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カテゴリ:私とダンナの物語
夫が死んで7年たった。
ここでも公表したこともあるくらいで、 別にその後7年彼だけを思って生きてきたわけではない。 でも、彼は特に死んでしまったから? そして息子の父親であるから? いつもいつもいつも、思い出し、「結局私たちの間で何があったのか?」を 考えて、見ようとしている相手なのだ。 善い人はいくらでも居る。 自分にとって悪き人もいくらでも居る。 彼は自分にとって善き人であったのか?悪き人であったのか? 愛していたのか いや、あるいはそんなもの、そもそもなかったのか? ずっと考えていて、これだけは確かだ、と思えることがある。 彼は彼だった、いうこと。 私の理解を超えてそうだった、ということ。 ひたすら必死に何かを見ようと、つかもうと、わかろうとしていたこと。 その姿勢が、どんなにわがままで短期間的な何かを繰り返していても 私はどうしても嫌いになれず好きだったこと。 そのポイントにおいては彼は孤独で、私の同意も慰めも、協調も必要としてはいなかったこと。 そして、その一点に、私は彼に何かを見ていたこと。 その代わり彼独特の「飾り」も彼は捨てられなかったこと。 ああ、難しいね。 でも、本当に理解を超えた彼本人の痛みがあり、そこに盛られた虚飾があり、 でも、なんだかいっつも「俺はこうなんだ!」という頑張りが どんなにそれがわかっても、結局、何にもしてあげられなかったこと。 そしてそれは私にとってイヤじゃない頑張りだった、としかわからない。 偉かったね、お父ちゃん。 私は立派なあなただけを見ていない。 きっと自分が死ぬまであなたを考えるだろう。 WHO WARE YOU? あなたが何者であったのか。 私が何者であるのか。 言えることがあるとしたら、ダンナ? もう誤魔化されないよ、私は。 いや、まだ自分を自分で誤魔化すらしいから、ちゃんとは見えない。 でも、そんなことには飽きてもいるんだよね。 あなたこの世、ってとこにももう居ないしね。 だから見れる環境が整ってるとも言えるじゃない? 私自身にも、あなたが私から隠そうとしたあなた自身にも。 あそこに何があった? 誤魔化さずに考えたい。 あなたと一緒に居たい。 あなたをわかりたい。 そのわかりたい自分をわかりたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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