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いたいおへや

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おくのほそ道

2008.12.06
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カテゴリ:おくのほそ道
今年元禄二年に、奥羽地方をはるかにめぐり歩く旅を、

ただふと思い立った。

白髪になってしまうような苦労の重なる旅とはいっても、

聞いたことはあっても、いまだに見たことのないところがあるからだ。

生きて帰ってみせようと定めのない頼みをかけて、

その日ようやく草加という宿にたどり着いた。

この痩せて骨の張った肩にかかるものがいとわしい。

ただ、旅すがらに必要なものは買えばよい、と旅支度をしたのを、

寝巻きは夜に必要だし、ゆかた、雨具、墨、筆の類も必要だと、

またことわりきれない餞などをされたものは、

さすがに捨てづらくて、道中の邪魔ものとなるのは、

いたし方がない。






Last updated  2008.12.06 16:39:35
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2008.12.05
カテゴリ:おくのほそ道
三月二十七日、明け方の空はおぼろげである。

月が在明から光を差すものだから、富士の峰がかすかに見えて、

上野の谷中の花の梢などを見ると、

またいつか見ることができるのかと、心細い心地もする。

親しい人たちは宵から集まって、船に乗って見送ってくれる。

千住というところで船から下りれば、これから先の

三千里への思いで胸がいっぱいになって、

なつかしさとの離別に涙を流した。


行春や鳥啼魚の目は泪

(現実のはかなさを悟っていても、いざ人々の別れとなると

涙がこぼれるのである)


これを紀行文のはじめとして、行く道をさらに進んだ。

人々はその道々の途中に立ち並んで、後姿の見えるまではと、

見送ってくれたに違いない。






Last updated  2008.12.06 00:25:48
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カテゴリ:おくのほそ道
(※意訳が多い。 辞書嫌い、あまり引かない→見当違い)


月日は過ぎていく客のようなもので、行きかう年も

また旅人のようなものである。

船の上で生涯を過ごす者、また馬の口をとらえて

いていくような者は、日々が旅のようなものであって、

旅をすみかとしている。

古く活躍してきた人々にも、旅の中で死んだ人は多い。

私もいつの年の頃からか、片雲の風に誘われて、

旅をしたいという思いが止まず、以前海浜をさすらったことを思い、

去年の秋には江上の廃れた家にかかった蜘蛛の古巣をはらって暮らす。

年の暮に、春立てる霞の空に、白川の関をこえようと、

そぞろ神(私の心を誘惑する神)のことばに心を乱し、

道祖神(旅人を守る神)の招きにあってはもう何も手につかず、

もも引きの破れたところを繕い、笠の緒をつけかえて、

三里に灸する(万病にきく、健脚になれるツボ)ともう、

松島の月がまず私の心にかかって、

住んでいる家などは人に譲り、杉風の別所に引っ越して、


草の戸も住替る代ぞひなの家

(雛人形が飾られ、すっかり華やいだ草庵を見て、

人生流転の実相を感得した句)


と面八句を庵の柱にかけ置く。






Last updated  2008.12.06 00:28:00
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