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カテゴリ:私とダンナの物語
17歳の山場-2
Jとはすぐに続かなくなった。 「甘えきれない女」。きっと今でもだ。 そこをずーーーっと後でしばし救ってくれたのがダンナだ。 あの少女?から大人に変わっていくときにもっと甘えていられたら、 「庇護したい」というJの気持ちに応えることが気持ち悪くなかったら、 私はきっと今頃大阪の商店街のおばちゃんでいられてJのケツを思いっきりひっぱたきながら「はー。もうかなわんわぁー。」と言っていたのかもしれない。 その頃、初めて白いモヤモヤとした怖い女性を見た同じ部屋で寝ていた。 小学生で始まった金縛りはますますひどく睡眠障害一歩手前、なんじゃなかったのか、と今からは思う。 毎日疲れていて、でも爺ちゃんを心配させたくないから学校へ行く。 そして学校で寝ていた。 その頃は悲しいことばかりがあった。 大阪に帰って再開した実母とたまに会ったけれどもう親子、というよりは“どう受け答えしたら良いのかわからない人”だった。 親族とは?と思って中学3年生のときに見送った祖母の最後を時々思い出した。 亡くなる数日前からハッキリとそこには居ない祖母、という様子を初めて見た。 私にとってそれまで「死」とは「きっと解放」だった。 6歳の時に見た優しかった叔母の亡骸は美しかったから。 「よその国」にお嫁に行くような遺体だったから。 叔母は27歳だったはずだ。 優しかった叔母と言うよりも姉のようだった。 私にいつもたおやかな笑顔だった気性がそもそも温かい人だった。 その叔母が 長年の闘病から解放された姿、「叔母の死」は小さな子どもだった私の眼には美しかったのだ。 御棺の中でお花にいっぱい囲まれてかつて「しずかちゃん。」とほほ笑んでくれていた顔はさらに神々しく微笑んで見えたのだった。 ずいぶん後に知った「アルカイックスマイル」という言葉、斑鳩の仏像に見られるその笑顔を叔母はしていたと思う。 その笑顔を見て・・・。 私はいつか来る「棺」の中の自分をそっと想像するようになった。 そしてその心象へのあまりの感動で母に「私が死んだら菊やのうてスイトピーとかいっぱい入れてぇや。」と言って母を「そんなこと言うて!」と怒らせた。 今ならば幼いころから闘病し、恋もせず?結婚もせずの20代の妹を失ったばかりの母は自分の幼い娘がそれ以降白い紙いっぱいに御棺の絵を描くようになったのは複雑だったんだろう、と理解できる。 でもその時はそんな母に なんで?菊より好きやのに? どうせ入れてくれるんやったらスイトピーがええわ。と私は思っていた。 スイトピーだけちゃう。色々な種類の花を入れて欲しい!と私は思っていた。 とうとう明るい花がとりどりに描かれた柄の布団を買ってもらってそれにくるまって「死」を感じて夢心地だった。 6歳の私にとって”死”は美しかったのだ。 でも15歳で見た祖母の死は生きているこちらから見たら圧倒的な孤独な「不在」感だった。 死の数日前、いつも祖父の部屋で寝ている祖母のところにいつものようにくっつきに行った。 祖母はその時点で長きにわたって寝たきりだった。 でも私が静岡から帰ってきてから彼女はあきらかに元気になったのだ。 今から思うと私は充分に祖母の無念を感じていたのだ。 動けなくなった自分。 決して仲が良かったとは言えない祖父に下の世話まで全てしてもらっている自分。 そんな祖母の無念。 その時の私にとっては寝たきりになった祖母でさえ、 私が大阪市内の家に居る時は小さい私につきあって何度も何度もボール投げにつきあってくれた「あの優しい祖母」のまま、だった。 ただ動けていなかっただけのことだ。 だから中学から帰って祖母の寝床にすり寄って頭を祖母の体に預けていろいろなことを話すと祖母の体から自分の体に彼女の喜びが伝わってくるのがうれしかった。 その祖母が死の数日前に居なくなった。 もうそれからは頭を預けても、語りかけても、これでもか!とそばで歌を歌っても…。 そこに横たわる祖母の体から「祖母がいなくなってしまって」いた。 でも、まだ何が起こっているのかその時にはわからなかった。 数日して学校に行くために目を覚ましたらすでに祖父がバタバタしていた。 祖母はその時に肉体的に死んだ。 バタバタと数日間していた。葬儀のことはよく覚えていない。 ただ、こう思っていた。 ばあちゃん? 私もおらへんようになれるんやろか? 17歳でどうにもこうにも何かが「前に行けなくなったとき」にその祖母に心の中で聞いた。 あんな、ばあちゃん。 もうイヤやねん。 疲れてん。 あの夜の闇の声は私が悪い、言うねん。 私が自分を殺したから 今度はお前が償う番や、言うねん。 そやったら死んであげたほうがええんとちゃうやろうか? 貧乏な祖父だけの家計と、親の居ない生活が私を救っていたのだと思う。 こんなこと親に言ったらきっと病院行きだったろうから。 でも、そのときにある出会いがあって私はこの闇を「押せる」ようになったのだ・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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