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カテゴリ:廃線まじかの江差線に乘る
★江差街散策 9:17 約一時間で終点の江差駅に到着である。 乗客はホームで撮影する者、出札口で記念のキップなどを求める者、目的も無くどこかにでかける者など早々に下車していった。 帰りの時刻を確認して見ると10:27があるので一時間ほどだが駅を出て街に行ってみることにした。 駅前には懐かしいカラーデザインのバスが停車していた。この函館バスは東急グループであるため貸し切りバスも路線バスも東急カラーとなっているのだ。後に知ったことだが観光バスは町内観光用で無料だったとか。 港までは歩いても行けそうなのでノンビリ街歩きをすることにして歩き始めると、ちょうど空車のタクシーが来たので飛び乗ってしまった。せっかくだから沈没船が置いてある江差港に行ってみることにした。 数分で港に着くと、そこには大きな帆船「開陽丸」が鎮座していた。この船は幕末期に幕府が所有していたオランダ製の軍艦である。木造帆船ではあるが、排水量2,590トン、長さ約72・8m、幅約13m、高さ約45m、マスト3本で補助蒸気機関410馬力、乗組員は350~500人、備砲は当時最新鋭のクルップ砲を含む26門という本格的な軍艦である。 オランダから日本に着いてわずか1年半の1968年(明治元年)11月15日に江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没してしまったのだ。 入館料500円を支払い船内に入ると沢山の大砲や弾丸が所狭しと展示されていた。あまり時間もないのでササーと見学して有名な「にしんソバ」を食べようと思い店を探したが、まだ開店準備中で食べ損ねてしまった。 近江商人の廻船問屋の「旧中村家」などの見どころもありそうだ。近くの薬局で、鉄道写真展が開催されていたのでそこを拝見した。江差町在住のカメラマン辻晴穂(はるお)さん(63才)は、その姿に魅せられ、約30年間カメラを向け続けてきたそうだ。
★廃止線を思う 折り返し列車なので車両は同じである。ほとんどの乗客は先ほどの折り返し客で、街並み散策はしていないようである。 廃線間際で乗客が多くなってきたこともあり、普段は配置していない駅員も時間で勤務しているようだ。 窓口では記念の入場券などを求める行列ができていた。 駅前には廃止までの期間に営業している「おもてなしプラザ」なるお土産屋が盛況で駅弁も売っていた。 1線1ホームの駅は、すぐ先で線路が途切れて終点駅を感じさせてくれる。もうここには来ることもないのかな、と思いながら発車時間まで見学していた。 偶然にも、帰りの車内にはどこかで見たことがある人が乗っているではないか。確か鉄道ライターの土屋さんのようだ。 同じ路線を木古内に向けて走ってゆく。帰りの列車はなぜか和気あいあいの雰囲気で笑い声も聞こえている。 これまで、何本もの路線が赤字路線として消えていった。激動の昭和の時代を牽引してきた地方鉄道もその役目を果たし、新たな交通機関へとバトンタッチをしてゆく様を、実際に目の当たりにすると「ご苦労様」の一言だけしか出てこなかった。
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Last updated
2024/11/02 04:12:11 PM
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