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草莽の記    杉田謙一

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seimei杉田

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2024.04.14
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朝、家の庭掃除。家の花壇の割り付け変更などを行う。
矢張り本格的に花づくりを覚えねば山での花壇つくりはうまくいかない。先回の花うえで同じ弱ったビオラを山と自宅に植えてみたが家の方は立派な花びらになって生き返っているが山のビオラは情けないほど小さく弱弱しい。水やりや肥料の加減、土の栄養なども当然あるが愛情の掛け方に雲泥の差がある。
 
 さて一応の家での作業を終えて急いで三ヶ根山行き。
なんと昨日の3名の紳士がお見えではないか。再会がうれしく再び語る、。
 作業に入る。作った「富士山」の雪をイメージした白い小花を敷き詰める。
 さらに草取りを行っているとなんと仕事で付き合いのある青年が花壇を見に来てくれたのだ。「こんなことをされていたのですね。」彼はこの広大な花壇を見て相当に驚いていた。三ヶ根山には十数年ぶりに来たそうだがこれほど重要な場所とは全く知らなかったようだ、
三河の居住者でモ東条閣下はじめ国家の進路に大きな影響を与えられた歴史上の人々も眠って見えることを知る人は本当に少ない。来ていただければその歴史を身近に感じていただける。もっと知って頂かねばとおもった。
 名古屋護国神社の昭和の森の清掃奉仕に参加してくださったメンバーから今日の報告電話を受ける。私が行けなかったため作業後のミーテイングに昭和の日の講演会の周知をお願いした。本当によくやってくださる皆さんばかり。ありがたいことであります。
 
 堀田農園に花のケース30箱ほどをお返しに行く。本当に三ヶ根の大切さを感じてくださっている方でいつも無理ばかり聞いていただき心から感謝している。今日も又廉価で花を譲っていただいた。明日の作業日に皆さんとともに植えさせていただける。嬉しき限りです。

 帰宅してスイカやトマト、ナス、キュウリ、カボチャなどの苗を購入に行く。やっと母のリクエストにこたえることが出来た。93歳の母はまともに歩けないのに畑に出ると人が変わったように平然と鍬をもって作業をする。すでに野菜のうえ場所の草取りも終えている。戦前生まれの百姓家の女性の強さには驚くばかり。怠惰な息子にいつもあきれているようだが。まあやっと孝行の真似事が出来た。

 4月29日は昭和の日です。
 
この昭和の日に三ヶ根山では各部隊の法要などがなされまた多くの皆さんが慰霊園に参拝にお見えになられます。最大の慰霊祭は殉国七士墓前祭。
 昭和天皇のご信頼も篤かった東条英樹総理はじめ七名の「戦犯」とされた英雄の慰霊祭です。
ご存知の通り七士の処刑は一二月二三日、上皇陛下のお誕生日です。一九四八年昭和二三年のこと。
ではなぜ四月二九日に墓前祭がなされるのか。実は昭和天皇の誕生日のこの日、占領軍は極東国際軍事裁判にて被告を起訴した当日でもあるのです。一九四六年昭和二一年のこと。

昭和天皇誕生日に起訴、上皇陛下お誕生日に処刑したのです。

殉国七士の概略をウィキより転記。
東條英機 - 軍人、第四〇代内閣総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪)
松井石根 - 軍人、中支那方面軍司令官(南京攻略時)(B級戦犯、捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京事件))
土肥原賢二 - 軍人、奉天特務機関長、第一二方面軍司令官(中国侵略の罪)
広田弘毅 - 文民、第三十二代内閣総理大臣(近衛内閣外相として南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責任)
板垣征四郎 - 軍人、陸相(第一次近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長。(中国侵略・米国に対する平和の罪)
木村兵太郎 - 軍人、ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)(英国に対する戦争開始の罪)
武藤章 - 軍人、第14方面軍参謀長(フィリピン)(一部捕虜虐待の罪)

私は子供たちや参拝者の皆様にはに七士の頭文字をつないで、「とまどひ 生きむ」と教えてもいます。よいかと思います。ご参考までに。

殉国七士墓の建立経緯

さて七人のご遺体は横浜市西区の久保山斎場で火葬され、遺骨は米軍により東京湾に捨てられたそうです。しかし、一二月二五日に小磯国昭の弁護人だった三文字正平弁護士が共同骨捨て場から遺灰(七人分が混ざった)を密かに回収し、近くの興禅寺に預けた。占領統治下の一九四九年五月に伊豆熱海の興亜観音に密かに葬られた。
その後、一九六〇年(昭和三五年)八月一六日に愛知県西尾市(旧幡豆郡)幡豆町三ヶ根山の山頂付近にももたらされたのでした。さらにマイナーですが長野には篤志家により、遺骨の一部が引き取られ安置されています。

日本に戦犯はいない理由

以下ウィキにまとめがあるので引用。
日本の主権回復後の戦争犯罪人の取扱いについては、一九五二年四月二八日発効の日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の第一一条に規定されている。
第一一条(戦争犯罪)
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一または二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。
一九五〇年代には、これに基づき国内外で収監されている戦犯の赦免や減刑に関する、以下の国会決議が採決されている。
一九五二年六月九日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
一九五二年一二月九日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
一九五三年八月三日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
一九五五年七月一九日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
一九五二年(昭和二七年)五月一日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる変化が生じている。
また、一九五二年(昭和二七年)四月に施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」についても一部改正され、戦犯としての拘留逮捕者について「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する事になった。
これらは前年の一九五二年に、国内外で戦犯として収監されている者を即時に釈放すべしという国民運動が発生し、四千万人の日本国民の署名が集まった事に起因する。そして「恩給改正法」では受刑者本人の恩給支給期間に拘禁期間を通算すると規定され、サンフランシスコ講和条約第一一条の手続きにもとづき関係一一か国の同意を得たうえで、減刑された者については、一九五六年までに出所が完了したとされる。
「A級戦犯」の「名誉の回復」については、一九五三年(昭和二八年)七月九日の厚生委員会において、社会党(社会民主党の旧称)の堤ツルヨが「戦犯で処刑されたところの遺族の問題であります。処刑されないで判決を受けて服役中の留守家族は、留守家族の対象になつて保護されておるのに、早く殺されたがために、獄死をされたがために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は靖国神社の中にさえも入れてもらえないというようなことを今日遺族は非常に嘆いておられます。」「当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が扱われるのは当然であると思います。」と答弁した。
重光葵は東条内閣と小磯内閣で外務大臣を務め、A級戦犯として有罪判決を受け禁固七年の刑を受けて、講和条約の発効と恩赦後に、衆議院議員に三回当選し、一九五四年に鳩山内閣の副総理・外務大臣となり、日ソ国交回復交渉や国連加盟交渉に取り組み、一九五六年の国際連合総会で日本の国連加盟が全加盟国の賛成で承認され、重光の受諾演説に対して加盟国代表団から拍手で迎えられ、その功績に対して公職引退後(死後)に勲一等旭日桐花大綬章を授与された。
賀屋興宣は東条内閣で大蔵大臣を務め、極東国際軍事裁判でA級戦犯として終身刑を受けた。賀屋興宣は連合国との講和条約の発効と恩赦による刑の執行終了後、衆議院議員に五回選出され、池田内閣で法務大臣を務め、その功績に対して、公職から引退後に叙勲を打診されたが辞退した。
       以上ウィキ転載

結果、いわゆるA級戦犯として有罪(松井石根閣下はA級無罪)とされ処刑された皆さんは「法務死」として靖国神社にも合祀されている。裁判結果はすでに死をもって受け入れたわけで、死者の命の復活はできないが名誉は回復されているのです。無論八月一五日の戦没者慰霊祭にもご遺族はご参列になっています。
殉国七士への死罪判決の理不尽さに反対するものは今日ではほとんどいないでありましょう。大東亜戦争にいたるまでの諸列強の動きや野望、裁判が戦勝国による軍事裁判にして日本の反論資料のほとんどが却下された事実や占領統治の情報統制のひどさについてこれだけ情報が明らかになってきた今日きわめて妥当なことであります、
とはいえ、この国のシステムが国家戦略をもちえず、場当たり的な作戦をとらざるを得なかった、「共同謀議」そのものができていなかったことのほうが問題であったのです。
大きな流れを為政者と言えども変えられぬことはわかる。
しかしあまりに軍の内部で戦争規模や方針が定まっていなかったことの方がもっと深刻な問題ではなかろうか。正確なシュミレーションが成されていたかこそが問題ではないのか

参拝の皆さんには戦争の原因は二十九年の世界恐慌を止め得なかったアメリカにあるのも分かってもらえるが、統帥権の名のもとに軍事作戦は当時、政府すらアンタッチャブルとされていた。
その反省が今の政治にあるのか。
大政翼賛会時代の無能なる政治家となんら変わるものではないではないのか。死を持って事にあたった政治家と比して何と情けなき物か。
 自民の体たらくが日々国政を停滞させている。こうした中で万が一のことが起きたら政府は対応できるのか。政権与党代議士は一年間全員給与を半減することで国民に和議、あとは本業に立ち戻りサマル国難に対処するようにならないものか。
 A級戦犯のことばはよって実態とことなる不適切な表記。カッコつきで「A級戦犯」が限度。最低「いわゆるA級戦犯」まででありましょう。「法務死なされたいわゆるA級戦犯」が適切な表記ではあるまいか。

 この日。2時から殉国七士廟前にて慰霊祭が奉賛会主催で開催されます。国を憂える方が万難を排してご参列いただければと熱望いたします。
また当日4時20分から三ヶ根山形原出口近くの蒲郡ホテル形原別館にて昭和の日奉祝講演会をこれは実行委員会主催で開催いたします。こちらは参加費が
千円かかりますがぜひ昭和天皇の御心に触れ日本再生に向かいたく思います、こちらにもぜひご出席いただければと思います、講演会終了後に希望者の方で食事会を行います。これは食事の準備の都合で27日までにご連絡ください。09085540817まで。またはファックスで0564518966まで。よろしくお願いいたします





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Last updated  2024.04.14 00:47:43
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