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カテゴリ:徒然日記
タイトルは「我が」であるが、自分のおじいちゃんではない。
☆「我が」→「ワタクシの」という解釈。 その人はとても上品で、穏やかな雰囲気をかもし出している。 御歳80ン才だ。 かつて若かりし頃のお話だ。 ある日、おじいちゃんは町の駅で蜜柑箱の上に立っていた。 「私〇〇は勝って祖国の土を踏みます!」 赤紙出兵だ。 「昭和〇年〇月〇日何時何分」 と、ハッキリおぼえていらっしゃった。 強烈な記憶だ。 その頃、偶然にも戦争物の本を多数読んでいたのでとても興味深かった。 そしておじいちゃんは海軍に配属された。 大きな戦艦に乗せてもらうには、まだ未熟だった為 小型偵察船に配置され、大海原に出て行った。 その偵察船は小型ということもあり、1~2人乗船で精一杯だった。 そして、それが運命の明暗を分けたのだった。 もう少したったら乗れるはずだった日本の戦艦は、 他国の戦艦に撃破され沈んでいった。 それを呆然と眺める以外なにもできなかったおじいちゃん。 自分の小型偵察船のまわりは、あっという間に 血と肉片の海と化した。 「軍人さんの形見を、国の家族に送ってやらなければ・・・。」 その一心で、誰のものかもわからない変わり果てた肉の残骸を必死でかき集めたという。 とても正気の沙汰とはおもえない。 戦争が人をそうさせたのだ。 私にとって、かなりの衝撃だった。 「おじいちゃん、ぜひそのお話を社会科の時間に 学校で話していただきたい。」 と、本心から言った。 その後、おじいちゃんはシベリアにも渡り 当時の指揮官である「トウジョウヒデキ」にも会ったという。 信じられん。 私にとって、歴史の教科書に住むお人だ。 シベリアでは、弁当を持ち雪山越えにいどむのだが、 昼になり弁当を食べようとする頃には、カチカチに凍っているのだそうだ。 いったい、何をたべてシベリアを生き延びてきたのであろうか? まったく持って不思議だ。 私が興味深々で、聞きかじりの知識なども話したりするものだから 二人して大いに盛り上がり帰りには 「また教えてね・・・。」 と、おじいちゃんを見送るのであった。 こういう人格者は、社会の教科書よりもすぐれていると思うのは私だけではないと思う。 本日cashfllow101様からデンワを頂いた。 大学卒の優秀な経歴のため、会話のテンポがとても速い。 まさにトルネードスピンがかかっている。 私の脳内システムでは、 田舎のなまり→(変換するところの~)標準語!となっているため 起動がおそいッ。 こんな私にご連絡いただきまして大変嬉しいです。 本当にありがとうございました。 これからもシッカリ後にツイいていきますので よろしくお願いいたします。 <教訓> 事実は小説より奇なり。人生の先輩に学ぼう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.06 23:49:51
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