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テーマ:旅のあれこれ(10281)
カテゴリ:旅について
空海の七つ星伝説 先月の17日に立ち寄った大阪府河内長野市の観心寺は、五木寛之の「百寺巡礼~第六巻 関西」(講談社 2004年)で取り上げられている。 「百寺巡礼」 五木寛之が訪ねたのは春先の雨の日だったそうだが、自分が訪ねたときはよく晴れて、国宝金堂がまばゆいほどだった。秋の紅葉の時はなおさら美しいだろう。 「国宝、金堂」 如意輪観音座像は年に2日(4月17~18日)しか開帳されない秘仏である。金堂は室町時代に創建され、その後何回かの修理を経て、昭和59年の大修理で現在の姿になったそうだ。この金堂の前に「礼拝石」という石があったことには気づかなかった。 「正面に金堂。その手前には平らな石。これは「礼拝石」と呼ばれているものだ。 金堂の前にある小さな祠は自分の写真にも確かに写っている。この金堂の回りには、空海が礼拝した北斗七星に見立てた七つの自然石が置かれていて、それを一巡すればその年の厄払いになるという。旅から帰ってから気付いたが、受付でもらった「観心寺だより」には「日本唯一の星塚~一巡は約10分です」と書いてあった。 「この七つの星塚には、それぞれ舌をかみそうな名前がついていた。貪狼星、巨門星、 ロマンチックと言えば、本尊の如意輪観音座像ほど官能的でロマンチックな仏像は、知っている限りではない。一目実物を見たかった。 七つの星の名は中国式の呼び方である。ちなみに北方鎌三に「破軍の星」という作品があるが、「破軍星」は北斗七星のひしゃくの形の一番手元の星である。 今でこそ舗装された府道201号線沿いになったが、観心寺のある場所は、むかしは密教の修行の場にふさわしい人里離れた山奥だった。だから、今よりもひときわ輝く北斗七星が眺められたことだろう。 今回のツーリングで折角観心寺を訪ねたのに、この「日本唯一の星塚」のことは知らなかった。もう厄年は過ぎたが、せめて本物の七つ星に向かって礼拝してみようか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012/10/06 12:42:12 AM
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