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カテゴリ:つれづれなる思い
引っ越してきて半年。居候生活ですが…。
庭に、さまざまな植物が住んでいます。 誰も手入れはしていませんが、気づけば、花がいろんなところで「こんにちは」しています。 雑草と言われる草花も可愛くて、出かけるときにはいつも挨拶をしています。 先日、山籠もりから帰ってきたら、車庫の草花(雑草)が枯葉剤で死んでいました。 あんなに可愛く咲いていたのに…。「ごめんね~」 しかし、数日すると、また違う所から芽を出してくれているのを発見して、少しほっとしたのです。 こんなことで、心は大きく動かされる。 「水仙は人に見せようと思って 咲くわけじゃないんだなあ ただ咲くだけ ただひたすら、人が見ようが見まいが そんなことおかまいなし ただいのちいっぱいに 自分の花を咲かすだけ 自分の花を」 相田みつを 冬の間殺風景だった庭に、草に紛れてたった一輪だけきれいな花が咲きました。 誰が植えたわけでもなく、誰かのために咲かせているわけでもない。 見ては笑みがこみ上げてきて、雨がざあざあ降っている日も、花が悦んでいると思うとうれしくなったり…。 勝手に一喜一憂する私の心。 人間の心は、本当に勝手なものです。すべては人の心が作り出すもの。 色即是空、空即是色…。 この花を見るたびに、脳裏によぎる言葉があります。 「映るとも月も思はず、映すとも水も思はぬ 広沢の池」 武術稽古において、この境地に至らなければならない。道端の野草たちに気づかされることは日々多し…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021年05月25日 07時13分20秒
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