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Shige & Happy の 気まぐれ写真日記

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2015/10/24
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カテゴリ:日本史・世界史

戦後の思想史を自分史と重ねて記述した本

 今年は1945年の終戦から70年目の節目の年だ。終戦記念日を中心に、戦争関係書籍の出版も多く、関連する新聞記事やテレビ番組も目についた。今年は戦後70周年ブームの年なのだ。

 しかし、自分はことさら気にかけなかった。中には力作、名作、名文もあったと思うが、ブームに乗じ、売らんかな精神むき出しのジャーナズムにはあえて背を向けていたい気分だった。

 しかし、最近読んだ「革新幻想の戦後史 上・下」(竹内洋:中公文庫 2015年9月25日)は面白かった。戦後の革新ブームがおこした様々な熱狂、そしてその背景にあったアカデミックな背景が一枚一枚皮をめくるように明らかにされていく。

「革新幻想の戦後史 上・下」
革新幻想の戦後史151024
(この本を読み進めることは、一つの大きな知的ゲームだった)

 「左派であらざればインテリにあらず」は本の帯にあるが、「平氏でなければ人でない」と同じように、戦後の大学の教室や論壇は左翼思想で固められていたということだ。民主的イコール共産党や社会党を支持するということで、日教組を中心に教育界もそういう傾向だった。

 「岩波」や「朝日」に登場する評論家や学者がもてはやされた。この頃のインテリにとって「世界(岩波書店)」や「朝日ジャーナル」を読むこと(持つこと)は生活の一部だった。

 著者は1942年の生まれで、戦争を知らない世代といっていい。京都大学教育学部で教育社会学を学んでいる。いったん就職したあと大学院で再び学び直し、京都大学大学院教育学研究科教授などを務めている。現在の肩書きは、関西大学・京都大学名誉教授である。

 この本のユニークさは、戦後の思想史を自らの戦後史と重ね合わせながら書いている点である。自分は著者とは少し遅い世代であるが、著者が過ごした学生時代(1960年代を中心とする「革新幻想」の時代)の雰囲気はまあまあ想像できる。

 「はじめに-自分史としての戦後史」の中で、著者は次のようなことを書いている。

  朝鮮戦争が勃発したときは、小学校3年生だった。疎開地で小さな材木業をはじめた父親
 が「これで景気がよくなる」と、上機嫌ではしゃいでいた。そのことを思い出して、のちに
 作文の宿題で「朝鮮戦争と父」という題で、このときの違和感を書いた。平和教育に熱心な
 先生にいたくほめられ、同級生の前で作文を読まされた。いま思えば、この作文は自分の違
 和感だけで書いたのか、それとも平和教育に熱心な先生にほめられたいから書いたのかわか
 らない。おそらくその両方だったのだろう。 (本書 P4)

 こうして著者は、自分史を戦後史の中で考えることを始める。

  しかし、戦後史といっても経済史や政治史など多面的である。そのなかでも自分にとって
 一番気になるものを解き口にしたいと思った。それが「革新幻想」という「進歩的」思想と
 それを焚きつけた雰囲気や背後感情だった。「革新都政」とか「革新知事」とか言われたと
 きの「革新」である。
   というのも、私たちの世代、多分1970年あたりまでに大学に入学した世代にとって、革
 新幻想はキャンパスの空気(世論)そのものだったからである。
(本書 P7)

  こう書かれると自分(1970年入学)も、かろうじて「革新幻想」の時代のキャンパスにいたことになる。大学生協の書店には「新日本出版」、「岩波書店」、「朝日新聞社」などの左派系の書籍が多かった。大学生協自体が特定のセクトの拠点だったりしていた時代なのだ。

 「ノンポリ」といえば当時少し嘲笑を帯びて使われた言葉だ。しかし自分は本の出版社を見て「新日本出版」だと引いてしまっていた。特定のセクトには染まりたくないという、積極的な(?)ノンポリだった。強いて言えば「ノンポリ・リベラリスト」とでも言おうか。

 まあ、自分のことはさておき、この本の「はじめに」に戻ると次のような記述もある。

  友人たちに「吉本隆明もいいけど、福田恆存はもっといいぞ」と言ってしまって、魯鈍な奴
 と思われたり、女子学生に「この人右翼よ」と言われたりしたこともある。大学においては、
 左翼が体制で保守派こそが反体制ではないか。にもかかわらず、自分たちは反体制だとのみ
 思い込んでいるところや、自分たちこそ正義や知性やヒューマン価値の担い手の「意識高い」
 系であるとする臆面のなさが鼻につきだした。
 (本書 P11)

 そして、自分の学生時代から半世紀が過ぎた現代の大学の風潮については、大学教員という体験を踏まえ諧謔を込めながら次のように書いている。

  いまや、大学キャンパスにおける革新幻想の席捲は過去の話に見える。それどころか、保
 守・革新や右翼・左翼の識別さえままならない世代がキャンパスを構成している。
  そういえば、ある国立大学で「丸山真男とその時代」についての集中講義をし、右翼や左
 翼という言葉を使用したことがあるが、そのときである。「先生、”サヨク”ってなんですか。
 右翼はわかるけど」と質問された。いまの学生にとっては、右翼は街宣車やあるいはネット
 ウヨクでイメージできても、左翼はピンとこないのだろう。
 (本書 P13)

  「はじめに」がこうだから、本論はもっと面白い。引用される論文や資料も多いが、登場する人物も、三島由紀夫、丸山真男、石坂洋次郎、小田実など、とても多彩である。

 今年は戦後70年であるが、考えてみれば来年は「昭和90年」である。「70年」も「90年」も、歴史的検証に耐えられるだけの一かたまりの時代になったのだ。しかも、この時代のことについては多数の文献史料が残されている。この本はそのことを実証して見せた力作である。

 本作は、2012年「第13回読売・吉野作造賞」を受賞した。時流に流されず、時代の評価に耐えられる言論を見極める力を身につけたい。

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Last updated  2015/10/27 06:19:11 PM
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