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■神奈川支部 12月例会(オンライン)のお知らせ ●日時:12月17日(日) 午後3:00~5:30 3:00 ~ 入室開始 3:10 ~ 3:55 中学校レポート 3:55 ~ 4:10 質疑応答 4:20 ~ 5:05 高校レポート 5:05 ~ 5:20 質疑応答 5:20 ~ 5:30 事務連絡・アンケート記入 ●参加条件:神奈川支部会員、事務局が参加を認めた方 ●参加申し込み:会報担当・和田(sasuke@mbd.ocn.ne.jp)にメールを下さい。 URL、IDとパスコードを送ります。 中学校実践報告:「心を動かす授業づくり~折句の詩・100人村ワークショップ~」 藤本文香さん(東京・ 中学校) レポーターから: ①「世界がもし100人の村だったら」の体験型授業 英文から数字データを見つけるだけで世界の現状を読み取れたといえるのかという疑問から,「ワークショップ版・世界がもし100人の村だったら第6版」(開発教育協会)を使って実践を行う。「役割カード」に従い実際にグループを作ったり,クイズに答えたりしながら,世界の現状を実感。授業後,ふだんは授業に参加しづらい生徒が一番に感想を提出した。何かを感じ取ってくれたのではないかと思う。 ②3年間を締めくくる言葉を「折句」で表現 豊かな自己表現をめざした1年間の授業の結晶の数々を紹介します。 高校実践報告:「読解とスピーチにひと工夫~ちゃんと読む・話す~」 小原百合子さん(静岡・浜松湖東高等学校) レポーターから:教科書をちゃんと読むとは、 • 情報を整理したり、まとめたりできる。 • 文章の流れ(時系列、課題⇒解決、抽象⇒具体など)や、筆者の意見を読み取れる。 • 内容について、推測したり、考えたりすることだと考えます。 英語を自分の言葉としてちゃんと話すとは、 • 情報や自分の考えを伝えるために、英語を話す。 • 発音できても、自分で自分の言っている内容はわからん…から脱却しようと授業を組み立てています。 ★次回以降の例会 ZOOMによるオンライン例会を予定しています。(10/7の合同例会はオンライン+現地参加) * 3/17(日) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 新英研のサイト(見城さんがsakuraに移行中、多謝!)もご覧下さい! hhttp://www.shin-eiken.com/act/reikai/2021/kanagawa2107.html http://shineiken.sakura.ne.jp/wp/act/reikai/kanagawa/kanagawa2021-7 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 愛吉・すずのバラ(HPタイトル部分) 草花を愛した久保山愛吉さんを偲び、すずさんが育て続けたバラ。「被爆者と遺族が生きているうちに一発残らず核兵器の廃絶を」と願い続けたすずさん。亡くなられた1993年秋にご遺族から展示館に寄贈された。品種はモンパルナス。2006年8月新英研全国大会直後、東京・夢の島・第五福竜丸展示館で撮影。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★『神奈川新英語教育研究会50周年記念誌』のご案内 『神奈川新英語教育研究会50周年記念誌』が先日完成しました。ご一読いただけると、幸いです。 総ページ数:144ページ 内容:第1部 50周年に寄せて 第2部 実践の記録 第3部 活動の記録 発行:2020年7月11日 入手方法:郵送料込みで1,000円でお分けします。 萩原一郎(fwnf6910※nifty.com)(※を@にしてください)にご住所とお名前をお知らせ下さい。 代金は指定された郵便口座への振り込みになります(申し訳ありませんが、振込手数料をご負担願います)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2021.12.24 英文法のルターさんの#英語教師のバトン 今日は新人A先生に「英検の受験料を高校生が値下げして欲しいと署名集めていましたが、そもそも国公立の入試に私企業・日本英語検定協会が入り込んでいるのがおかしい。漢検も英検も受けたい人が受ければ良い。授業では『幸福な王子』のような物語を読んでほしい」と #教師のバトン を手渡した。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2022.7.31 ●英文法、ルターの提案❶:現在完了形・現在完了進行形で見落とされている用法があります。 ◆現在完了形《動作の未遂の継続》「(最近、ずっと)~していない」 ※動作動詞の否定+起点(since ~)・期間(for ~) I haven’t seen her since last Friday. 私は金曜日から彼女に会っていない。 I haven’t had a haircut for two months. 私は2ヶ月間散髪していない。 How long have you not had a haircut? どのくらい散髪していないのですか。 ◆現在完了進行形の《臨場感ある完了》「(さっきまで)~していたんだ」 (現在完了形《完了》「(すでに)~している」よりも臨場感がある。 現在完了進行形《動作の継続》(今までずっと)~している)とは異なる。) I’ve been running. (さっきまで)走っていたんだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ●英文法、ルターの提案❷:英文法のルターさんの問題意識(2005年~2023年8月現在) 1. 日本の英語教育の問題点は「教材や付録の不備」にあるとルターは考えています。 例1) 規則動詞の発音(watched ウォッチトゥ)や 不規則動詞の発音(won ワぁン, drewドゥルゥー)が出来ない生徒がいるのは 発音が書いていないせいです。 →ルター式英文法では「発音記号にカナ振り」を提唱します。 例2) studyingのyを取ってしまう生徒がいるのは studiesやstudiedの「-es,-ed」と混同しているからです。 →ルター式英文法では「つづりと発音のルールを中学高校教科書巻末付録に常時掲載すること」を提唱します。 https://eibumpoluther.com/eibumpoluthers-appendix-rules-01-spelling-and-pronunciation-8pages/ 例3)Do they ~?や Have they ~?など組み合わせが分かっていない生徒が多いのは「表」がないからです。 2.また、英文法の誤解を解き、体系を提示する必要があるとルターは考えています。 例1) 時制は2つです! =現在時制(説明文向き)と過去時制(物語文向き) 「時制はいくつある?」と問うと… 「2」=現在時制と過去時制 「3」=現在時制と過去時制と未来時制 「12」=単純形、進行形、完了形、完了進行形の4つ×3[現在・過去・未来] …などの答えが出ます。 willを含む助動詞の体系が理解できれば「未来時制」はないと分かります(文科省もwillは「未来表現」のひとつだと見なしている)。 「12」だと思う方は、「述語動詞の形」(verb forms)と「時制」(tense)を混同していると思います。 「時制」(tense)は、文全体の調子です。 「説明文や対話文」調=現在時制 「物語文や報告文」調=過去時制 仮定法は、現在形・現在進行形・現在完了形を3本柱として現在時を基調とし、 「今、こうなっている」と話し手が聞き手に説明する調子(=現在時制)のなかで、 If I were you,…「(もし)私(が君)だったら」と過去形を用いたときの違和感が持ち味です。 例2)「週末は何するの?」What are you doing this weekend?、 「来週引っ越すんだ」I'm moving next week.のような 予定の表現で「現在進行形」が日本の学習者が思いつかないのは、 「時制」が分かっていないからです。現在進行形は未来が担当領域です。
カテゴリ:ブログ記事読み返し
脚本家の山田太一さんが11月29日、89歳で亡くなられた。 ブログに書いた記事を載せます。 素晴らしい作品に感謝しています。 https://plaza.rakuten.co.jp/shineikenkngw/22003/ https://plaza.rakuten.co.jp/shineikenkngw/4015/ ~~~~~~~~~~~~~ 2011.05.16 山田太一さん 先週、徹子の部屋に山田太一さんが出演されていたので、珍しく録画をセットして観た。浅草で食堂を経営していて繁盛していたが、強制疎開で湯河原へ。お父さんは浪越徳治郎さんに指圧を習いに行って開業し、一家を支えた。しかし山田さんが中学1年の時に、お母さんが心労があったのか、疎開してすぐに死去。なれない土地で葬儀が行われたのだが、近所の方達が数人やってきて、お母さんを剃髪し、着物を脱がして、湯かん(たらいにお湯をはって洗う)をし始めて、山田さんは大きく動揺した。お父さんを見やると、何も言わずにいる。すると近所の人たちは今度は大きな桶にお母さんを座らせて、御神輿のようにかついでお寺の境内をえっさほいさと3周。これではまるでお祭りではないかとさらにショックを受けた。地元の人は親切のつもりでやっているのだろうけれど。自分がこんなにショックを受けているとは気づいてくれない。「人は人の気落ちが分からない」と山田さんは感じたという。それがドラマの脚本を書くときの「核」になっていたのだと言う。 ところが3年前ぐらいにお姉さんとそのときの葬儀の話題が出たので、「いい葬儀だったわね」と言う。それは「お父さんの郷里の九州の作法を近所の方々がやってくれたものだから」だというので、山田さんはびっくり。今更、記憶を換えるわけにもいかず、このお話をしながら、山田さんは苦笑していた。 いわゆるトラウマというのは、悪い効果をもたらすのではなく、その人の「核」になることがあるというのが、このお話からもよくわかった。人間、ピュアでクリアになればいいっていうものではない。 ~~~~~~~~~~~~~ ●2009.09.26 ドラマ「冬構え」(1985年) NHKアーカイブスで(土曜午前)で笠智衆さんが主演、山田太一さん脚本の「冬構え」(NHK総合、1985年)を初めて観た。新聞で見つけたので、母に電話で連絡したら、観る予定だったという。私も一人でじっくり観た。 80歳になろうかという笠智衆さん演じる老人が東北の名所を旅している。鳴子の旅館で仲居さんをしていた若い女性(岸本加世子)にチップとして2万円手渡す。彼女はびっくりして、旅館で板前をしている彼氏(金田賢一)に相談する。彼女は彼氏と所帯を持って小料理屋をしながら暮らしたいという夢がある。彼女は、羽振りの良い笠智衆さんに300万円ほど出資してもらおうと考え、2泊して去ってしまった笠智衆さんを彼氏と一緒に追いかける(彼氏は直前にケンカし、旅館を首になっていた)。旅の途中で追いついた彼女は自分の夢を笠智衆さんに語る。すると翌朝、笠智衆さんは150万円を手渡し、タクシーに乗って再び去ってしまう。望んでいた大金を手にして喜びつつも不審に思ったカップルは再び追跡する。次に、笠智衆さんはかつての同僚だった男性で今は病院で寝たきりになっている友人(小沢栄太郎)のもとを訪れる。その友人は、痴呆になって寝たきりの妻が別棟の病棟におり、自分が死ぬに死ねないことを嘆く。笠智衆さんは「大丈夫、大丈夫…」と言いながら、その友人の手を握るしかできない。その夜、その友人に向かって、笠智衆さんは自分が貯金を全部下ろし、東北旅行で財産を使い尽くす計画であることを打ち明ける。友人は笠智衆さんが死ぬ覚悟でいることに気づき、「それはいかんよ…、いかんよ」と繰り返す。笠智衆さんはその場を辞した後、崖の上に立ち、海に向かって飛び降りるのだが、思わす、崖にしがみついてしまう。手足をケガしただけでホテルにいたところに、あのカップルが追いつく。彼氏は笠智衆さんが死ぬ覚悟でいることにやはり気づいており、どうにかしたいと考えて、青森の自分の実家に笠智衆さんを誘う。そこは祖父(藤原釜足)だけがおり、他の家族は出稼ぎで居ない,寂しい一人住まいである。彼氏は祖父に「生きていることは素晴らしいと(笠智衆さんに向かって)言ってくれ」と頼む。しかし、祖父は「生きていることは素晴らしいと言ってくれ、と孫に言われたが、そんなことは言えん。」と笠智衆さんに切り出す。そして最後、「慣れてくれば、自分も話すようになる」と語りかけ、しばらく滞在しないかと勧めるところで、物語は終わる。 ドラマが終わった後、山田太一さんがこのドラマについてのインタビューに答えていた。老人が体力のあるうちに自分の始末をつけようと考えた話だが、「思いがけない他者」に救われるということを描きたかったのだ、とのことだった。救いの手を差し伸べる「思いがけない他者」とは、このドラマでは笠智衆さんにとっては彼氏の祖父でもあるが、カップルにとっては笠智衆さんであるという構図になっている。救われる人は別の局面では救う人にもなれるのだ。ここが山田太一さんの巧みな構成であるが,普遍的な真実を提示したのだと思う。 年代に応じて人々が抱えている、どうしようもない「生き難さ」は、死ぬこともままならない「逝き難さ」でもあることが描かれている。しかし山田太一さんは,人生に恒常的な幸福やきれいな「解決」はないが、どこかに一時の歓喜にも似た「救済」があるのだということを示す。若いカップルは旅館でなんとか生活費を稼ぎ、苦しい気落ちを抱えているが、海岸を走ったりしながら笑い合い、「生きていることは素晴らしい」という体現することができる。一方、妻に先立たれてはいるが子どもや孫にも慕われ、そこそこのお金はある恵まれた老人も「生き難い」気持ちを抱えているが、老人2人で古い農家の部屋でお茶をすすりながら孤独を共有し合って微笑み合うことが出来るのだ。 人は、寂しい気持ちを抱えながらも、他者から注がれる慈愛の眼差しに気づけば、救済となるような「心の奥に何かがポッと点灯されたような、ほの温かさ」を感じることができる。その様子は中島敦「わが西遊記 悟浄嘆異」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/617_14530.html)に描かれている。その一節が私の中ではリンクした。人生にきれいな「解決」はない、しかし「救済」はある。山田太一さんや中島敦さんのような方々を知っているだけで「ほの温かい」気持ちになります、私は。 追記1:小泉八雲の「日本の面影」をドラマ化した山田太一さんは私の分類ではもちろん「出雲チーム」です。 追記2:開高健さんの作品で「寂しいですが,私は」と語る男性のことを描いた短編(「珠玉」だと思うのですが)のことが心をよぎったので、探したいと思います。 ~~~~~~~~~~~~~ ●2009.01.25 山田太一さん脚本のドラマ『星ひとつの夜』+『サイラス・マーナー』 昨日は山田太一さん脚本のドラマ『星ひとつの夜』(2007年)の再放送があったので観た。六歳の娘がいた既婚の商社マン(渡辺謙)が主人公。同じマンションに住む女性と浮気をしていたのだが、その女性が殺害されて殺人犯として逮捕され、服役する(しかし実は、冤罪であるという設定)。11年後に出所して掃除婦として保護司の人に見守られながら働いている。90億円を動かすデイ・トレーダーの青年(玉木宏)とその恋人との交流を描いた作品だが、人は人との関わりなく生きることはできないというメッセージが伝わってきた。商社マンとして順風満帆に暮らしていて、いい気になり、浮気をして歯車が狂い、一気に転落していくという設定に「人間は魔が差すことがあるから気をつけて!」というメッセージを読み取った。人間、魔が差すんですよ。だから『リア王』のような古典を読んで「和解」や「赦し」について考えないといけないんでしょう…。そう思いましたよ。 (現在放送中の、山田太一さんの『ありふれた奇蹟』も観ています。『岸辺のアルバム』の八千草薫さんがお祖母さん役で出ています。続けて観たいと思っています。) 悲しい過去を持つ男が若い人に癒されるという物語で思い出すのは『サイラス・マーナー』がある。お世話になった故・黒川泰男先生に本をいただいた、思い出のある物語だ。私より上の世代ではよく読まれていたのではないかな? こういう物語を生徒たちに伝えたいですね。 ~~~~~~~~~~~~~ ●講演:「人間を考える ―時代を見つめて」 山田 太一さん(脚本家・作家) ◆ 2006年1月2日(月)午前7~8時ラジオNHK第2「NHKカルチャーアワー」での講演。テレビドラマを自ら振り返りつつ、日本が歩んできた戦後の時代を鋭く洞察されています。 ●『岸辺のアルバム』と家族 ・ ドラマ『岸辺のアルバム』:地震や洪水などですべて持っているものがなくなってしまうと、そこから「始められるような気がする」。そういうことをドラマ『岸辺のアルバム』で描いた。(脚本を書くにあたって)実際に多摩川の洪水で家を流された家族に話を聞いたが「アルバムはかけがえのないもの」と言った人がずいぶん居た。 (ドラマの中では長男が「こんなアルバムはインチキだ」というシーンがある。不倫に走った母親やアメリカ兵に強○された姉がアルバムの写真に笑顔で一瞬の中におさめられているが、本当の家族はバラバラだということを言う。) ●『想い出づくり』と女性 ・ ドラマ『想い出づくり』:「男女の主人公二人がいて脇役がいる」というようなドラマではなく、3人の女性が主人公というドラマ。女優さん3人には「あなたが主役」とささやいて本人もその気になる作品を作りたかった(これが登場人物がみんな主人公の『ふぞろいのリンゴたち』につながっていく)。 ・ 「女性はクリスマスケーキ」への反発:そのころ落語家の文珍さんが「女の人はクリスマスケーキで、クリスマスケーキが12月25日を過ぎると安くなるように、女性も25歳になると安くなる。」というネタをやっていて、娘2人と息子1人のいる山田太一さんは憤慨した。 ・ 過激だった若者:結婚式場の控え室に立てこもり、結婚式を台無しにするシーンがある。 ●1982年「笑っていいとも!」の時代 ・ 日本人の価値観の転換点は1982年「笑っていいとも!」:1982年はテレビ番組「笑っていいとも!」が開始した年。戦後、日本人はそれまで物質的に豊かになってきていても心の中は不幸だと感じていた。この番組タイトルの「笑っていいとも!」にあるように、「笑っていい」すなわち、幸福と思っていいんだと価値観が転換した。 ・ 新しい問題は「悩みが言い出せなくなったこと」:それまでは男性でモテる人は、髪をかき上げる深刻なかんじの男性だったが、そのころからギャグが言える面白い人やイケメン(格好良くハンサムな人)になった。それと同時に人々は自分が抱える深刻な悩みを言い出せなくなった。[この洞察がするどい!] ●やせ我慢の美学 ・ 坂口安吾vs.小林秀雄:この2人の対談で坂口安吾は「顔色を変えた方がいい」と言ったら、小林秀雄は反対した。[ここのところはうまく聞き取れませんでしたが、山田さんはこの後の渥美清さんと沢村貞子さんの「やせ我慢」の話につなげたのだと思います] ・ 渥美清さんと沢村貞子さんの「やせ我慢」:渥美清さんは病気で苦しい中、撮影に耐えて亡くなった。沢村貞子さんが白髪になり医療を断って死を受け入れて亡くなっていったのを目の当たりにして、その生き方、やせ我慢に感動した。 山田さんの意見:「私たちは『そのままでいい』という肯定的な価値観に浸りすぎていないか?」 ●『異人たちとの夏』と個人の孤独 ・ 能力主義の時代へ:このころから女性が強くなる。男性だから敬意を表されるという身分が消し去られていった。能力主義の時代になった。 ・ 断片化の時代へ:組合で権利を戦い取るのではなく、個人に責任があると考えられるようになった。しかし個人では能力を維持することは難しい。そこで個人の孤独が発生する。たとえば女性が働きにでると「自分はパートだがあの女性は活躍している」と思っても「個人の能力」なのだからと、文句も言えない。 山田さんの意見:「能力主義への反感がある」 ・ ドラマ『異人たちとの夏』:脚本家として50代でネタ切れで空っぽな感じのする、疲れた自分がいた。クタクタになったので故郷の東京浅草に行ったら「根」になるものが見つかるのではと思い、実家の跡地に立っていた浅草ビューホテルに泊まり、木馬亭に行って、地方廻りの剣劇を観た。すると前の席に座っていた老人が亡くなった父の姿に見えたので、休憩時間に前に回って見たら全く似ていない人だった。そのまま劇場を出て夜道を歩いていたとき「何故、あの人の顔を見たかったのだろう?」と考え、「今、前方から父が出てきたらうれしいのではないか?」と思ったのがきっかけで作品が生まれた。 ・ 断片化される社会の中で「全肯定されたい自分」:現実の父が現れたらうれしくないと思うが、親だが(幽霊で異人となった)父なら全肯定してくれると思った。現世では自分のことを全肯定してくれる人がいない(妻もしてくれない…)。 ・ 断片化される社会の中で「弱者に冷たい」:日本の社会は分断されていて、みんなかなりキツくなっている。能力主義の世の中で勝った人にはケシカランとは言えないために、弱い人に冷たくなった。「月給が低いのは本人が悪い」という考え方。 木下恵介監督の『野菊のごとき君なりき』には今の世の中なら「なぜ強くならないんだ!」と言われそうだが、弱い人を(やさしいまなざしで)描いていた。弱い人に対するセンス(感受性)が弱くなっている。 ドラマ『日本の面影』の中でのラフカディオ・ハーンのことばで言えば「小さなものの不合理な思い」を世の中が認めなくなってきたと言える。 ・ 断片化される社会の中で「お互いの内面がわからない」:こういう世の中では「なぜあの人が?」と思うような人が殺人をしたり、ヨン様のファンになったり(!)する。 ●自分の限界を知る ・ 「可能性がある」という流れ図では「自分が愛せない」:よく「可能性があるなら追うべきだ」とか「あきらめてはいけない」「乗り越えていける」ということを言う。しかし(この流れ図でいくと)常に「乗り越えるべきもの」があり、それに「至らない自分」ということになり、自分に満足しないから、自分を落ち着いて愛せないことになってしまう。 山田さんの意見:死という限界がだれにもある。また死だけではなく「老い」「生年月日」などさまざまな限界があるのを認めよう。スローライフや日々を味わうには「自分の限界を知ること、認めることで自分が愛せるようになり他人も愛せるようになる。これは可能性を追う中ではできない!」 ●会報担当の感想 ・ 能力主義のキツさ:個人の能力を問われるキツさを感じる中、それを乗り越え『異人たちとの夏』を書いた山田さん。自死した脚本家野沢尚さんのことが頭の中にあったと思う。 ・ 肯定と否定のはざまで:「可能性を追い求めすぎると常に自分は『至らない自分』になってしまう」という「自分が認められない」話がありましたが、この否定が短絡的に「肯定しすぎること」に至ることなく、否定と肯定のはざまにある「やせ我慢の美学」があることに気づき、私たちが実践できるかどうか…。それが問われている。 例えるなら、拒食症は過食症に反転しやすく、両者は目に見える現象は違うが目に見えない本質は同じ「愛情不足」であると私は思っている。両者の「はざま」にある地点に落ち着くにはどうしたらいいのか。打開するには、江原啓之さんが言うように赤ちゃん時代に誰かが育ててくれたからこそ今の自分が居り、愛情がゼロということはない、そこに感謝の念を持つこと、「ありがとう」と認めることからスタートする、ということなのだと思う。
Last updated
2023.12.01 17:00:38
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