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半北京半日本+αの徒然日記

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2022年10月20日
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カテゴリ:つれづれなる思い
ある人はなぜ好んで修行と言う道を選ぶのか。

修行が意味するものとは?

たまたま目に留まった修行僧のお話。

「修行とは、修めるのは、他でもない障害である。」
「毎日勤行に励み、修行という道を選んだは良いものの、励めば励むほど障害が増してくる。これ如何に?」

次から次へとありとあらゆる不幸が一気に押し寄せてくる気がする。
修行しても一向に良い方向へ向かわない。

このように感じる瞬間があるかもしれない。

「それは、まさに三生三世の業力に自ら果敢に立ち向かうからである。」
前世、現世、来世の自分が必ず辿らなければならない険しい業がある。修行を始めるとその種は速度を増して顕現化し、乗り越えるべき障害となる。
修行をしなければ、こんなに苦しい思いはしないかもしれないが、現世でなければ、来世。必ず処理しなけれなならない。
業力を修めるとエネルギーは徐々に増していくが、その過程は悲惨なものである。
側から見ると「修行すればするほど煩悩は増し、面倒ごとも増し、健康を害す。」
しかし、長期的に見れば、最速で自らの業を処理している過程だということがわかる。


自分が苦しい時、不安に感じる時があったら、この話を思い出して、しっかりと業を修めていこうと思う。





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Last updated  2022年10月20日 20時06分59秒
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