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元・天津駐在員が送る中国ビジネス・エッセイ

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2008.05.17
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カテゴリ:思考
中国で仕事をしていて、よく疑問に感じるのが、中国人から聞く「平等」という言葉です。この言葉を中国人から聞くたびに、社会主義がうまくいかなかった原因は「平等という概念をしっかりと規定できなかった事ではないだろうか」という思いにかられます。

一見、非常に崇高な言葉に思える「平等」ですが、この言葉を裏返すと「嫉妬」という言葉に成るのではないかと思うほど、平等という言葉の裏側には、常に嫉妬心がつきまとっているように思えます。

何をもって平等を測るのか、という問題を無視して、平等という言葉だけが一人歩きし、社会主義思想の基礎をなしているように思えます。私たち、資本主義と称している国家の人々も他人ごとではありません。資本主義にも似たような「自由」という大変曖昧で、その思想の基礎を為す概念が存在するのですから。

以前書いた言語と思考の中で、エドワード・サピアの下記の文書を紹介しました。

人間は客観的な世界にだけ住んでいるのでもないし、また、普通の意味での社会的な活動の世界にのみ住んでいるのでもない。人間は自分たちの社会にとって表現の手段となっているある特定の言語に多く支配されているのである。基本的に言語を使うことなく現実に適応することが可能であると考えたり、言語は伝達とか反省の特定の問題を解くための偶然の手段にすぎないと思ったりするのは、全く幻想である。事実は「現実の社会」というものは、多くの程度にまで、その集団の言語習慣の上に無意識に形作られているのである。われわれが聞いたり、見たり、或いは経験したりするのにはだいたい一定のやり方があるが、これはわれわれ共同体の言語習慣がある種の解釈を前もって選択させるからである。

私たちの思考は、明らかに、私たちが使う言語によって、制限され、時には歪められてさえいるのです。

沢田允茂氏は、「考え方の論理」の中で、人生の目的について下記のように書かれております。

「目的」とは、私達が「そうしたい」事なのです。
かならずそこへ行き着かなければならないような到達点があるならば、だれも目的など気にしない。
到達点が気になるのは、そこが果たして自分が望んでいるところかどうかを区別することができるから気になるのです。
そして、そうしたいのは、それが私にとって良いことだから、そうしたいのです。
しかし、なにが自分にとって良いことなのかは、私たちが何かやり始めた後でわかって来るものです。
何もやらなければ、何が自分にとって良いのかわかりません。

何かを始めると、自分のやりたいことが次第にはっきりとした形を取ってきます。
そして、それが貴方のやりたいことであり、人生の目的なのです。

何もしないで「人生の目的がある。」とか「目的を知る。」と考えるのは、そういう言い方がひとりでに、あななの考え方を曲げてしまっているのです。

「資本主義」「自由」「平等」などは、現実には存在しません。
あくまでも私たちの想像の産物なのです。
そして、その意味がまた、大変曖昧で、一人一人の認識もかなり違っていると思います。
さらに、「自由」「平等」という概念が、現実に存在しえるのかさえ疑わしいのです。


= 「世界人権宣言」第29条には、 =

すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。
すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。
これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。


と書かれているそうですが、ここで使われている言葉

自由、完全な発展、社会に対する義務、権利、尊重、公の秩序、一般の福祉など

を具体的に説明できる人がいるでしょうか。

このような曖昧な言語しか持ってない我々に、論理的思考ができる訳がないように思えます。
数学では、記号を使って物事を説明しますが、そうしないと論理的な思考ができないからなのではないでしょうか。

しかし、数学の記号を使っては、会話が成り立たないのもまた事実なのです。
私たちが現在よりもさらに進化した社会を作るためには、論理的な思考をささえる言語が必要なのかもしれません。






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Last updated  2008.05.17 13:41:56
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