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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2009.05.10
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 山口 良忠(やまぐち よしただ、1913年11月16日 - 1947年10月11日)氏は佐賀県出身の裁判官。終戦後の食糧難の時代に、闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け、栄養失調で死亡されたかたである。

1913年、佐賀県杵島郡白石町に、小学校教師の長男として生まれる。また父親良吾氏は神官でもあられた。佐賀神社庁長もお勤めになられた。息子の大学入学時に送った格言は
 冷静 如水
 熱烈 如火
 至誠 通神
 公私 分別
 奉答 皇恩
この格言を良忠氏は下宿の壁に掲げて父親の教えを心に刻んで京都帝大に学ぶ。
 1946年10月に東京区裁判所の経済事犯専任判事となる。この部署では、主に闇米等を所持していて食糧管理法違反で検挙、起訴された被告人の事案を担当していた。食糧管理法違反で起訴された被告人を担当し始め、配給食糧以外に違法である闇米を食べなければ生きていけないのにそれを取り締まる自分が闇米を食べていてはいけないのではないかという思いにより、この時から闇米を拒否するようになる。

 しかも配給のほとんどを2人の子供に与え、自分は妻と共にほとんど汁だけの粥などをすすって生活した。義理の父親・親戚・友人などがその状況を見かねて食糧を送ったり、食事に招待するなどしたものの、山口氏はそれらも拒否した。自ら畑を耕してイモを栽培したりと栄養状況を改善する努力もしていたが、次第に栄養失調に伴う疾病が身体に現れてきた。しかし、「担当の被告人100人をいつまでも未決でいさせなければならない」と療養する事も拒否した。

 そして、1947年8月27日に地裁の階段で倒れ、やっと故郷の白石町で療養する事となる。同年10月11日、栄養失調に伴う肺浸潤(初期の肺結核)のため33歳で死去された。食糧管理法を遵守して餓死したのは山口氏の他には亀尾栄四郎氏くらいという。しかし、食管法なくしては餓死者が相当数出たと言われる。そのことは生前語っていたと言う。

 その息子さんが良臣さん。蜜書房の社長としてご活躍ときく。「殉法判事山口良忠遺文」宮村多樫氏編で山口判事の遺文集が出ているので、お読みいただきたい。
 私の親友に山口氏からお手紙があった。その一文に「この本は多くの方々にお読みいただきたいのですが人生にはこのような重たい内容は必要ないという人も多く、人生が楽しくなくなるそうです」とありつらくなった。2400円です。
 また蜜書房からは
『日本創世叙事詩 新訳古事記 』山川 弘至(詩人・歌人で国学者)が発刊されている。その説明にこうある。

 日本民族の聖典とも言うべき『古事記』を日本浪漫派の至純の詩人にして国学者山川弘至が、雄大かつ壮麗な調べの長編叙事詩に訳したものである 第二次世界大戦の終戦直前に、彼が暗号士官として従軍していた台湾の戦地から夫人に送り続けられる形で成された文業であったが、軍務中に散華。そのため、この叙事詩は、古事記上巻の天孫降臨までを謳いあげて惜しくも中断されたが、その価値は高い。 著者亡き後63年目あらたな装いで刊行。 五七の調べに乗って見事な旋律を奏でる、選び抜かれた美しい日本語を、多くの若い人々に味わってもらいたいと切に望むものである。

 さて順法の精神にて。

 高貴な精神には心打たれる。占領統治において必死に生き抜かれた先人たち。そしてその精神は今も日本人の尊敬の本となっている。日本人が当たり前と思うことだが、あの阪神淡路大震災において略奪などなかったことが海外では大いに不思議がられていたという。日本人にとってはごく自然な行動である。無法な典型山口組が必死に復旧にかかわったことも報道されていた。これらは日本人の精神が戦後も引き継がれてきたよき証明であると思う。

しかし一方で占領軍はわが国に何をしてきたのか。
 善意の占領とイメージされているが、まず教科書に載らない統治の現実を知っておかねばならない。有史以来初の占領と五十万の米兵の流入.もっとも危惧したのは強○事件。真っ先に沖縄占領時に大量発生。

 政府は終戦3日後に内務省警保局長名で「外国軍駐屯地における慰安施設について」の通達を出す。各県警察署長が指導して米軍専用の慰安施設を設置した。その費用1億円。今で言うと1000億円に相当する金額である。
 数万人の娼婦を募集した。一般婦女子の純潔を守るために。兵士の10分の一を確保するのである。敗戦当時その職に就く慰安婦はわずか一万三千人というからとても足りない。食うに困った婦女子が募集に応じたのであった。背に腹はかえられない。一昨年マイクホンダ議員が対日慰安婦決議を挙げさせたが、まさにそのまま突っ返したいものである。

 帰還した兵士、なくなられたご英霊はどう感じられたのであったろう。
 また思想統制もはなはだしい。公職追放二十万人。「焚書坑儒」政策にあれだけの高級採用5000余人。復讐裁判、すみ塗り教科書。共産主義者の大学教授会占拠。NHKの「真相箱」報道と日本弾劾。ついには憲法押し付けまで。

 方や、大東塾十四烈士の自決や戦犯冤罪処刑が相次ぐ中での占領政策。
 その中での判事としての職務の重責を、自らのみに課していかれた山口良忠判事。感動を日本人に与えてくれるご立派な人生だとつくづく思う。

 われらの運動も日本人として正しき道を歩み行きたいと思う。





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Last updated  2009.05.10 11:43:37
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