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新英語教育研究会神奈川支部HP

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1998 羽仁 協子さん「問い直そう、学校の在り方を」

■5月合宿例会報告 1998年5月16~17日 川崎市民プラザにて 参加者:21名

●1998.5 講演:「問い直そう、学校の在り方を」
羽仁 協子さん(黄柳野[つげの]高校理事長)
◆ 「つげ野高校」「コダーイ」「ハンガリー語」「わらべ歌」。教育と音楽と言語と民族の結びつきを強く感じました。参加者全員でわらべ歌に振りつけをして歌ったり、楽しい講演でした。

(1) 生い立ち
●祖母は「自由学園」創設者、兄は映画監督羽仁進氏。協子さんは1948~69年までヨーロッパにいた。
●戦前の「自由学園」は「ご真影がない」「(憲兵がきて脅しても)自由というカンバンをおろさなかった」というまさに自由な校風だった。

(2) 黄柳野高校
●愛知県豊橋から車で小1時間、1995年に創立して4年、在校生350名(男241、女109)。全寮制、年間学費は約100万円(交通費別:寮から週末に家に帰る)。
●不登校の経験を持つ生徒が6割。(寮に入ることで親との関係がうまくとれる。最寄りのコンビニまで徒歩4キロ!という「距離」が立ち直るきっかけになっている。)
 専門医が2名おり、当初「学校が生み出す『ひきこもり』をずぶの素人がみるなんて無理」と言われたが、今では「診療所では出来ないことをしている」と評価してくれている。
●高校の特色:先生を生徒は「スタッフ」と呼ぶ。どんな子も追い出さない。生徒の意志を最大限に尊重。
●「田舎のない人の田舎になりたい」と考えているので、ぜひいらしてください。[ちなみにN先生はご家族で秋に訪れ、木造校舎のペンキ塗りをお手伝いし、柿の実と木の枝を持ち帰り、小学校の先生をしている奥様は美術の時間に木を使って工作したそうです] 木造校舎の維持などに寄付を必要としている。[?05363-4-0330]
●98年度転編入学者選考募集:第2回6月17~19日 費用3万円。体験入学7月下旬/10月中旬・下旬。

(3)  ハンガリー体験
(a)  コダーイ・システム
ハンガリーの音楽家コダーイは「異民族の音楽をしているから音痴になる」「普通の人が人格を豊かにするのに民族の伝承が必要」と考えた。そして「わらべうた」のような自分の民俗の音楽を学んでおけば、外国音楽にも馴染めるとし、バルトークなどと共に活動した。しかし、当時の親たちは「学校では知らないことを習うもの。すでに知っているわらべうたを習うのは無駄だから、子どもたちを働かせた方がよい」と考え、うまくいかなかった。[日本では「(西洋のメロディーに日本語をのせた)唱歌」「(日本独自の)足踏みオルガン」が典型例。教師は生徒が知らないことを教えるものだという上意下達の考えに疑問を呈するのが羽仁さんの考え方。]

(b)  ハンガリー語講座
●ウラル・アルタイ系。マジャール語、古フィンランド語[大学で履修]に近い。
●EU内で統一したカリキュラムで「現代外国語」があり、日本語を学ぶ小学生も多いそうです[羽仁さんによると「金持ちの国の言葉はすぐ覚える」]。さてそこで問題。
●Q: あなたはハンガリーの小学生に日本語を教えることになりました。日本語の特色を説明するとしたら、何と小学生に話しますか?
 A: 日本語の単語には1音で発音できるものが多い。
    例)「ケ(毛)」「ハ(歯)」「メ(目)」「チ(血)」
●ハンガリー語での I love you. = Szeretlek.(セレトレック)
I you love.= 始 t使ed szeretlek.(エン テーゲド セレトレック)
・解説:「私は君を愛しています」という語順になるが、主語が1人称(話し手)と目的語が2人称(聞き手)の場合は格変化で-lak / -lek をとることになっているため「私は君を」の部分は省略する。
例)V?lak.「私はあなたを待っています」
●ハンガリー語で体の部位は…  k斯(ケーズ)「手」、 gyomor(ジョモル)「鼻」

(c)  わらべうた
●ハンガリーの音楽家、バルトークとコダーイは1925年頃トランシルバニアの部落でハンガリーの民謡と西洋の7音階とは異なる「5音階(ペンタトニック)」を発見した。[日本の演歌も「ファ・シ」の音を抜いた「ドレミソラ」でできている]
●日本のわらべうたは、「タコタコあがれ」の「タコタコ」の音のように音階の差が2度になっているものがある。この2度という音階は珍しい。
●「とのさま お客座、ふたりのご家来、おんどり めんどり 急いでご入来、ちんちょっぱ、ちんちょっぱ、ちんちょっぱ、ちん」[遊ばせ歌の一種。顔を使って、額→眉→目→顎の順にたたきながら歌う]
●「おじいさん、おばあさん、なにくってかがんだ? えび食ってかがんだ」と歌いながら、杖をもって次の人に渡していく遊び。
参考文献:コダーイ芸研選書22『新訂 わらべうたであそぼう』


(4)  羽仁語録
◆なにごとも「上手/下手」というものでもないと思うのだが、日本ではすべてにおいて「上手」でなければならない、とされている! 音楽の世界では「コンクール」という病が蔓延している。
◆小学校唱歌は音とコトバをボンドでつけたようなものである。
◆現代国語の教師用マニュアルを読むと、まるで「化け物屋敷のようである」。参考文献は系統的に提示されておらず、生徒のためではなく、それでゴハンを食べている人の関心だけで書いているとしか思えない。
◆辻井たかし(堤清二)『詩が生まれるとき』(講談社新書)にあるが、マスコミと詩人は戦っていて、人々が日常を真摯に生きることが難しくなっていると書いてあったが、詩人と教師の苦しみは同じだと思う。自分の血と肉のコトバではないことばをマスコミによって話させられている。テレビは小学校以前の子どもには見せない方がいい。また、自動車とテレビというのは人々が1方向に向いていてもコミュニケーションが成立し、向かい合うことがないという点で原子爆弾ほどのおそろしいものである。

■参加者から出された感想
・「子どもは小学校にあがるまで、テレビはダメ」の一言にはドキッとした。英語を教えていて、子どもたちの日本語の貧しさに嘆くこともあった。「母語が愛せなければ国も愛せない、人も愛せない。」これがわかるまでに私も時間がかかった。
・英語を地に根をはった生き物としてとらえるには我々が英語界にとってはじめは「外」のものであるのだということを冷静に思い出さなくてはならないと思いました。テレビのお話、納得です。まさに、教室がそうですよね。日本だけ、先生を呼び捨てにする悪しき習慣があるのもそのせいでしょうか? 
・つげ野高校のことは初めて知りました。本を読んでもっとよく知りたいです。
・今でもドイツは嫌いなのかな、あの映画は嫌いなのかなと、著書『遠くからきた鏡』の中の羽仁さんを思い出しながら、興味深く話を聞いていました。おもしろかったです。ありがとうございました。
・教育の原点を思わせるお話で、考え直すべき視点がたくさんありました。ただやはり現実とのギャップは大きいと痛感します。


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