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カテゴリ:最近読んだ本
「日本の中の朝鮮をゆく 九州編」 巻末の略歴によると、著者の兪弘濬(ユ・ホンジュン)は1549年ソウル生まれ。美術評論家でノ・テウ政権で文化財庁長官を務め、現在は明知大学校美術史学科教授とある。 前書きによると、彼は1986年から10年間にわたり海外韓国文化財調査チームして毎年10日から2週間日本を訪問している。その後も個人や団体で度々訪日して調査を続けている。 この本を執筆することになった直接のきっかけは、2012年に九州で韓国から修学旅行に来ていた高校生に会ったとき、韓国の高校生が「日本の古代文化はみんな私たちが作ってあげたと思っていたけど、そうではないのですね」と言ったことからだったという。 「日本の中の朝鮮をゆく 九州編」 著者は、韓日間の問題は誤った歴史認識と歴史歪曲からきていて、韓日両国の歴史書は、あちこちで偏狭は歴史認識を見せていると述べている。そのうえで次のように要約している。 本書は大所高所的な観点から、半島と日本列島との文化交流史を考察している。今は日本の書店に多くの反韓論や嫌韓論が並んでいる。それらには事実も含まれ日本人として共感する面もあるにしても、本書を読めば今の日本の煽り立てるような反韓感情が恥ずかしく思えてくる。 本書は「第1部・北九州」と「第2部・南九州」の2部構成になっている。「第1部・北九州」は、2012年の冬に明知大学の美術史学科の学生たち40名と北九州地方を2泊3日で踏査したときのことを紀行文風にまとめたものである。 書かれている場所は、踏査コース順に、吉野ヶ里・肥前名護屋城・加唐島と武寧王・呼子のイカ刺し・唐津城・旧高取亭・鏡神社・唐津焼・虹の松原・有田・陶祖李参三平の墓・泉山・・九州当時博物館・伊万里・武雄温泉・嬉野温泉・太宰府天満宮・水城などなどである。 著者は、本書の至るところで、朝鮮文化を取り入れそれを日本独自の工夫や発想で昇華させていった日本人に敬意を示している。陶磁器の世界でも、日本が唐津、有田、萩など各地で特色ある伝統を築いていったことに感心している。そして次のように述べている。 「唐津焼のこうした活力にあふれる姿を見ると、私は残念さと恥ずかしさを感じる。日本 また、筆者は古代の朝鮮半島と日本には国境を越えたつながりがあったことを指摘している。高句麗・新羅・百済時代を「三国時代」と言っているが、本当は「伽耶」と「倭=日本」を加えた「五国時代」と見るべきではないかと提起している。その発想には大いに共感する この時の踏査では加唐島は名護屋城跡から遠望するだけで終わっている。しかし、百済中興の王武寧王が加唐島で生まれたことや、その後の百済滅亡時の百済と倭国の親密な関係についても触れている。(表紙下部の写真は名護屋城からの遠望で、上右にある島が加唐島) 「武寧王の生誕地オビヤ浦」 「武寧王が使った産湯」 著者は、1999年に武寧王交流唐津市実行委員会が組織され、毎年武寧王の誕生祭が加唐島で行われていることに触れている。また、韓国の公州市は市民の募金で2006年に武寧王生誕記念碑を加唐漁港に建てたことも書いている。オビヤ浦と記念碑の写真も掲載されている。 「オビヤ浦と武寧王生誕記念碑」 著者は美術史が専攻で日本史全体には通じていないと、自ら述べている。でもだからこそ、本書は専門的になりすぎず、我々日本人にとって分かりやすい日韓文化交流史となっている。そこには訳者である橋本繁の力も大きかったろうと考えられる。訳者あとがきには次のようにある。 「専門的な内容を含む日本紀行の本が韓国で好評をもって受け入れられているという事実 訳者の力量による部分も大きいと思うが、文章は格調高く整えられ、かつ適度のユーモアがある。故司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの雰囲気によく似ている。著者は大の司馬ファンという。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックしてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015/03/12 11:50:28 PM
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