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親室(にひむろ)の 壁草(かべくさ)刈りに 坐(いま)し給はね 草の如(ごと) 寄りあふ少女
(をとめ)は 君がまにまに(― 新築の家の壁草を刈においでなさいませ。草のようにしなやか に寄り靡く少女はあなたの御心のままです) 親室を 踏(ふ)み靜(しづ)む子が 手玉(てだま)し鳴(な)るも 玉の如 照らせる君を 内に と申せ(― 新しい家を足踏みして霊鎮めする子の手珠が鳴っている。その玉のように御立派な 君をどうぞ内へと申し上げなさい) 長谷(はつせ)の 齋槻(ゆつき)が下(した)に わが隠せる妻 あかねさし 照れる月夜(つく よ) 人見てむかも(― 泊瀬の齋槻の下に隠している私の妻。その妻を、照らす月の光で人が見 たろうか) 大夫(ますらを)の 思い亂れて 隠せるその妻 天地に 徹(とほ)り照るとも 顯(あらは)れ めやも(― 立派な男子が恋の心に思い乱れて隠したその妻。その隠し妻は天地に光がとおり 照ろうとも、人に見つかることがあろうか) うつくしと わが思ふ妹は 早も死なぬか 生(い)けりとも われに寄るべしと 人の言はなく に(― 私が可愛いと思っている妹は早く死んでしまえばいい。生きていたところで私になびき そうだと人々が言わないのだから) 高麗錦(こまにしき) 紐の片方(かやへ)ぞ 床に落ちにける 明日(あす)の夜(よ)し來(こ) むとし 言はば取り置き待たむ(― 貴重品の高麗錦の片方が床に落ちていました。明日の夜、 来ようと仰るなら取っておいてお待ち致しましょう) 朝戸出の 君が足結(あゆひ)を 濡らす露 原つとに 起き出でつつ われも裳裾(もすそ)濡ら さな(― 朝戸を開いて出ていくあなたの足結を濡らす露の原よ。朝早く起き出て私も裳の裾を 濡らそう) 何せむに 命をもとな 永く欲(ほ)りせむ 生(い)けりとも わが思ふ妹(いも)に 易く逢は なくに(― どうして命をむやみと長くあれかしと思おうか。生きていても私の思う妹に、容易 く会うことは出来ないのだから) 息の緒に われは思へど 人目多みこそ 吹く風にあらば しばしば逢ふべきものを(― あな たを命の綱と思っていますが、人目が多いからこそお逢いしないのです。私が吹く風であったな らばしばしばお逢い出来ますものを) 人の親の 少女児(をとめご)据ゑて 茂(も)る山邊から 朝な朝な通(かよ)ひし 君が來(こ) ねばかなしも(― 人の親たる者が、男がまだ通ってこない少女をしっかりと手元に据えて守っ ている、それではないが、木々の茂っている山辺を毎朝通って来たあなたが来ないので悲しい) 天(あめ)にある 一つ棚橋(たなはし) いかにか行かむ 若草の 妻がりといへば 足荘厳(よ そひ)せむ(― 渡りにくい一枚板の棚橋をどのようにして渡っていこうか。若草の様な妻の許に 行こうというのだから、足結を飾り整えよう) 山城の 久世(くせ)の若子(わかご)が欲(ほ)しといふ われあふさはに われを欲(ほ)しとい ふ山城の久世(― 山城の久世の若い子が欲しいという私。会うと直ぐに軽率にも私を欲しいと いう山城の久世の若子) 岡(をか)の崎(さき) 廻(た)みたる道を 人な通ひそ ありつつも 君が來まさむ 避道(よ きみち)にせむ(― 岡の鼻をぐるっと廻っている道を人は往来しないで欲しい。我が君が引き続 きおいでになる時の、人目を避ける道にしましょう) 玉垂(たまたれ)の 小簾(をす)の隙(すけき)に 入り通ひ來ね たらちねの 母が問(と)はさ ば 風と申(まを)さむ(― 簾の隙間を通っておいでなさいな。もし母が誰かととがめたら風で すと申しましょう) うち日さす 宮道(みやち)に逢ひし 人妻ゆゑに 玉の緒の 思ひ亂れて 寝(ぬ)る夜(よ)し そ多き(― 宮殿への道で会ったに過ぎない人妻だのに、その人のために思いが乱れてしまって 寝られないことが多いことであるよ) 眞澄鏡(まそかがみ) 見しかと思ふ 妹(いも)も逢はぬかも 玉の緒の 絶えたる戀の 繁きこ のころ(― 姿を見たいと思う妹に逢わないものかなあ。一度途絶えていた恋心がしきりによみ がえってくるこの頃なのだ) 海原(うなはら)の 路(みち)に乘りてや わが戀ひ居(を)らむ 大船のゆたにあるらむ 人の 兒ゆゑに(― 海を船で行くようにゆらゆらと不安な気持で私は想い続けることであろうか。大 船のようにゆったした気持でいると思われる、他人の恋人なのに) たらちねの 母が手放(はな)れ 斯(か)くばかり 爲方(すべ)なき事は いまだ爲(せ)なくに (― 母の手元を離れてから、これほどどうしてよいのか分からない事には、出会ったことがあ りませんのよ) 人の寝(ぬ)る 味眠(うまい)な寝(ね)ずて 愛(は)しきやし 君が目すらを 欲(ほ)りて嘆 くも(― 人がするような安眠もしないで、愛しいあなたのお顔だけでも見たいと嘆いています) 戀ひ死なば 戀も死ぬとか 玉鉾(たまほこ)の 路(みち)行く人の 言(こと)も告げなく(― 恋焦がれて死ぬなら死ねというのか、道を行く人が何もあの方の言伝てをしてはくれない) 心には 千遍(ちたび)思へど 人にいはぬ わが戀妻を 見むよしもがも(― 心には千度も思 うけれども人には言わない私の恋妻を見る手段が欲しい) かくばかり 戀ひむものそと 知らませば 遠く見るべく ありけるものを(― こんなにも恋 に苦しむものと知っていたら、遠く離れて見ているのだったのに) 何時(いつ)はしも 戀ひぬ時とは あらねども 夕(ゆふ)かたまけて 戀(こひ)は爲方(すべ) なし(― 何時とて恋しく思わない時はないけれども、夕方頃になると恋は益々募って何とも致 し方がない) かくのみや 戀ひ渡りなむ たまきはる 命も知らず 年は經につつ(― このように恋し続け るであろうか、命の程も知らずに年は経過して行って) わが後に 生れむ人は わが如く 戀する道に 會ひこすなゆめ(― 私の後で生まれる人は、 私のように恋の道に陥るな、決して) 健男(ますらを)の 現(うつ)し心も われは無し 夜晝(よるひる)といはず 戀しわたれば (― 立派な男子としてのしっかりとした心ももはや私にはありません。夜と言わず、昼間と言 わず妹を恋焦がれておりますから) 何せむに 命繼(つ)ぎけむ 吾妹子(わぎもこ)に 戀ひざる前(さき)に 死なましものを(― どうして命をつないで生きてきたのであろう、吾妹子を恋しないうちに死ねばよかったのに) よしゑやし 來(き)まさぬ君を 何せむに 厭はずわれは 戀つつ居(を)らむ(― いいわ、お 見えにならなくたって、と思うのに、そんなあなたをどうして恋しているのでしょう) 見わたせば 近きわたりを 廻(たもとほ)り 今か來ますと 戀ひつつそ居(を)る(― 眺め渡 すと近いところなのだが、廻り路をして、もうお見えになるかしらと恋しく思ってお待ちしてお ります) 愛(は)しきやし 誰(た)が障(さ)ふれかも 玉鉾(たまほこ)の 道見忘れて 君が來まさぬ (― ああ、わが君が道を忘れて、お見えにならないのは、誰が邪魔をするからであろうか) 君が目を 見まく欲(ほ)りして この二夜(ふたよ) 千歳(ちとせ)の如(ごと)く 吾(わ)は 戀ふるかも(― あなたのお顔を見たいと思って、この二晩が千年のように思われる程私は恋し ています) うち日さす 宮道(みやぢ)を人は 満(み)ち行けど わが思ふ君は ただ一人のみ(― 宮殿に 行く道を人が一杯歩いているけれども、私の思うお方はただお一人だけです) ―― 万葉集を 代表する有名な歌の一つですが、調べと言い、内容と言い、今日では極めて平凡に響くのですが それにもかかわらずに私には古今に絶した白鳥の歌と聞こえてなりません。素晴らしいの一言で す。私は平凡でしがない宮廷人の夫を宇宙で一番素晴らしいお人だと感じて誇りにしています。 この私こそは人として生まれて幸福感に満たされて、毎日を精一杯に楽しんでおります、本当に 有難いことなのです、勿体無い限りですわ。……! 因みに、私の亡妻も私を誇りに想い、幸福 長者としての幸福の絶頂期にあった時にはこの万葉集を代表する歌の様な心境で暮らしていたに 相違ないのです。 世の中の 常の如しと 思へども 片(かた)て忘れず なお戀ひにけり(― 世間に一般の事だ と諦めてはいるけれども、一方では恋はやはり忘れられない事なのだなあ) わが背子(せこ)は 幸(さき)く坐(いま)すと 還(かへ)り來(こ)むと われに告げ來(こ)む 人も來(こ)ぬかも(― わが背子は無事でいらっしゃって、やがて帰っておいででしょうと、私 に告げに来る人が来ないかなあ) あらたまの 五年(いつとせ)經(ふ)れど わが戀の 跡無き戀の 止(や)まなくも怪し(― 五年も年がたったけれど、私の実らない儚い恋の消えもしないのは、どうも妙だ) 巌(いはほ)すら 行き通(とほ)るべき 健男(ますらを)も 戀とふ事は 後悔(のちくい)にあ り(― 巌すらも踏み破って通って行ける健男も、恋ということについては、後で悔やむような ことになるものだ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年06月05日 11時54分51秒
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