「うつ」までの道のり(その13)
丁度10年前の1月1日に私はいまの会社に入社した。これを書いてて、気づいたけど勤続10周年である。場所は大阪の関西支社というところに配属になった。住居も名古屋から奈良の富雄というところに3DKの社宅を準備してもらった。実は私は生まれこそメキシコであるがずっと奈良育ちであり、私の中学校の校区の隣町に社宅を準備してもらえ、かつ勤務地も関西に戻ってこられたことは偶然かもしれないが、会社に非常に感謝している。10年前の1/4に緊張しながら、関西支社に出勤したことを覚えている。「果たしてここで上手くやっていけるのだろうか?」「ここでダメだったら、俺と家族はどないなるんんやろ」不安との格闘であった。実は転職で年収は相当ダウンしてしまった。以前勤めていた生保業界は給料の高いことで有名(仕事もハードやけど)であり、私は10年前既に1000万の大台に載っていた。 しかし、転勤で年収は4割弱ダウン。(今考えると勤続10年たった今でも、当時の年収に全然追いついていない)。普通のヒトなら「なんで転職するの?」と思うでしょう。しかし、今思えば意外であったのは給与はダウンしても、生活レベルは全くといっていいほど変わらなかった。前の業界は入る金も大きければ出る金も大きかった、数字(ノルマ)ができないと必然的に身銭を切らねばならない、部下を慰労するのも一苦労。一晩に福沢諭吉が何枚も私のボロ財布から飛んでいった。だから家に入れている金もそんなに多くなかった。 当時、嫁さんが「給料減ったけど今のほうが絶対ええわ」と何回も真顔でいってたのが思い出される。要はシアワセは金だけで考えると良くないということ!最初に配属された部署の仕事はさほど忙しくなかった。古い賃貸住宅を建て替えるセクションの総務、庶務系の仕事だった。はっきりいって楽勝。時間をつぶすのに困るほどだった。一度ワープロで文章を作って、仕事がなくなるのを恐れそれを消去しまた作り直したことがあったぐらいだった。(当時はいい時代だった・・・)前の会社の最後のボーナスで車を買い替え。その年の11月には実家の近くに思い切って家まで購入してしまった。そんなこんなで、公私とも全てにわたって順風満帆。私の転職は大成功だった。今思えば、最も勢いのあった時代、まさに全盛期だったのかもしれない。(つづく)