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カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席  第303席
  tanabata1.jpg

「いわゆるアニメ的パターン」に準じるものでは
登場人物、背景(物語)、も様式化されたものを
ふまえているから、俳優として要求される
「芝居」は型にはまったものが、
まず求められる(のだと、思う)。

しかし、作品の方向性として
「もっと深いところで勝負します」となると、
難しい問題が浮かび上がる。
このようなマニアを唸らせるという
方針というのは、つまり、
「わからない人にはまったくわからない
 ディテールを見逃さないようなユーザに
 向ける商品」ということだ。

このような方向性を持たせた作品では
キャラクタを演じる俳優とのあいだに
知識ではなく
「経験値」といえるものの差ができる。

アニメーションの場合、
登場人物は「絵」なのだし、動きも、
俳優本人が演じるものではないからだ。

声優に求められるのはあくまで
キャラクタの「声(台詞)」に現れる
優しさや焦り、恐怖、怒り、悲しみといった、
「心情」という抽象的なものだ。

けれど、キャラクタの「動き」そのものに
ディテールを見いだすタイプのユーザ
(国井みたいな人ですな)は、

「あの場面で、
 パッキー(凄腕傭兵。かわいいウサギ)が
 アサルトライフルを使わずに拳銃を抜いた所が
 すばらしい。しかも銃はストライク」

という喜び方をする。(国井だけか?)
実写映画などであれば、俳優は
そういった「特殊な動きの整合性」についても
自身の身体も使って表現しなければならないから、
動きの意味を学ぶのはもちろん、
「動作が出来る肉体」もつくることが
要求される。
本物が持つナチュラルさに
観客はある種のファンタジィを見るからだ。
だから、本物に近づける為に本物と同じような
トレーニングをおこなわないといけない訳だ。

『声優』には基本的に、
この具体的な作業の必要性はない。
(だから努力をしていない、という意味ではない。
 十分に注意されたい)

すると、お約束事としてのインタヴューで
「収録でのご苦労は?」と質問をしたところで、
俳優としての回答は
「キャラの心情へのアプローチ」のみとなるから、
どうしても同じようなものになる。
良いとか悪いとかの話ではない。
『手法』の話になるからだ。

動きの表現としても、
キャラクタが「何メートル走った後だから
こんな息づかいだろうと考えた」という話になる。
だから「怪我をした」
「筋肉痛がひどくて」というような、いわゆる
興味の無い人間が
面白がる『苦労話』になりにくい。

他者の心理について延々と語っても、
それはそれでたいへん興味深いものだと
個人的には感じるけれど、
「一般の人も呼び込みたい」と
位置づけたトークショー
(文章で読ませるこのようなブログも)としては
ハードルが高いのだと言わざるを得ない。

苦労話というような『具体』を好む人達には、
他者(俳優)が
他者(キャラクタ)の心理を掘り下げて
望まれる形(クライアントが存在するからだ)に
正確にアプローチしてゆくやりかた、という話は
難解に映るからだ。

では「動き」を作った演出家/アニメータや
モーション・キャプチャという技術で取り込んだ
場合のアクション俳優などに
インタヴューすればいいのかというと、
これも難しい。
スタッフサイドの人々は純粋な「中の人」だ。
タレント性が求められる職種というわけではない
(現代ではまったくのゼロではない)ので、
話が「深く深く深く」なりがちだ。
こういう人たちの話を尊ぶ人というのは、
きわめて少数だ。これは実感としてある。
多くの人はキャラクタにおける唯一生身となる
「声の主」の声を所望する傾向があるからだ。

なんと言い繕っても、とどのつまり人は、
「人」と「現実」を求めているともいえる。
これは、自身が現実である以上、
その接点は現実のものでしかないという、
無意識の現れだと考えている。
舞台となったロケ地や俳優が訪れた店などに
熱心なファンが訪れるようになるのは、
このような心理が働いているのではないだろうか。

まぁ、本当は観光するにも
「目的がないよりマシ」
「なにか観た気にはなりたい」という所だろう。

『観光客』とは、読んで字のごとく!

(ぱん、と手を打ってから読むと、
 なぜか不動のモノマネになってしまう!)

光があたる場所しか観えないお客、ということか。
他人によって目標を示されていないと、
なにを観てよいのかもわからない。
ここにも、
「価値基準を他者へ依存する」傾向が観察される。

話がそれた。戻そう。
『アクエリオンEVOL』最終回の
髪を下ろしたミコノさんには、
さすがのゼシカ一直線の国井咲也も
危なかったでごわす。
はぁはぁふうふうどすこい。

ああ、また話がそれている。
戻そう。

物語がリアルに即したものになれば、
キャラクタを生成するための「経験値」は
高くなる。それが『現実味』という、
いちばん必要な風味になるからだ。
現実としての経験値が高くなるほど、
声としての「中の人」と、
動きとしての「中の人」との
ギャップが大きくなってゆくのは、
これはもう、避けられない。
これが今後の
『アニメ作品のイベント』の宿命か。
それとも宿題か。

声優という職業を目指す人も多い。
そんな若い人にこそ、このあたりのバランスも
難しい時代になったのだと、
真剣に考えさせるほどの
「リアルな動きのディテール」にも
こだわり抜いている、

『Cat Shit One』を観てほしい。

とにかく、すごい一作さね。
約25分の短編だけれど、
声もでなかったですよゥ。うぐぅ。

だって、これとオマケのインタヴューみて、
声優でない国井がほんとうにこれくらい
考えさせられてしまったもの。
…ああ、でも経験はあるな。
これでも『諸葛孔明』役の経験アリですよ!
『珍遊記』だけどね! 
麻雀やってる孔明だけどね!
4つならべて「カン!」よりも
4人の美少女に囲まれた麻雀で
『ガンガン!』といきたかったのはナイショだ。

とにかくなにがいいたかったのかというと、
ドイツのケーセン社のぬいぐるみで
パッキーとボタのフィギア(ぬいぐるみ!)の
商品化を熱望だ!(ええ?)

greenzone.jpg


ちなみに。

ケーセンのぬいぐるみはすこぶる高価だけど、
『圧倒的なディーテール』を持っている。
リアルを追求、と明言しながらも、
「どこかかわいい」ように
モデファイされている(ように見える)のが
これまた凄い。
これも、
本物に近づいたときに見えるファンタジーだ。

ゲルマン民族が持つ職人魂が生む「ディテール」と
ぬいぐるみ愛好家に向けているからこその
「偽物ゆえに本物」を感じさせる、
絶妙なバランス。すばらしい。
もっともっと欧州金融不安定化が進んで、
ユーロ安になってくれ、と
願わずにいられません(そんな馬鹿な)





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最終更新日  2012.06.30 09:49:44


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