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福島原発では予断を許さない状況が続いていますが、一応小田急線は通常の70%の運行に戻り、会社や施設などの営業が再開されています。大槻ホリスティックでも、交通事情等で来院ができず、一時中断していたセラピーが再開され、ほぼいつも通りに戻っています。なお、大槻ホリスティックの位置する相模大野9丁目は、これまで計画停電にほとんどならずに済んでいます。たいへんありがたく感じつつ、できるだけの節電を心がけています…。 さて、東北関東大震災発生から2週間経った今、あの11日を少し振り返ってみたいと思います。 私は地震発生時、神奈川県相模原市相模大野の大槻ホリスティックオフィスでヒプノセラピスト養成講座アドバンスコースのインターン実習のスーパービジョンを行っていたところでした。たいていの地震の場合、前世療法等のセッション中でもそのままセラピーを続行してしまうのですが、今回ばかりは、どんどん大きな横揺れになり、危険を感じてさすがにセラピーを中断させていただきました。 うちの建物は、築3年以内で新しい上に、一階は3つ小さなセラピールームとセミナーができるロビーとオフィスとに分かれていて、壁と柱がたくさんあり、またすべて防音効果を高くした厚めの壁にしてあるので、震度6であっても、置いてあるものがほとんど倒れることもなく、落ちるものもほとんどなく済みました。(ですから皆さまには、安心してご利用いただけます)それでも揺れは、これまでに体験したことのないほど大きな横揺れで、まるで海の上で波に揺られる船に乗っているか、遊園地のアトラクションに乗っているように感じました。 未だかつてない大きな地震だったので、その後落ち着いてセラピーに戻る雰囲気ではありませんでした。みな、自分の家と家族が心配なので、すぐに連絡を取り、帰宅することに…。ですが、小田急線が止まってしまい、四條さんは自転車で家に戻れましたが、クライアントさんが家に帰れず、お友達のお宅に待機させていただくことに…。(ご友人の方、ご本人、ご家族の方に心から感謝いたします)また、主人は交通事情により出張先から戻れなくなり、さらに、世田谷区まで通っている子供たちも帰宅できず、学校の合宿寮に一晩、たくさんのお友達と先生方と一緒に泊めていただくことになりました。ですからみんな、帰宅難民になってしまい、その晩我が家は、私と愛犬だけ...。テレビにくぎ付けになり、眠れない夜でした…。
神奈川の私たちはそれくらいで済みましたが、宮城県の親戚の方々は、本当にいたいへんなことになりました。 私の父方の親戚がたくさん宮城県石巻市に住んでおり、父の実家は1階が水没。幸い住んでいた祖父らは皆無事でした。ですが、他の親戚の中には未だに安否がわからない方も…。想像を絶する状況です。「戦争の時よりひどい…」とも聞きました。 そんな中、生き残った人たちの中で、一番働き盛りの私の従兄(本家の長男)は、みんなを励まし支え、復興のために24時間フル回転で走り回っているそうです。
「心配かけてごめん。町の5分の3が破壊された。みんな、生きるのが精いっぱいだ。 ここまでやられてしまうと、今後本当に復興できるか不安になるよ。 でも頑張るからさ…!」
従兄から震災から約1週間後にやっとこんなメールが入ってきました...。 「でも頑張るからさ」 無事であったことの安堵と喜びの中、その言葉が私の心に何度も響き、胸が熱く、そして切なくなりました…。 長くなったので、続きはまた今度。
平和への祈りを込めて Maiko Otsuki お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.26 03:11:52
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