オフィスの応接間や会議室、神社や寺院の広間、 幼稚園や学校の教室、老人ホームなどのホール、病院の待合室、町役場や公民館のオープンスペース、 等など場所の候補は無限であります。更に、天候や気温条件さえ整えば道路上、空き地、野原、海岸や 山の中、船の上なども利用可ですから、舞台として成立する諸条件さえOKであれば、場所的には十分に 可能でありますね、実際上は。 そして、特別な劇場が要らないだけではありませんで、此処に来るのは心の治療や癒しでありますか ら、手ぶらで心と身体だけを運んで来ればよい。必要な物はそれだけですよ。一人でも結構ですし、仲間 や家族連れであれば尚さら結構。一回きりでもよいし、リピーターになって常連客として訪問するのも 大歓迎。素晴らしい自然と、ホスピタリティー精神の塊のような人々が町ぐるみで大歓迎してくれること 請け合いですよ、間違いない。 単に見たり、聞いたり、眺めたりするのではなく、みずから親しく 体験 する場であり、チャンスで あり、時間を共有するモメント・契機。一緒に、信頼し合って…。 それに加えて、目的が営業利益・マンモン・金銭ではなくて、純粋に世の為他人の為なので、出張公演 ならぬ出張治療としてのハートウォーミングなパフォーマンスを、何時でも、何処ででも行う用意が常に 出来ている。無論、原則は無料奉仕ですが、寄付や活動の拡張や発展を支援する資金カンパは、どの様な 形であっても大歓迎ですよ、衷心より感謝いたしますね。 円やかで、柔和で、優しくて、それでいて元気溌剌にして旺盛・活発な人々で溢れかえるような活況 を呈しておりますので、例えば「誰でもよいから、殺してやりたかった」などと言う、不心得者は断じて 金輪際、出て来はしない。誰もが自然に笑顔が零れ、晴れやかな表情に覆われる。平和で、静かで、自ず から身内に生きてエンジョイしようという意欲が満ち満ちて、お互いにハグしたり、肩を抱き合ったり、 信頼の目で見つめ合ったり、黙って黙礼したりしながら、誰もが一人残らず生命の賛歌を知らず知らずに 口ずさんでいる。そうした心の、魂の桃源郷・ユートピアが巧まずして到来している。その様な図をイ メージしてみて下さい。 ぎすぎすして、怖い程にとげとげしい今の現実とは真逆な世の中。どうですか、信じられませんか? 体験主体の科白劇が将来する未来は、言葉の真の意味の革新であり、革命でありました。 非常に地味で、堅実で手固いひとつ一つの好意・善意を内包した小さな行為が、途轍もなく壮大な夢に 満ち溢れた未来を手繰り寄せ、確実に構築する。それは、あなたの今日の音読から、あなたの明日のセリ フ発声から生まれる。誕生が約束される、間違いなく…。 本当に、心の底から「生きていてよかった!」と私たちの誰もが実感できる。そういう意味での地上 での理想の社会の実現・到来。それが野辺地の町から、野辺地の町の住人によって、野辺地の町の善良な る人々の手によって、スタートが、記念すべき第一歩が切られる。着手され、奨励され、拡大する。 大きく輪を描くように周囲に広がる。平安と幸福の輪・和が実を結ぶ。胸がわくわくし、期待が膨らむ ではありませんか。 どこかの国で、地球上の普通の基準とは異なる尺度で、世界一幸福度の高い国、と言った表現を使用し て、独自の文化的な価値を主張する生き方が奨励されていると、仄聞します。 戦後の日本国は確かに、奇跡の復興を遂げ、世界に冠たる大経済大国に発展した。現在も色々と困難 極まる諸懸案を抱えては居りますものの、経済的な豊かさを唯一の特色とする国柄である事実に、変わり はありません。政治家や著名な識者たちの言動を見聞きしていますと、無果てぬ夢を飽くまでも追及する のが我が国に残された、ただ一つの道であるかの如き錯覚に陥ります。 果たして、それだけでよいのでしょうか? 私たち一人一人が胸に手をしっかりと置いて、とことん 考えてみなければならない、非常に重要で大切な問題でありますよ。 昨今の修正資本主義も致命的な欠陥を、グロテスクなくらいに衆目にさらしつつあります。これから は、隠れた文化立国の真のトップランナーとして、「神国、日本」がその確かなプレゼンスを地球上の全 世界に向けて、その底力を遺憾なく発揮すべき時なのであります、間違いなく! 私たち日本人は、観念的には「民主主義」という思想なり制度を理解してはいるのですが、いまだにこ れを日常的な行動で示し、表現出来る程には自家薬籠中のものとは、出来ていないようであります。上意 下達と言いますか、兎角、政府とか地方行政機関とかの意向を受けての、極めて受動的で消極的な姿勢を 取ることが多いようであります。 率先して自らの問題に取り組み、主体的にこれを解決して行く意志や気構えにおいて、欠ける所が大で あるようです。が、根は祖父・祖母伝来の極めて優秀な素質を例外なく受け継いで居りますので、ここぞ と言うときには意想外の大きな力を遺憾なく発揮する、潜在力・ポテンシャルの持主ばかりである筈。 ほんの少しだけ、いつもより頑張りをみせて、町の為、地域の振興に向けて持てる力の全てを、発揮 しようではありませんか。不肖わたくしも、善意の協力者として最大限のお力添えを致したいと、本心か ら考えて居ります故、どうぞ存分に活用・利用して頂けるならば、これに過ぎる倖せは御座居ません。 尚、蛇足めいて聞こえるかも知れませんが、このプロジェクトに掛かる必要経費は、無限にゼロに近い と言ってよい。大半が町民の善意に基づく手弁当・無料奉仕から始まるから。無論のことですが、言い出 しっぺの私の方も最初から同様です。そして、或る段階から、それは音読の励行活動期を経て、或る程度 読み聞かせのパフォーマンスが野辺地の町起こしに有効であるとの認知が、人々の間に浸透した時に は、一回のパフォーマンスにつき活動応援金の名目で、参加者おひとり様当たりで一口一円を頂戴する 仕組みを、あらかじめ組み込んで置くことを活動の永続性を保証するものとして、最初から提案しておき たいと考えます。 いくらこのプロジェクトが収益や金銭獲得が目的ではないと申しましても、いつまでも活動主体者の 善意と努力だけに頼りっきりにするのは、現行の資本主義経済体制のもとでは成立しないからでありま す。一種の独立採算制度をどうしても取り入れて、事業の永続性を図らねばなりません。 もう少し活動の質が高まって、更に娯楽やエンターテインメントの一種としての認知度がグレイドアッ プすれば、入場料ならぬ公演参加費としてなにがしかの料金を徴収する事に、なるでしょうが、極力 廉価・低料金に抑えて置く必要もあるでしょう。この頃からは経費や活動の一部を町役場から補助して 頂くことも、視野に置いておくことも考えたい。 そして、いよいよユニークな特色を持つ「セリフ劇のプロ集団」の設立、立ち上げを目指す段階を迎え た際には( 人々の努力と工夫如何では、これは意外と早い時期に到来するかも知れません )、町だけ では無くて県や、それこそ国からの協力・支援を仰ぐことも視野に入れておきたいもの。 但しこの措置は、世間一般の関心や注目を集める広報・宣伝効果を狙う手段であって、それらが無くて は活動が存続できないと言うのでは、断じてありません。ゲストとして迎える( 患者? = ストレス を抱えた被治癒対象者、乃至は候補 )は数えきれないほど世の中にはいますので、効果が抜群の「治療 者・癒しのプロ」集団が確実に居ると分かれれば、町は活況を呈することは間違いないのですからね。 ( 次回に、続きます ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年06月19日 10時57分20秒
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