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今朝は8時に家を出て三ヶ根花壇の植え付け作業を行う 花壇に咲く諸花ももうそろそろ切り替えようと思うがなんと11月25日の今日もアサギマダラが蜜を吸いに来ているではないか、 10月がピークで多くの方が写真を撮りに来ていたが毎年11月初旬には沖縄や台湾方面に移動してしまう蝶。それが三島先生の義挙の日にもここにいてくれるとは驚きである。Oさんが激励に来てくださったので御教えすると喜んで写真に収めてくださった、
芝ざくらを総計1100株は植えたがまだとても足りないので明日600株を追加購入予定。買い付け先は鈴鹿市、往復で5時間かかってしまう・ あと一週間ほどで花壇整備を終えなければ次の活動に入れないため気ばかり焦る。急がねば、 私の近隣者で森田必勝氏と話をしたことのある方は宮崎正弘先生・村田春樹先生・故持丸博先生らの国家有為の方々以外には三ヶ根ゆうとぴあの支配人伊藤弘氏のみ。豊橋の学習塾経営のO氏もそうかもしれないが親しく話されたか否かは不明、 三ヶ根にて久しぶりに伊藤氏と義挙につき話し、森田氏について東京での出会いの様子をうかがった、 りりしく、有為な人材である。第一印象としては歯並びがよく歯がおおきいかただなあと、きっと健康で長生きされる方だろうと思ったとのこと。雀荘によく行ってみえたそうな、 蒲郡の後輩のM君は持丸博氏のお宅で息子さんの学習を見ていたことの縁で生前の持丸先生のご講演会を蒲郡と岡崎で開催し、当時の様子をうかがったが ひなびた田舎では到底知りえない緊張感みなぎる話であった、救国歴史の中核に見えた持丸氏からお話を伺える体験も本当に大きかった、
諸先生や決起なされた皆さんを思えば大言壮語しながら何もなせないでいる自分が情けなくなるので憂国忌も一度しか参加できず、昨年の四日市での慰霊祭も参加資格がないくせに気をふるって初めて参加させていただいた。しかしあまりに重く、直立して慰霊祭に立っているのがやっと。 両烈士の慰霊祭を、行為に参加もせず周辺にもいなかったものが若気の至りとはいえ別の会として開催していたことを恥じながらいた、 今日もそうであった。墓参に行きたくはあったが、国思い、陛下を思い、生死をかけて行為に及ばれた必勝大人に到底及ばない人生を生きているしかない己が近づける場所ではないのだと思われてならない。 とはいえ、逃げ出すつもりはない、50年の歳月をかけて、何とかあとを追っかけ続けた道のりを私にも。明日報告することはできるのでは、あすお参りだけは四日市のお墓に行ってこようと思う、
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Last updated
2021.11.25 23:44:54
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