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オジン0523@ Re:生田緑地のD51(09/26) 奇麗に保存されていますね。 このようなも…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:富山の路面電車(2)(10/09) 風旅記さんへ こんにちは、伊豆と北陸は反…
風旅記@ Re:富山の路面電車(2)(10/09) こんにちは。 富山の路面電車、乗っていて…
線路脇のカメラマン@ Re[1]:E261系サフィール踊り子車内(04/22) 株式会社JCPLAN 坂本さんへ 返事が遅くな…
aki@ Re:ライドシェア(01/18) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

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2022/02/25
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カテゴリ:振返り旅行

●振り返り旅行(元ラバウル空港と山本バンカー)

港から3㎞の場所に「山本バンカー」と言われる海軍司令部のあった地下壕がある。





山本五十六連合艦隊司令長官が最後を過ごした場所である。










山本五十六については、あまりにも有名な人物なので説明は省略しますが、昭和18418日午前6時に、ラバウル飛行場を随行機の2機の一式陸攻攻撃機と6機のゼロ戦で飛び立ち、ブーゲンビル島方面の視察と激励に日帰りで出かけた。








しかし、事前に日本の無線を傍受し暗号を解読したアメリカ軍のP38戦闘機16機が襲い掛かり、2機の一式陸攻は撃墜されて墜落、山本司令長官は戦死してしまった。






日本軍の古い暗号を使用していたことや、日本人の時間に正確さがあだとなってしまった。








皮肉にも護衛のゼロ戦の搭乗員など数名は助かった。




その後の戦闘で戦死したが、戦後2名だけは復員し最近まで存命であった。




れっきとした馬車鉄道です








洞窟の入口階段を降りてゆくと細く天井が低い通路があり、いくつかの部屋に通じている。






洞窟内の一部は閉鎖されてしまっているようだが、作戦室には基地を中心に勢力範囲を距離で表した当時の地図が残されていた。












「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家の「水木しげる」は一番下の二等兵でありながら、この地に赴任しくしくも爆撃で片腕を無くしたが、終戦後帰還しこれらの体験を漫画で表現したのだ。















対空機関砲を据え付けたままだ。












続く・・・






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Last updated  2022/02/25 12:10:11 AM
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