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新宿会計士は「組織論」が大好きだ。そして、書きかけのままで中断してしまったテーマが「組織論」に関するものだが、特に、従業員(あるいは組織人)としての立場による心構えを論じることが多い。ところで、そのテーマを論じるよりも前に、急遽だが、「新宿会計士読書録」とそれに付随する雑感を掲載したい。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ダイヤモンド社から刊行された「『超』入門 失敗の本質」(ISBN:978-4-478-01687-9)という書籍が興味深い。これは、「組織論」の名著である「失敗の本質」(ISBN:978-4-122-01833-4)の「ダイジェスト」という位置付けだそうだ。当職自身はオリジナルの「失敗の本質」を時々読み返すのだが、今回、機会があってこの書籍の贈呈を受けたので、改めて読んでみた次第だ。 この「『超』入門 失敗の本質」に対して、アマゾンの書評サイトでは、「原著との関連性が薄い」「著者が原著を理解していない」などと酷評されているようだが、どうしてどうして。著者の平易で適切な解説には、共感する点が多かった。タイトルで「失敗の本質」を引用してしまった事がアマゾンでの酷評の原因なのだろうか?戦略論に興味をお持ちの方は、是非とも一読をお奨めしたい。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ところで、組織論について、今日は少々異なった角度から切り取ってみる。それは、他でもない、旧日本軍に関するものだ。「『超』入門 失敗の本質」によると、旧日本軍は戦前の日本で最大の組織だったのだそうだ。現場の意見が尊重されず、技術革新にも後ろ向きな旧日本軍は、太平洋戦争では局所的な戦闘で勝利を収める場面はあったものの、最終的な「戦勝」を達成する事はできず、敗戦してしまう。その際、信賞必罰だとか組織のイノベーションだとか、いくつものキーワードが出てくるのだが、それは当職の普段のブログで改めて論じたい。 本日当職が主張したいのは、「日本は太平洋戦争をきちんと総括すべきだ」、ということだ。「反省する」、という言葉を使っても構わない。もっと言えば、日露戦争後に日韓併合を行った事を初めとする、一連の国家戦略を、後世の日本人に対する責任として、きちんと反省し、教訓を得なければならない、ということだ。 誤解しないで頂きたいのは、当職は「イルボンは植民地支配を反省して謝罪しる(原文ママ)」などと喚き散らす、あの厄介な隣国の主張どおりに、盲目的に「戦争犯罪を謝罪し、賠償すべきだ」などと申し上げるつもりはない。日本は朝鮮半島を支配はしたが、略奪や過酷な植民地支配を行ったわけではないからだ。朝鮮人に対して反省し、謝罪する謂れなど何もない。しかし、当職が申し上げているのは、日本は日本人として反省すべきだ、という点である。もちろん、新宿会計士は(朝鮮人の血が半分混じっているとはいえ)熱烈な愛国者であるつもりだから、毎年夏には可能な限り靖国に参拝し、英霊に感謝申し上げる事にしている。だが、そうした態度を取るからと言って、旧日本軍の行いを盲目的に「全て正しかった」などと申し上げる事はない。 旧日本軍では、信賞必罰が徹底していなかった。合理的な思考を有さない人間が作戦を立案し、合理的でない意思決定に基づいた局所戦を多く重ね、無駄に戦死者を増やしたことは事実だ。そういえば、戦後の日本最大の組織といえば国鉄だったが、無駄な路線を大量に作って赤字を累積させ、経営破綻に瀕したことは、我々日本人の記憶にはまだ新しいのではないか。あるいは、1990年代以降の日本政府・日本銀行が、日本をデフレという状況に落とし込んだことも、大きな視点からは共通しているとは言えまいか。 旧日本軍の精神論は凄まじく、零戦のパイロットは神業とも言える命中率で米軍を苦しめた事も事実だ。しかし、米軍はこれに対し、技能が劣るパイロットであっても広範囲な打撃を与える事ができるような武器(例:焼夷弾など)を開発した。つまり、性能の劣る武器の命中率を上げるべく、精神論で訓練したのが旧日本軍で、命中率の低い兵士でも扱いやすい性能の高い武器を開発したのが米軍だったのだ。いわば、「ゲームのルールを変えた」のである。当職は、どちらが正しいとか言うつもりはないが、旧日本軍の失敗の本質を正しく分析して将来の日本の糧にすることは極めて重要だと考えている。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ なお、新宿会計士の組織論は、主に自分自身の会計監査等の経験に基づいてはいるものの、一応はドラッカーのような経営学者の書籍などに、理論的には裏打ちされているつもりだ。ただ、見識が足りない点については、忌憚なきご意見を賜れば幸いである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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