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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2013.03.04
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カテゴリ:三ヶ根
 

草莽通信、教育通信作成にかかりきりの一日。夕刻、やっと版下を完成である。

まさかお亡くなりになるとは、あんなにお元気だった東條由布子女史が。いまだに信じられない。

来し方を振り返る。

2月は建国祭典に必死になった。昨秋、建国の講師に東條由布子女史をお願いしたところ、快諾をうけ、これで態勢は決まったと大安心。あの怒涛の市長選と総選挙戦に突入。4年前の田母神講演会と総選挙、そして一色氏応援、更に領事館問題国旗掲揚400本などの活動の総決算のつもりであった。国家のため、負けることは許されない。自分でもほぼ悔いなく闘ってきたつもりである。無論多くの人に迷惑をかけ、嫌な思いをさせてきたのであろう。友からも敬愛する大先輩からも、後輩からも非難をうけもした。しかし、その中で、認めてくれる方がいた。苦しい時、常に私の行動を認めてくださった方が、東條由布子女史であった。

その由布子女史から電話いただいたのが総選挙の真っ最中。選挙事務所にいたときのこと。「杉田さん、講演は出来そうもなくなってしまいました」「分かりました、お大事にしてください。」

選挙が済み、年が変わりいよいよ建国。出来る範囲でするしかない。私の関係で四会場で開催でき、お見舞いにいき、報告申し上げねば、その総括、あと始末の最中になんと突然の訃報であったのだ。

私が必死にやっていればきっと良くなられる。そう信じてきたのに。

 

三ヶ根の今後につき伊藤氏と話したのは今晩、夜中の10時半から十一時半。岡崎にまで来ていただく。

「建国講演にいけるのを何よりの楽しみにされていた。」伊藤氏に言われていまさらのように申し訳なくもったいなくおもう。

 東條女史に三ヶ根全てにおいて道をつけていただいていたことをあらためて思い、大変な事態であることにあらためて気付き愕然とする。担うべきものが余りに大きいのである。人生の重みが違いすぎるのだ。今までも様々に伊藤氏と語り、大いに何度もぶつかりながら40年ちかくきた。「東條さんはいつも言ってみえたそうな。「しかし一生懸命やってくださっているでしょ」と最後には常に私の意見を認めてくださっていた。しかしその方がいなくなって中心がなくなってしまった。だれにも、あの、人をひきつけやる気にさせてくれる東條女史のかわりをつとめうる人はいないでありましょう。

しかし「かかるとき、何もせでもだにいる人は生きたる人とは言わじ」、前に進むしかないのです。これは言うは安く行なうは難しの典型でしょう。志を継ぐという方は多くいても、できる人はほとんどいない。僕らでは全く格が違いすぎてお話にもならない。せいぜい枯れ木も山の賑わい程度。しかし、枯れ木にもなれないことは分かっているが、前に進めるしかない。

 会合終わりて伊藤氏は、夜行バスにて東京に走る。恩義ある方への見舞いであります。私はいよいよ今から印刷に取り掛かる。明朝は大孝道場に人を案内する責務をいただいているからそれまでに仕上げねばならない。

 もう大切な人との別れは二度と繰り返したくない。

 

 

 






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Last updated  2013.03.05 00:58:01
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