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鎮魂の島、ペリリュー島 エリアスタディ(Area Studies)とは単なる地理学(geography)ではない。歴史学,文化人類学,社会学,言語学,政治学,経済学などにより、多面的に一つの地域を研究することである。 最近「ミクロネシアを知るための60章 第2版」(印東道子編著~明石書店2015年2月18日)を読んでいる。このシリーズは現時点で何と133册が発行されている。第2版、3版と改訂版が出ているものも多く、世界は常に変貌しているということを表している。 「ミクロネシアを知るための60章 第2版」 「ポリネシア(Polynesia)」は「多くの島々」という意味で、大まかに言えばチリのイースター島とハワイとニュージーランドを結んだ大きな三角形の範囲を言う。三角形の頂点の島々のほかに、タヒチ、サモア、ツバル、トンガなどが含まれる。 「メラネシア(Melanesia)」は「黒い島々」という意味で、ニューギニア島とその東部のソロモン諸島やフィジーを含む地域である。ポリネシアの西、赤道より南の地域を指す。 「ミクロネシア(Micronesia)」は「小さな島々」という意味で、マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島、ギルバート諸島がある。ポリネシアの西北、赤道より北の地域である。 国にして5ヶ国、総面積3,200平方km、総人口約50万人しかいない「ミクロネシア」が、エリアスタディのテーマに取りあげられ1冊の本になったのは希有というべきだ。 この本単体ではあんまり売れないだろうが、シリーズ全体で売れていればいいのだろう。「ミクロネシア」の地域は赤道以北の南太平洋であるが、第1次世界大戦後は敗戦国ドイツに替わって日本が信託統治をしていた。その点で日本と関係があり、今も対日感情は概して良いという。 日本は、1932年に国際連盟を脱退してから、連盟から禁止されていたミクロネシアの軍事化を図った。しかしヨーロッパ諸国とは違い、民生安定のための生活インフラの整備や産業振興、教育の普及なども行った。その点が、単に収奪だけだったヨーロッパのアジア支配と異なる。 しかし、第2次世界大戦末期に南太平洋戦線で日本軍の撤退や玉砕が続き、マリアナ諸島(サイパンなど)やカロリン諸島(トラック島、パラオ諸島など)は絶対国防圏に位置付けられた。そのため、南太平洋のこれらの島々は激戦地となり、多くの日米の若者が亡くなった。 先月、天皇陛下と皇后陛下が戦後70周年の節目として、パラオ共和国を慰霊訪問された。そして、両陛下は全ての戦没者の冥福を祈られた。両陛下が訪れられたペリリュー島は、パラオ本島からさらに南に位置する長さ9km、幅3kmの小さな島である。 「ペルリュー戦い いまだ終わらず」 この小さな島で、日本軍の約9千人の守備隊と、海兵隊第1師団を中心とする約4万人のアメリカ軍との激戦が行われた。そして、あまり知られていないが、アメリカ軍がミッドウェー海戦の勝利以来、作戦変更、死傷者の増加による海兵師団の交替を強いられたのがこのペリリュー島の戦いだった。 なぜこの島が戦いの地となったかといえば、この島に大きな滑走路を日本軍が持っていたからだ。珊瑚礁の島は平坦で滑走路が作りやすいのだ。 圧倒的な火力により米軍は優位に戦いを進めた。1944年11月24日、日本軍司令官、第14師団第2連隊長中川大佐が自決して2ヶ月半に及んだ戦いが終わる。 この戦いは当初はアメリカ軍は数日で終わると考えていた。しかし、日本軍は事前のアメリカ軍の艦砲射撃に耐えうる地下壕を建設していた。そしてアメリカ軍上陸後は、死者が多い突撃戦法を止め、ゲリラ戦による持久戦に持ち込んだ。 組織的戦闘が終わったあと、生き残った兵は約70名だったという。しかし、陸海軍の混成であったことや投降することについての内部対立などで段々とその数が減っていった。 悲劇は8月15日の終戦後も、残存兵たちはそれを知らずにいたことである。最終的には、島でサバイバルしていた日本兵34人が生き残って生還を果たした。「ペルリュー戦い いまだ終わらず」は、その経過を語った貴重な記録である。 ペリリュー島では、米軍1,600人(戦傷者約7000人)、日本軍約1万人が亡くなった。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015/04/24 02:22:10 PM
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