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社会人論が好きな新宿会計士だが、先週の社会人論の中で、一つ、紹介し忘れた格言がある。それは、 出る杭は打たれる というものだ。現代社会において、社会に出た若者は、大概、まずは会社とか役所とかの組織に就職するだろう。そして、組織の規模が大きければ大きいほど、自分が行っている仕事が会社全体でどのような位置付けにあるのか、見えづらくなるものだ。 組織は一般に、構成員に対して組織への従順さを求める。特に、社長(あるいは大臣、知事、市長など)から末端の職員までの距離が長ければ長いほど、中間管理職の権限が大きくなる。若い人の中には、米国などの外資系企業であれば、トップダウンで物事が決まると憧れを抱いている人もいるが、意思決定プロセスが少々異なるだけであって、末端の職員に対しては従順さを求めるのが古今東西の組織というものだ。 当然、信賞必罰が徹底している組織の方が、適度な緊張感と活気があって好ましい。ただ、大なり小なり、組織というものは、個々人のパフォーマンスと組織全体の方向性が、必ずしも一致しているとは限らないものである。得てして、組織で上手くやっている人は、そうでない人に対して、この「出る杭は打たれる」という格言を伝え、組織に対して従順であることを慫慂する。若い人はそれに失望し、ある人は組織を飛び出し、ある人は組織の中で順応し、「出る杭」であることを止めてしまおうとするだろう。 だが、当職はこの格言について、敢えてもう一つの言葉を付け加えたい。 出る杭は打たれる。本当に出る杭は打たれても引っ込まない。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 実は、我々の今日暮らしている社会を便利な方向に発展させてきたのは、この「出ている杭」である。穏やかなサラリーマンは、一見すると組織人として理想的だが、必ずしも組織に成長と活力をもたらすとは限らないのである。もちろん、組織の和を乱す人間が、積極的に好まれるとは限らない。某就職掲示板のネタだが、大企業が新卒学生に求めるスキルは、第一にコミュニケーション能力であり、悪い言葉で言えば「組織の和を乱さないこと」である。しかし、いくら組織の調和を大事にする人を沢山集めたところで、経営環境そのものが変化したときには、その企業は淘汰されることもあるのだ。 ■韓流テレビ局の自滅は必然、経営に求められる真摯さ~日々雑感 2012/07/07(土)号~ かつて、当職はブログの中で、「そろばん・計算尺メーカーは、電卓の出現により淘汰されてしまった。いかに素晴らしい製品を作っていても、その製品のカテゴリー自体が急速に時代遅れになってしまったことで、企業としての存続が不可能になったのである。その意味では、現代の家電メーカーの苦境も、推して知るべし、だ。いくら愚直で、いくら真摯に自社の製品に取り組んでいたとしても、技術革新という荒波が押し寄せると、企業はあっという間に倒産の憂き目に遭ってしまうのだ」と指摘した。 企業経営には愚直さと真摯さが必要である事は言うまでもないが、一方で経営者には、このような「自社の製品カテゴリー自体が消滅する事があり得る」という危機感が必要である。組織の和を乱さないタイプの経営者に、この手の危機感が不足しているような気がするのは当職だけだろうか?いずれにせよ、組織には異端者が必要なのである。本当に出る杭は、少々叩かれても引っ込まない。尖がっている若者は、もっと自分に自信を持つべきなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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