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第 三百七十八 回 目
劇 映 画 『 ビッグチャレンジ! 』 その 五 (77) 南亜モーター販売・研修室 三十歳を少し過ぎたばかりと思われる年若い女性・新谷春子と一太郎が二人きりで、少し広めの 研修室に居る。 春子「最初にも申し上げましたように、営業には極意とか、奥の手とか言った、何か特別な物、秘密 めかしたものなどは一切ないと、私は思って居ります」 一太郎「でも、私のように何時まで経っても一向に上達しない者と、貴女様の様にお若いのに、他人 から 名人 と評される人が出て来る。それは一体どのような理由に依るのでしょうか? 是非とも、 そこの所をお教え頂きたいのですが…」 春子「(優しい笑みを浮かべながら)商売には必ず人と人との交流が介在します。商品やサービスを 提供する側と、それを受ける側とです。(傍らのホワイトボードに、随時板書しながら)売り手である 私達セールスマンは、徹頭徹尾、御客様と真正面から向き合う努力が求められています。誠心誠意、顧客 の意向・心を汲み取り、受け取り、全面的に受け入れる。セールスに秘訣のようなものがあるとすれば、 以上のことに尽きるのだと、私は思って居ります」 一太郎「しかし、商品を売らなければなりませんね」 春子「勿論です」 一太郎「商品を売ってなんぼの世界ですね」 春子「仰る通りです。私も最初の頃は、つまり商品を売ることしか頭にはありませんでした」 一太郎「はい……」 春子「商品を首尾よく売ると言う事は、飽くまでも結果です。商品を売ろう、売ろうと焦りますと その事だけに意識が集中してしまいます。売り手の努力が謂わば空回りして、お客様の心が離れてしまう ――」 一太郎「(思い当たる節が大いにある)はい、その通りだと思います」 春子「一般論で考えてみましても、目標というものは――、目標というものを、そうですね、抽象化 して 夢 とか 理想 と言う風に置き換えて、考えてみるのも良いかもしれませんね。目標とか夢と か、或いはまた理想などと呼ばれるものは、現在ただ今の行動を、よりよくスムースに押し進め、また自 分の意欲やモチベーションを高める為の、言ってみれば梃子(てこ)の支点の役割を果たすものです。 その支点の為に現在の行動が邪魔されたり、或いは意欲が疎外されるとしたら、そのような目標や夢、理 想は無い方がずっとよい事になります」 一太郎、大きく頷いている。 一太郎「お客の心を掴むことだけに意識を集中させる事が、一番大切なのですね」 春子「(ニッコリとして)その通りです」 ――― 時間経過 新谷春子の指導で、営業販売のロールプレイの演習が実施されている。少し離れた場所から、メモな どを取りながら熱心にオブザーブしている一太郎。 ―― 時間経過 。 演習終了後のフィードバックの意見交換が、春子を中心に行われている。一太郎の順番が来た。 一太郎「皆さんの実に熱心な講習振りに、感動致して居ります。これからも学ばなければならない事 柄、また反省しなければならない点、様々あると気付きました。本当に、本日は貴重な体験をさせて頂き ました」、深々と頭を下げる一太郎である。 (78) スナック(夜) 講師の春子を囲んでの、今日行われた講習会の反省を兼ねた親睦の会が行われている。と、言っても 無礼講で、フリートークの宴会なのであるが……。春子の隣には、まだ緊張した面持ちの一太郎も居る。 春子「営業の神髄は、物やサービスを売るのではない。自分という人間を売るのだ。これが、私自身が 師と仰ぐ方から教えられた事です。その為には、自分を磨くしかない。それも各自が、銘々の流儀で、で あります」 一太郎「自分を、磨く……、ですか?」 春子「ええ、日本さんの場合は、特に御自分に対して自信を持つことが、必要なのではないでしょう か、結局の所は」 一太郎「自分に自信が持てる要素が、何もないのです。今までに何をやっても、失敗と挫折の連続でし たから」 春子「私も同じです。今でも、失敗やミスばかり重ねています。いえ、決して謙遜などではありませ ん」 一太郎「営業の神様と呼ばれているお人が、ですか?」 一太郎には全く解せないのであった。 春子「人様はお世辞半分に、私を褒めて下さいますが。自分では満足出来たことなどこれまでに、只の 一度もないのです。どのように説明したらよいのか、いつも説明に窮してしまうのですが…。要するに、 よい意味での開き直りなのです、必要なのは。自分には目下の所ではこれまでしかできませんので、どう かお許し下さいと心の中で両手を合わせる。その上で、最大限の誠意を尽くしてみる。すると、不思議 なのですが、自然と道が開けたりするのです。ですから、決して私の手柄などではないわけです」 少し酔いが回り始めているが、一心に耳を傾けている一太郎。 一太郎「自然と道が開けてくる。謂わば、人事を尽くし切ったからですね」 春子は少し照れたように、 春子「人事を尽くそうと努力し、精進している、修行半ばの身ですわ」 一太郎「素晴らしい。一つ一つのお言葉が身に染みて、感銘を受けます」 春子「それこそ 殺し文句 ですワ。その調子です、日本さん」 顔を見合わせて、心の底から愉快そうに笑う二人である。やがて、春子が目顔で一太郎に、カウン ターの中のバーテンダーの存在に注意を促した。彼は客とはカウンターを挟んだ向こう側に居て、終始 無言に近いままで接客している。カクテルを作り、レモンの薄切りを入れただけの冷水を差し出して、 客たちに接しているだけのようだが、そのさりげない仕草の全てが、見る者が見れば、いわば「名人芸」 なのだと知れる。 ―― 時間経過 マイクを手にカラオケで歌う者もあり、スナックの中全体が一つに融和して、盛り上がりを見せてい る。と、止まり木の傍らで一人黙々と飲んでいた一人の客が、一太郎に語り掛けて来た。 客「あなたは、カラオケ謡わないのですか」 一太郎「僕は音痴ですから…」 見ると、相手は派手に女装した男である。 おかま「カラオケって音痴とか、歌が上手だとかは関係ないみたい」 一太郎「そうですか?」 おかま「私なんか声が良すぎるし、プロ並みの歌唱力だって、逆にギャラリーから嫌われるみたい」 一太郎「是非、一曲お願いします」 相手は上機嫌で、哀しい女心を吐露する曲(例えば「雨に咲く花」とか「恋人よ」など)を歌い始め るが、ド下手である。しかし、本人は陶酔し切っている。始め妙に白けたような雰囲気が広がった後、 俄然、客たちの心が一つになり、和やかな空気が漂っている。時々、拍手なども起こる。じっとその様 子を見守っていた一太郎の心の中で、何かが突然弾けた――。 (79) 前の辻待ち易者の所(同じ夜) 一太郎が来ている。 易者「他人の事や未来が、そんなに解るなら、自分の事を占って幸せになったら。人はよくそんな風に 言うのです。しかし、そう上手くは行かないのです」 一太郎「何故ですか? 自分の事は自分が一番よく理解している筈じゃ、ありませんか…」 易者「一面の真理ですな、それは」 一太郎「一面ですか」 易者「左様です。貴男、ご自分の顔を見ることが出来ますか?」 一太郎「鏡を使えば、簡単に見られると思いますが」 易者「それが落とし穴なのです」 一太郎「落とし穴。どんな意味ですか」 易者「小学生でも知っている原理です。即ち、鏡に写っているのは左右が逆の虚像。しかも、己惚れ鏡 には美人やハンサムに、安物には冴えない表情や、醜い面相が浮かんだりします。そうでしょう」 一太郎「確かに、その通りかも知れません」 易者「当たるも八卦、当たらぬも八卦と言います。易学は古代中国の知識の集大成です。それは、要す るにシルクロードなどを通して古代オリエントの学問も取り込んだ、いわば人類の叡智の結晶と言える物 である。しかしながら、解釈学である以上は、どうしても人間の感情や気分などの、不純物が介在する事 になってしまう」 一太郎「成程、そうですか…」 易者「俗にも、岡目八目と言いますな。当事者よりも第三者の方が、冷静で正しい判断が出来る道理 を、簡明に表現したものです。それに、もう一つ――」 一太郎「もう一つ、ですか?」 易者「左様です。人には元来がプレイヤー型とアドバイザー型と二種類のタイプがあるのです。さしず め貴君などはプレイヤー型の代表のようなお人です。ただ、あなたの場合は」 一太郎「(相手の言葉を遮って)私の場合…」 易者「迷いに迷っていましたな」 一太郎「はい、仰る通りです。今でも迷いの中に居ることに、変わりはありません。どうしたら宜しい のでしょうか?」 易者「迷いの雲は、払うしかありません。ご自分の人生です。自分自身の意志で決断し、それを実行す るだけです。断固として実行する。それのみです。結果を恐れてはなりません」 一太郎「はい、良く分かりました」、深く頷いている。 (80) 近くの一杯飲み屋(夜・同じ頃) 鬼田幸三と倒産した中小企業の経営者が、隣り合わせで飲んでいる。 鬼田「あなた、大分ピッチが速いですな」 元経営者「ヤケ糞です。いくら飲んでも酔わないのですヨ」 鬼田「さっきから呂律がよく回りませんから、大分酔っていると思いますヨ」 元経営者「世の中は不合理ですな。私のような従業員の誰からも尊敬され、愛されもした良心的な経営 者が、倒産の憂き目に遭い、何処かの阿漕な社長の会社は T O B とかで、大企業にのしあがっていくの ですから……」 この人は泣き上戸であるらしく、途中からは泣き声になっている。 鬼田「全く、理窟に合いませんよ。俺みたいにハンサムで頭脳明晰な男が、女性運が悪くて未だに独 身。その上に、良く働くのに今だに梲(うだつ)が上がらない。その一方では、ドジで間抜けでブス男 が身分不相応に、超(ちょう)付きの美人と結婚している。全く納得できません、この現実……」 こちらも涙声になっている。 元経営者「こう見えても私の家系は名門中の名門でして、天才や秀才が数えきれない程に輩出している のです」 鬼田「実家は、地方の農家なのです。大都会に憧れて、両親には無断で家を出て、苦労の連続でした。 自業自得とは言いながらです…」 元経営者「若い頃は人望がありまして、勿論、人並み外れた才覚もあったので、二十代の半ばで小さい とは言え一国一城の主(あるじ)に納まり……」 お互いに相槌は打つものの、自分の言い分だけを口にしている。 鬼田「コネもなければ学歴もない。これと言った技術を持っているわけでもない。ないない尽くしの 裸一貫。自分でも過去を振り返ってみると、思わず涙が出て来るくらいの、奮闘努力の毎日でした。実際 の話が……」 (81) 元の易者の所 その辺を行きつ戻りつしていた一人のサラリーマンが、意を決したように一太郎の背後から声を掛け て来た。 サラリーマン「あのーッ、誠に申し訳ないのですが、そろそろこの僕に順番を譲って貰えませんでしょ うか…」 一太郎「あっ、これはどうも。どうぞ」 と直ちに席を譲る。そして所定の見料を支払おうとする一太郎を、手で制して、 易者「いや、結構です。近い将来の出世を祝して、拙者からの御祝儀としておきましょう」 一太郎は恐縮して、何となくその場を去りがたい気持である。 サラリーマン「転職すべきなのか、それとも今の職場で我慢すべきなのか ― 」 易者「大いに迷っている」 サラリーマン「そうなんです」 易者「転職先の当はあるのですか?」 サラリーマン「一応は、あります」 易者「現在の会社に、何か問題でもありますかな…」 サラリーマン「特に、これと言って問題という程の問題はありません」 易者「ほう、でも悩んでいる」 サラリーマン「実は、これなのです(と右の掌を易者の目の前に差し出した)。誰かに聞いたのか、そ れとも易学関係の雑誌の記事だったのか、その辺は不確かなのですが、天下を盗ると言う珍しい手相があ るもので…」 易者「成程、珍しい手相です」と、それまで近くに佇んで二人の遣り取りを聴くともなく聞いていた 一太郎を、手振りで近くに寄るように合図した。 一太郎が近くに寄って覗くと、サラリーマンの右手の中指から手首の中央にかけて、一筋の線が刻ま れている。 易者「易や手相と言うものは、時代や国によって、当然ですが読み方や解釈に相違が出るのです。成 程、強運の相ですが、人に依って意味合いが異なるのですナ」 サラリーマン「そんな物なのですか。で、僕の場合にはどうしたら宜しいのですか?」 易者「貴君がここへ来られる前に相談した、その方面の専門家。えーと、何とか言いましたな」 サラリーマン「キャリアカウンセラーのことですか?」 易者「そう。そのお方もこう言われた筈じゃ。即ち、最後は本人が自分の意思で、決めるべきだと」 サラリーマン「その通りです」と、感心すること頻りである。 この二人の様子を凝っと見守っている一太郎である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年10月03日 16時05分31秒
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