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カテゴリ:最近思うこと
「男はつらいよ~第48作」最終作の年 今日は阪神淡路大震災から24年目の慰霊の日である。1995年1月17日朝の職場で見たテレビの映像は、まるで映画の一場面のようだった。午前5時46分に発生した、淡路島北部を震央とする地震は最大震度7を記録し、特に神戸市街地の被害は甚大で、最終的な犠牲者は6,434人に及んだ。 そういえば、映画「男はつらいよ」の中で、「寅さん」が被災地の神戸で「皆さんご苦労様です」と声をかけていたシーンがあった。調べてみると、このシーンは結果的に渥美清の遺作となった第48作「男はつらいよ~紅の花」(1995年12月公開)のワンシーンだった。 「第48作ポスター」 体調悪化の中、48作を撮ったのは奇跡に近かった。ポスターでは笑顔だが、最終作「男はつらいよ~紅の花」では顔に張りがなく表情にも生気がなかった。 その48作で4回目のマドンナを演じた、リリー役の浅丘ルリ子は渥美清の体調悪化を知り、最後は寅さんとリリーを結婚させてくれと山田洋治監督に頼んだという。しかし、監督には第50作までの構想があり、この願いは叶わなかった。 我慢強い本人は人に気付かせぬ様に辛さを抑えて47作、48作を演じた。そして1996年7月末に手術を受けたが、肺への転移は広がりもう手遅れだった。それ以降渥美清は病床の人となった。 「柴又駅ホーム」 渥美清は1996年(平成8年)8月4日、転移性肺癌のために死亡した。享年68歳、若すぎる死である。公表されたのは密葬が終わった死後3日後だった。 すぐに恋に落ち、とらやの連中をあたふたと慌てさせるくせに、最後には女心がつかめずあっさりと身を引く。今でいえば寅さんは発達障害だったのかもしれない。 阪神淡路大震災から来年で4半世紀、寅さんシリーズが終わってからも25年。今の日本は寅さんにはどう映っているだろう。よく赤電話でとらやに電話していたが、いま寅さんが生きていたらスマホを使いこなしているだろうか。 Windows95の発売は1995年11月23日で、自分が携帯電話を使い始めたのは1996年8月だった。寅さんの時代はパソコンもインターネットも携帯電話もまだ黎明期だった。もちろんスマホもない。寅さんにはあのかな釘文字のハガキが一番似合う。 「寅さんの像」 寅さんは今より時間がまだゆっくり流れていた最後の時代を生きた。日本では阪神淡路大震災以来、東日本大震災や近年の広島や熊本の集中豪雨など、自然災害が大変増えている。 政治の世界では、国際協調主義から自国第一主義、自由貿易から保護貿易へと、極端な自己主張をするリーダーがたくさんいる。本当に困ったものである。そういう意味では今年の漢字も「災」、それも「人災」の「災」にならなければいいが…。 寅さんはこの世情をどう思っているだろう。寅さんの名文句を聞きたい。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/01/18 01:07:21 AM
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