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テーマ:中学校社会科(59)
カテゴリ:教育全般と社会科教育
初めての外交使節団の旅路 下記は1879(明治11)年に発行された、ある書籍の冒頭の部分である。 此書ハ、遣欧米特命全権大使、東京ヲ発シ、太平海を航シ、米国ニ留リ、圧瀾的洋ヲ経テ、 1871(明治4年)12月12日に横浜を出発した岩倉具視を全権大使とする使節団は、1873年9月13日に帰国するまで、実に1年9ヶ月にわたって西欧諸国を歴訪した。条約改正の準備のための訪問であったが、実質的には西欧諸国の政治経済の諸制度や文化を見聞する旅だった。 上の文章は、岩倉使節団に随行した太政官少書記官だった久米邦武が編集した「米欧回覧実記」の書き出しの部分である。久米は旧佐賀藩士で出発時の年齢は32歳だった。 「岩倉使節団の旅」 全権大使の岩倉具視はちょんまげと羽織袴に靴履きという和洋折衷の服装で写っている。この写真は今までもほとんどの教科書に載っていた。しかし、久米邦武の「米欧回覧実記」の文章や使節団の経路図が掲載されている点が目新しい。最近の教科書は本文を精選し資料を増やしビジュアルになった。大人も読んで楽しめるものになっている。 久米邦武は同じ佐賀藩出身の大隈重信の1歳年下だった。「米欧回覧実記」の出版後東京大学や東京専門学校(のちの早稲田大学)の教授となり日本の歴史学の基礎を築いた。なお、写真の中の山口尚芳(ひさよし)も佐賀藩士で、当時の地位は外務少輔(現在の外務次官)だった。 さて、冒頭の文章にはたくさんの国の名前が出てくる。漢字表記のためにわかりにくいが、岩波文庫版の「米欧回覧実記」にはフリガナがつけられている。 「米欧回覧実記~岩波文庫版」 <歴訪した国々> <おもな地名> 「米欧回覧実記」(岩波文庫版)は全5巻である。カナ混じりの文体で現在は使われていない漢字も多くて読みづらいが、近代国家建設のために何でも吸収しようという明治政府の若きリーダーたちの意気込みが伝わってくる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/03/19 03:32:29 PM
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