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実戦総合武術!武禅館館長の武芸十八般への道!

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2010年12月12日
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今日は合気道の稽古に行ってまいりました。


僕の通っている道場は少し特殊で楽しいです。
勿論、合気会なので実戦をやるわけではないのですが、先生方が総合格闘技出身だったり、実戦格闘技の出身者で試合でも結構な成績を収められている方なので、武術というものを本当に理解していると思います。
合気道の中だけの合気道ではなく、武術としての強い合気道を追求されている方なので、とても学び甲斐があり、他の動きとは一線を画すところがあります。
様々な武道から取り入れているものが大きく、心が寛容であります。




私の武禅館の道場生は、基本的に僕よりも年齢が上の人があつまっているので、私が教訓を伝えるのもおこがましいと感じる部分もありますが、やはり心構えして欲しいことはたくさんあるので伝えなければなりません。
何事も流儀の中で指示、指定されたことのみしかやらないという心構えでは武術の妙はつかめません。
私の道場の中でも少林寺拳法や合気道、伝統空手を学ばれていたという方が多く見えますが、どうも一癖強いような気がしてなりません。




それは流儀の動きに縛られすぎて自由がないということ。
スパーリングを見ているだけで「あっ!この動きは少林寺だな」とか「この動きは糸東流だな」とか動きを見ただけで何の武道を学んでいるのか分かってしまうというのが残念なような気がします。
それが分かってしまうということは普段の基本稽古や型稽古を実戦の雛形と捉えている証拠。
どんな武道、武術でも結局のところはそうですが、基本稽古や型稽古を実戦の雛形と捉えてはいけません。


ただ身体操法や心法、タイミング、距離…などその他諸々の条件さえ整っていれば、技なんてものは自由でいいんです。
このような形で打て!ということは全くなく、技は技でなくてはよいですし、極論で言ってしまえば条件さえ整えば技はいらないのです。
動きを見ただけで何の武術をやっているのか分かると、相手にとっては料理しやすいものです。




流儀に捉われて、うちはこういう考え方をするという姿勢では強くなれません。
他武道、他武術、他格闘技からでもよいものがあったら即盗む姿勢が大切です。
スパーリングで本気で相手と殴り合う際、「こうしなければならない」という価値観は捨て去ってください。
必要条件さえ守っていれば、あとは全て自由でよいのです。


武術は技や戦いの中にこそ自由があるべきです。




伝統武道における流儀という統制は伝統文化、独自の技術を伝承するという点では間違っていません。
しかし、それでは絶対に強くなれません。
敵は研究しますし、敵は進化します。
アメリカの軍事力を見てみれば分かります。
世界で最高峰といわれた日本の零式戦闘機を徹底的に研究した結果、今ではマッハを越える速度の戦闘機やステルス戦闘機までも開発し、世界一の空軍を所有するに至っています。
戦いとは研究、進化の繰り返しです。


武禅館では日本文化、日本精神の伝承は行います。
しかし、技術体系自体の伝承というのは一切行いません。
基本的な術理の条件さえ掴んでしまえば、あとは個人でどう調理しても構いません。
私はそのような精神を極真で学びましたし、またそれを大切にしたいと思っています。






なぜ極真空手が未だにフルコンタクト空手界の最高峰であり、その大会で実績を収めるのが全空手家の憧れであるのか。
今ではK1の進出で「極真地上最強伝説」は薄れてしまった感はありますが、現在極真勢は真剣に顔面アリや、何でもアリに取り組んでいるので、数十年後、地上最強伝説は復活することは間違いないでしょう。
しかしながら今だに極真の初段は他流派の参段くらいの実力があると教えられましたし、格闘技雑誌などでもそのように頻繁に書かれています。
大袈裟のように思えますが、実際にそれくらいの実力差があることは、様々な異種格闘技戦のようなことを体験してみて体感したことでもあります。


極真はベラボウに強い。
そして強くなくてはならないという自負心が非常に強いのです。
既に極真を退会した僕でも、元高校全日本準優勝、全日本ベスト8として、極真の看板に泥を塗ってはいけないという強迫観念にも似た自負心が未だにあります。
その精神構造が強さの秘訣でもありますが、やはり一番の強さの秘訣は研究、進化にあるのではないでしょうか。




極真では戦いの中にこそ自由があります。
極真の試合を見慣れた人ならば分かると思いますが、より強い有名選手になればなるほど、なんの武道の動きか分からなくなってくるということです。
例えば、過去の数見肇師範やギャリー・オニール師範の技を見比べると一目瞭然です。
成嶋竜先生のような芸術的な技もあれば、野地竜太さんのような突拍子もない破天荒な技もあり、田中健太郎君のような実直な技もあります。


正直、見ていてキックボクシングなのか、テコンドーなのか、意拳なのかさっぱり分からない戦い方をします。
それは元々、極真では他武道、他格闘技の練習法を自身の基本として取り入れていたりなど、年々進化しているからなのです。
他武道から「他所の技をパクって節操がない」とか「あんなの空手じゃない」などと言われますが、別にそれで強いのならばそれでよいのですし、全く問題はないのです。




自分自身でも認めますが、極真は既に空手ではない。
ただ本質をしっかりと見極めているだけであり、誰も極真の技で強くなろうとはしてもいませんし、ただ極真という宗教にも似た概念を手に入れて強くなろうとしているだけなのです。
技というものにこだわりは一切ありません。


それは技一つ見て分かります。
例えば廻し蹴りなどは伝統空手や少林寺拳法などでは中足(前足底)で蹴りますが、極真ではスネで蹴ります。
これは極真がムエタイと対抗戦を行ったときに、その威力に感動してムエタイ式の蹴りを取り入れたことにあり、突きはボクシングから取り入れたものです。
踵落としはアンディ・フグや八巻建二がテコンドーから取り入れたもので、立禅や這い、練りなどの稽古法は数見肇の活躍により意拳から各支部が取り入れたことに始まります。
いい意味でのパクリの集大成が現在の極真なのです。
この研究、進化を留めないからこそ極真はどこよりも強いのです。






この研究、進化の姿勢を我々武禅館も見習わなくてはいけません。
極真は一時期は空手最強を目指し、そして格闘技最強となりました。
現在ではその潮流を復活させるべく極真勢は躍起になっています。




我々、武禅館は極真に倣い格闘技界最強、武術界最強を目指すのか?


それは違います。
我々の理想は一人が一国に匹敵する軍事力に相当する武力を有することを目的としてます。
そして強く、美しい日本人であるべく武士道を研鑽することを目的としています。
武禅館は現代武士を育てる場所であります。




精神論は勿論大切です。
しかし、それ以上に武術である以上、強いことが第一条件であります。
実績なくんば証明されず、証明なくんば信用されず。
その心を持って日々、研究、進化に励むようにお互い切磋琢磨いたしましょう。







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最終更新日  2010年12月12日 22時50分57秒
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