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かねてより、こちらのブログでは「社会人と勉強」についての当職の雑感を綴っている。繰り返しになるが、当職の持論は「勉強とは、人間が人間であるために必要な行為」である。「社会人には勉強が必要!~日々雑感 2011/08/28(日)号~」などでも記載したとおり、労働を神から与えられた罰則と捉える人たちの価値観は、神様も労働するという価値観を持っている我が国とは本質的に違うのだと思う。どちらが良いか悪いか、という話ではないにせよ、当職は労働を尊ぶ価値観を有する日本人に生まれて本当に良かったと思っている。 ところで、社会人の勉強とは、いかなるものだろうか?思えば、目的を定めずに、古典だろうが音楽だろうが科学だろうが言語だろうが、何でも勉強できるとしたら、非常に素晴らしいことだ。例えば、量子力学の世界では、光は粒子であるとともに波でもある、という、我々の世界からは考えられない現象が生じているという。ギリシャ語は、大きく分けて古代ギリシャ語、東ローマ帝国時代に確立した正書法、さらに現代ギリシャ語があるが、それぞれの時代の特徴があるそうだ。飛行機が飛ぶ理由は現代科学でも実はよく解明されていない…。 当職は、こうした人間の知識や経験を、もっと体系立てて学びたいと思う。そう考えていくと、中学・高校の教科書とは、本当に良くできている。もし、手っ取り早く科学の復習がしたければ、普通高校で利用される物理や化学の教科書を読めば良い。実社会に役立つ法律を学びたいと思えば、商業高校の教科書を読むと良い。日本史や世界史の教科書は、それ自体が読み物として面白い。しかし、残念ながら、社会人であれば、興味のある範囲を片っ端から学習する、といった態度は許されない。まず第一義的に自分の専門分野に関する知識を習得しなければならない。そして、仕事と関係のない分野について勉強したければ、空いた時間を使って学習するほかない。 その意味で、社会人であれば、まず自分が興味のある専門分野に関する仕事を選ぶべきだろう。当職など、1990年代の就職難の時代に、とりあえず就職するために資格を取ったクチだが、その専門領域が自分の興味と(たまたま)合致していた。これは幸運と言うほかない。大部分の社会人が、ある意味で自分の本当にやりたい希望を捻じ曲げて、我慢して仕事をしているのだ。自分のやりたいことをやってお金を貰う―――。せっかく仕事をするなら、仕事自体が楽しくなければならず、仕事のためにする勉強自体も楽しい、というのが当職の理想の社会人像なのだ。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 当職は資格試験を受けるに当たって、受験予備校を利用した。当職のような者が資格試験に合格できたのは、受験予備校のお世話になったという要因が非常に大きい。このブログは別にどこかの予備校からお金を貰っている訳ではないので、特にその実名を挙げることはしないが、この場を借りて同校に改めて感謝をしておきたい。当職は実は、「資格のためにする勉強」についても記事を書きたいと思っているのだが、紙面が尽きたのでまたの機会に譲ることとする。
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