山中城 @静岡県三島市山中新田
山中城 は、箱根の西、三島との間にある標高580メートルの山城。
日本の100名城に選ばれている。
後北条氏の小田原城の支城で、豊臣秀吉の小田原攻めに於いて激戦地となった。
前からとても気になっていたが、遂に全容を見る事が出来た。国宝のお城も全部行ったけど、お城という場所は、概ねかなりの勾配や山を登る。熊本城も姫路城もそうだった。だから身体がキツい。60才以降は無理だろう。
こうして一つ一つ、見たかったモノを実際に訪れて、見られて、或いは見る事が出来ずに、やがて私は朽ち果てて死んで行くと思われる。今どうしても見たい場所は、ラサのポタラ宮殿。カトマンドゥ。敦煌莫高窟。サマルカンド。ストーン・ヘンジ。マチュ・ピチュ。
何故山中城が前から気になっていたかと言うと、から堀に畝ウネのイメージが鮮烈だったから。
敵が麓から上がってくる通路となるであろう掘割に畝を作る事で、敵の侵入速度を抑えて弓や鉄砲で敵を殲滅する防御構造だったと思われる。
当時はもちろん芝生なんて生えてなくて関東ローム層の赤土なので非常に足元が滑る堀と畝だったという。
多分馬に乗っては上がって来られない。
1590年3月29日、北条方の守備隊は4,000。それに対して豊臣軍は70.000が押し寄せ兵力差は17倍、半日で落城したといわれている。
彦根城や姫路城は物凄く大きな縄張りや掘割があって、壮大な石垣がある典型的な城だけど、戦争で使われてはいない。
この山中城は、石垣もなく天守閣もない正に中世の山城だが、実際に豊臣秀吉の家臣で有名な一柳ひとつやなぎという武将が討死している。多数の戦死者が出た山城という凄味を感じる。
東海道の三島と小田原の間は箱根八里と呼ばれた難所で、その中間に街道を両側から挟む形で本丸、二の丸、三の丸、出丸の砦が築かれて、絶対に敵を止めるという小田原防衛の要だったと思う。
580メートルの山、そこで防御を任された部隊の気持ちは如何だっただろうか。70,000人の豊臣軍に包囲されているわけで、逃走も出来ない。
脚が震えるのか、逆にアドレナリンが噴き出すのか? わからないけど。それを感じる場所。
1680年に東海道の箱根路に実際に使われていた石畳みを発掘して再現した道。