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テーマ:新型コロナウィルス(56)
カテゴリ:最近思うこと
唐津くんちもコロナには勝てなかった
1988年(昭和63年)の秋、昭和天皇の容体は日々重態となっていた。各地の秋祭りは自粛ムードの中で次々に中止になった。しかしそのような中でも、唐津くんちは天皇の平癒を祈って開催された。唐津っ子にとってくんちは誇り高い行事なのだ。 しかし、新型コロナウイルス感染症の世界的流行のため、今年は神事のみ実施され、曳山巡行は中止された。これは200年の歴史の中で初めてのことである。 「寂しい境内」 (例年なら、3日間で延べ50万人の観光客が訪れるのだが) 唐津藩の各町の町人たちが、江戸後半から明治初期にかけて趣向を凝らした曳山をつくった。兜や獅子頭など、ユニークで豪華な曳山が、11月2日の宵山、3日の御旅所巡行、4日の町まわりと、唐津の城下町はおくんち一色に彩られる。 唐津くんちの秋の例大祭で、神輿の御神幸が始まったのは寛文年間(1661年~1673年)とされる。御神幸に曳山が従うようになったのは一番曳山の「赤獅子」が奉納された文政2年(1819年)からである。赤獅子は昨年が制作200周年だった。 「7番山「飛龍」~2013年撮影」 (宵山は11月2日の夜、各曳山はぼんぼりを灯して町まわりを行う) 明治9年(1876年)までに15台の曳山が制作されたが、その後紺屋町の黒獅子が破損した。現在は14台の曳山が、笛・太鼓・鐘の囃子にあわせた曳子(ひきこ)たちの「エンヤ、エンヤ」「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声とともに旧城下町を巡行する。 最近また各地で感染者が増えている。経済振興とコロナウィルスの封じ込めは、相反する命題である。日本は他国と比べれば感染者数、重症者数ともにかなり少ない。そこが救いでもある。来年こそは唐津くんちが実施されることを祈りたい。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/11/15 04:42:30 PM
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