2860462 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

楽天VIDEO:アニメ会の日替わりアニメ定食

PR

プロフィール


楽天VIDEO

カテゴリ

サイド自由欄

当ブログのキャラクターを描いていただいた吉井ダンさんが作画された「おんたま!」もよろしくお願いします。

おんたま!(1)


にほんブログ村 アニメブログへ

バックナンバー

2019.09
2019.08
2019.07
2019.06
2019.05
2019.04
2019.03
2019.02
2019.01
2018.12

全471件 (471件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 48 >

金曜…国井咲也

2013.12.27
XML
カテゴリ:金曜…国井咲也
本日の更新をもって、
仕事としての最終回を迎える。

最終回だからあえて書く。

2013年はとにかく、
行政と警察組織に対して、
被害をこうむる一人として、
スト−カー犯罪についてもっと
真剣に考えてくれ、と、
切実に願う事件が数多く起きてしまった年だった。

自分が想定していたような
「警察の認識の甘さ」
(被害者の現住所が犯人にわかるような
対応をするなど)がそのまま露呈し、
被害者が出た事態には、
今でも忸怩たる思いだ。

無念でならない。

さて、
この件については今後、
語ることになるだろう。
タレントとしては極めてリスキ−だが、
それ以上にこのようなものは
防犯に活用できる情報に
なるかもしれないと考えるように
なったからだ。

(もちろん、犯人については
 実名報道という形をとる。
 それとあわせてライブ会場入り口で
 排除できるように使用して、
 犯人に対して一定の効果が見られた
 犯人の顔写真も公開する。

 客席をスタッフに撮影してもらい、
 画像処理で犯人だけ抜き出したものだ。 

 今後、誰の眼にも触れられるようにするつもり。
 でないと『防犯』に役立たないからだ。



 こういうことを書くと、
 まったく犯罪とは関係がない
 ちゃんとした観客がストーカーだと勘違いされる
 危惧が生まれてしまう。

 だから主に芸能人はこの手の話は「ない」ように
 ふるまう傾向にあるが、
 やっかいなことに、犯罪者はそこに
 「なにも言っていないから、
 私がしているのは悪い事ではない」という
 身勝手な妄想を強化させるようになる。
 ゆえに、
 犯罪者を名指しする必要性があるわけだ)


あー、こんなことを書いていたら、
気分が悪くなってきた。

どうしようもなく荒んだ野良犬の話など、
ここでやめておこう。
こちらの心まで荒んでしまう。


では先週の続き。(ほっ)

なのだけれど、
先日、同じような事を
サンキュータツオ氏が
司会を勤める番組で
さんざん喋ってしまったので、
同じことをやってもな、という気が
しないでもない。



  ina.jpg

そこで今年、他に何を考えたかというと、
『魔性』について考えてもいた。

ああ、ここで再度注意喚起。

先述したようなストーカーの中年女は
「まだ逮捕されていないだけ」の
犯罪者に過ぎない。
こういうのは間違っても、
『魔性』などとはいわないので、
くれぐれも勘違いしないように。


西尾維新氏原作の
『化物語』のシリーズでの
『囮物語』でもその
”魔性について”の考察がされていた。
なでこちゃん編だ。

さすが維新力と唸った。
すでに求心力を失ったかに思える
大阪の維新とはえらい違いだ、とまで
国井が思ったかどうかは
ここではさておく。

しかし、国井咲也にとって、
2013年、彗星のごとく現れた
「魔性」は
残念ながら千石家の一人娘ではなく、

『のんのんびより』の
ほたるんこと、一条蛍だ。

どういうわけか、
この娘さんから眼が離せない
自分がいる。(なんのこっちゃ)

「ちゃんとしている」という大人びた部分と
やはり子供とも思える『女子力』な部分の
アンバランスさ…。
いや、ほたるんの場合は、
アンバランスではなくて、
『ベスト・バランス』だ。

いわゆる
「『大人』と『少女』の同居」みたいな
ものかもしれない。

しかして、この『大人』というのは
どこからすくいとれるものであるのか。

このあたりから演出論になる。

よーく見ると、この一条蛍。
じつに「仕草が上品」になっている。
正座の仕方など、
おおよそ
現代日本人女性(もちろん男性もだが)には
できないような「品」を感じさせてくれる。

できないというのは
「意識すれば」できる、できないではない。

日常の動きとしてそれらは
にじみ出る。それを
人物の性格(情報)として映る。

簡単に言うと
「素」の動きなのかどうかだ。

素のままで「すっ、」と正座できる。
「さっ、」と喫茶店メニューを渡す、といった
部分に品、つまりは「育ちの良さ」が
読み取れるわけだ。

しかもほたるんは美女なのである。
圧倒的な『美』の前には
年齢など、関係がない。

いまなら東京都知事は
怖い存在ではないので、あえて告白してみた。
もちろん、これはロリンピック開催に向けた、
とんでもカミングアウトではない。

とにかく蛍ちゃんには
いちいち眼が離せなくなってしまう
魔性が備わっている。

気のせいだろうか、
『囮物語』でその魔性の少女を演じる
声優さんと一条蛍役の声優さんとの
『声』の相似性もみてとれる。

これは俳優としての声や芝居が
どうのという話ではない。

おそらく、「魔性」的な少女のキャラクタに
「似合う」声
(演出としての演技の方向性、の意)が
あるのではないかということ。

うーん、それにつけても
『のんのんびより』、素晴らしい。
「面白さ」という意味で
作中最強になるであろう、
れんげちゃんを、冒頭のつかみと、
後半まで登場をセーブすることで、
どうしてもしりすぼみしやすい構造になる
『なにも起こらない日常系のったりまったり』
作品でありながら

「おお、後半からどんどん面白くなっていく!」

と感じさせる構成も見事だ。
安定して「くすりと笑わせる」ことができる
れんげというキャラクタを
ギリギリまで『使わない』ことで
その爆発力を後半に回したとしか
思えない構成だからだ。

これは逆説的に「目先の笑い」に頼らないでも
中盤を持たせる自信がなければできない。

とうぜん、すべからく「笑いをとる」という事で
れんげを登場させても、
それが全体にとって良いように運ぶかどうか,
疑問にもなったはずだ。
「こまごまとした4コマギャグ」だけの
印象になりかねないからである。

「人間でごったがえしていない自然」
の描写が作品の核の部分のひとつであるならば、
この『4コマギャグ』という一言で
くくられてはいけない、という判断も
アニメ制作サイドには
あったのではないだろうか。

作品はあくまで
「のったりまったり」
「ふもふも」
「のんびり」
なテイストであるが、見れば見るほど、
実はおそろしくエッジの立った部分も
ひしひしと感じられるのだ。

そう、この作品は

『カッコいい』作品でもある。

さあ、2013年も暮れる。
また一話から見直そうか『のんのんびより』。

  manabiya.jpg


おかげで、
この年末は退屈知らずだ。









最終更新日  2014.01.11 15:47:13
2013.12.20
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第378席

本コラムの連載も来週で最終回。

  arashiyama.jpg

だからという事はないが、
一応、年末ということでも
あるらしいし(国井の感覚には、
そういったものが希薄だからだ)、
個人的総括という意味で
『咲也デミー賞』を決定したい。
もちろん、「個人的総括」というだけあって、
単なる感想に過ぎないから、
あまり真に受けないように。
「これ、好きだったなー」という事。
実に最終回向けな企画である。

ではまず、
『賞』の対象を決めておこう。

作品賞は当然だが、これも
TVシリーズと
劇場作品をひとくくりにして良いものか。
ただ、おそらく元来TVシリーズで
あるものを劇場でかける、というスタイルも
珍しくない状況になっているので、
非常に悩ましい。
とりあえず分けておこうか。

次に主演男優、
主演女優あたりがおキマリだろう。
けれども、
昨今のアニメや二次元ジャンルにおける
この「主演」、つまり『主役』というのは、
難しいカテゴリーになっているのではないだろうかと
いま気付く。

これは単に
登場人物が多い、という意味ではない。
ストーリラインのデザインが
「複数のキャラが同等にスポットを浴びる」ということを
前提にされていると読めるものが多いからだ。

読者/視聴者人気が出たのだろう。
メインヒロインではなかったキャラクタが
物語後半、もしくは第二期ともなると
明らかにメインよりも扱い(登場回数/台詞)が
多くなっているものも散見する。

実に悩ましいところであはあるが、
ここがなんの利害も生まない賞だから、
関係ない。
仮に国井が「俺の『IS2』は
 シャルが主役なんだよね」と言えば、
シャルロット・デュノア君が
『主演女優』になるのである。

賢明な読者ならもうお気づきかと思うけれど、
シャルの場合は仮に女優賞で選に漏れたとしても、
『助演男優』で受賞もありうるのだ。
うるさいな。
国井がそれで良いといるのだから、
いいのである。
けれどその実、
国井はリンちゃんにご執心。(なにっ?!)

なので、先述した通り、
自分の好みとズレているからと行って、
真に受けないように。

では作品賞と、主演男優と女優。
それと、助演か。

この場合、『助演』ということで
国井の賞は二次元キャラに直接的な
生命の息吹を与えるというという
「助け」の意味で
声優さんに送ろうと思う。

他にはあるだろうか?

作品賞はアニメであるから、それとは別に
『原作賞』というのもアリかもしれない。
設定の妙、ということを強く認識させる作品が
多々あったのは記憶に新しい。
まずオリジナルであることが要求される
本家アカデミー賞にある『脚本/脚色』よりも
日本アニメ事情においては『原作賞』の方が
良いかもしれない。
もちろん、漫画や小説ではなくて(連動も多いが)、
その作品がオリジナルであれば、
それも『原作』に違いはない。
うん。『原作賞』ということに決定。

他にも『オープニング賞』
『主題歌賞』なども設けたいところだけれど、
作品賞(劇場とテレビ)、主演男優、
主演女優、助演男優、助演女優、
そして原作賞と、5つもあれば十分だ。
「ブヒり度」という観点では、
主演女優賞には最低5人ぶんの椅子が
欲しいところだが、
そこはぐっとこらえる。(うぐぐ)

決めてから考えるのが
また楽しかったりする。

アニメ会のライブで
「では何が受賞するのか?」という
クイズにしたことがあった。
もうずいぶんと昔。
観客が真剣に考えるように
「本当に欲しいと思える景品」も用意してね。
おかげで国井のレアコレクションの

『三鷹市水道局の綾波の例のアレ』

が手元から消え失せた。
しかして、
その水道局もいまはもうない。
(水道事業が東京都管轄になったとか)

うーん。
かえずがえす太っ腹なことをしていたな、と
反省ならぬ、自画自賛。

            次週へつづく。


   niwa.jpg

さてはて。
みなさまのデミー賞には
何がノミネートしてくるのだろうか…
…すこぶる、
どうでも良い話なのである。






最終更新日  2013.12.20 19:32:37
2013.12.13
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第377席

ミリタリーおじさんな国井が
かなりクラクラしている。
『蒼き鋼のアルペジオ アルスノヴァ』が
ぐんぐんと面白さを増しているからだ。

「現状を鑑みるに、この作戦の初期行動に
 この手を使うのはやむを得ない」

一見すると、見目麗しい美女達が、
意味なく(あるはあるのだろうけれど)、
軍事兵器を扱うハーレムもの、または、
いわゆる「擬人化もの」と見えるけれど、
本質的な部分で本作品の「面白がる」部分は
どうやらそこにはない。
少なくとも国井はそう。

なので上記した
やむを得ない手で初手を打ったという
ように感じられたわけであるが、
まず状況に即した
「合わせ方」をしているからこそ、
その、つじつま合わせのロジックが
いかように構築されているのかも
私的重要ポイントだ。
ここに
「(この作品は)『良くデキてる!』」という
感動も生まれる。
むしろ、溢れんばかりの本数においては、
この要素が「他と違う、新しい部分」の核だ。

単に、
ユーザが好むものの『羅列』に
なってしまうのかならないのかは、
ここにかかってくる。

この部分も『蒼き鋼の〜〜』での
整合性の付け方は秀逸だ。

こねくりまして着地する
「設定萌え」な形ではない。
極めてシンプル。
思わず唸った。(未見の人は作品を見よう!)

単純なのではない。
結果に最短距離で持ってゆく為に使われる
「省略の果て」でもない。シンプルなのだ。

国井にとってはこれが
作品世界に入り込めるかの
「納得度」と密接に繋がっている。

ニーズに応えようと
見目麗しい少女や美女、
または少年や青年だけを
「並べました」という形にならざるを得ない
状況下では、同時に

「だからなんで
 みんな若い女になるわけ?」

という疑念が常によぎる。
これだから100パーセント
「ブヒブヒ言えなくなる」という
悪循環に陥ってしまうわけだ。
(本来はこれが当たり前?)


だからこそ、若く美しい女性で
なければならない『理由』をどうつけるかに、
その『作品/作家力』を見るのである。

そしてこの『蒼き鋼〜〜』では、
その理由が「創造した設定」と
「その設定(世界)で生きる人物達との心情」と
上手くリンクしているのに痺れるわけだ。
こうなるともう、美女たちが水着だなんだという
『サービス』など不要であり、蛇足。

いや、書き方が違うな。

性的扇情性を持たない部分で
興味を持たなければ『サービス』も
国井には『押し付けがましい』と
感じられてしまうということ。

作品世界に「生きる人々」という
納得がいけばそれはつまり、
その人物に興味を持つ、
好意を持つということだから、
そこから
「ああ! タカオの水着姿みてえ!」
「キリシマの私服が個人的には至福っ!」
ともなりやすい。
いや、なってるんだけども。

もちろん、ここへ至るには
最短距離として、
絶世の美女であるという
『機能』が含まれる。

しかし、このように
感情的な部分ばかり眼につくようになると
それらは見る側にも作る側にも、
「お約束」として機能しはじめてしまう。

お約束というのは、
(好まれる)パターンの踏襲だが、
約束と言うのは、取り決めであって、
これだけで物事を動かせるようになってくると、
効率化がはかられてスムーズに進むようになるが、
逆説的に、突発的に発生する事象に
対処する力が根本から失われてゆくわけだから、
作り手は

「同じでありながら別のもの」

を目指さなければならない。
また、目指しているからこそ、
最近よく耳にする言葉では、

「ナナメ上を行っている」

というふうになる。
真上でも真横につけているわけでもない。
見える位置でありながらも、
少しXY軸ではない、
「少しだけちがう」距離感が
この表現がもつ意味が良く出ている。

「斜に構えたもの言い」

なんて表現を
主人公像に良く耳に出来るのは
このあたりの作用があるのかもしれない。

ここで少し脱線。
極めて個人的感想だが、
将棋のコマで、
飛車よりも「角」の方が、
ニヒルな感じがして、
ちょっとキザでカッコいい。

『熱量と文字数』で特撮戦隊ものの
話もされていたけれど、
そうなのだ。
この「角」。

つまり誰にでもわかる直情直線的な
『熱血』と基本スペックはあまり大差はないが、
動き方が「素直ではない」という部分が
キャラクタとして見ると、
すこぶるツボなのではないか、と考えている。

だからなのか、前世代では「二番目」の
位置にいたような人物像のキャラクタが
現代では主人公に据えられる。

アメリカンな『ヒーロー』ですら
メインに据えられる確立が
高まっているようにも見えるが、
いかがか?(Why So Serious?)

   401.jpg

どうでも良い事だけれども、
国井は『艦隊コレクション』(?)というのを
知らない。
サンキュータツオ氏との番組や仕事の関係者から
「最近は『かんこれ』が来ている」などと
聞いていたので、
最初は『アキカン』が
人気再燃で第二期制作ということか、と
思っていた(いや、本当に)が、
どうも、よく聞いていると
艦隊の話をしているようなので
おそらく擬人(美少女)化したものだろう、という
レベルの認識だ。
それは現在でも変わっていないが、
聞かれる前に書いておこう。

作品に登場しているのか、
今後してくるのか
どうかわからないけれど、
国井は色々な意味で「長門」でキマリ。

どうして、その海にいたのか。
どうして、耐えることが出来たのか。
そして、なぜ
「誰にも気付かれず」消えたのか。

ホラ、
このあたりがもう「いい女」っぽい。


あら?
気がついたら、『蒼き鋼の〜〜』の
ハルナの言う通りになってましたな。







最終更新日  2013.12.13 20:34:23
2013.12.06
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第376席


「監督に自作を語らせるものではないよ」

国井の映画歴代ベストイレブンに
20年以上レギュラ登板している
『ABYSS(完全版)』の監督/脚本である
J・キャメロン監督が
特別版LD(レーザ・ディスク。
ブルーレイの二世代前のメディア)で自作の
企画意図や映像制作の「目論み」などを語っていた
インタビューの締めくくりにあった言葉だ。

自虐的なコメントというよりも、
読者に気遣ったユーモアとしての
発言もあるだろう。
その「語り」があまりにも長かったからだ。

国井にしてみれば
特別版なるメディアを購入している時点で
「いえ、
 監督の『そういう話』も聞きたいのです」
ということであるから、
文字数が多ければ多いほど
商品としての『特別版』の意味が
しっかりしたものになるわけだけれど、
確かに。

客観すれば、
そういった自作について語るというのは
「監督の言い訳」になってしまうのだという
危惧もあったのだろうと、推察できる。

   kaguya.jpg
で、何の話なのかと言うと
高畑勲監督による
『かぐや姫の物語』な訳であるが、
この作品のパンフレットの冒頭からして
興味深い。

スタジオジブリのリリースとして
「二巨匠新作同時公開」という目論みからか、
宮崎駿監督による『風立ちぬ』の
パンフレット同様にまず、
監督の「企画書」的なものが
掲載されている。
ここでまず宮崎監督との対比の
コントラストが見えて、実に面白い。

極端な言い方をすると
「内側の人」と「外側の人」という印象だ。
もちろんこれは、作品世界/キャラクタに対する
二大巨頭のアプローチの差異。

原作ものであると言うことも無視できないが、
高畑氏のそれはとにかく
「外側から俯瞰している」というものが
核にあるようにみえるからだ。

とはいえ、
フィションとしての『物語』は
一旦横に置いておいて、
作品背景を物語として
読み解こうとするものではない。
『竹取物語』も原作者自体が
謎につつまれており
(紀貫之という見方が大方?)、
『物語』で溢れかえった現代ではよほど
こちらのほうが
「いちげんの客」を想定したとき、
興味を引くのではないかと思えるが、
氏はそうはしていない。
これまた氾濫しているかに見える
お手軽歴史ミステリィではない。

作品で描かれていたのは
女性の「生き様」だ。
当然、時代考証としての視点もある。
当時は現代人の感覚では理解すら難しい
『階級』の社会。
「女性は男に対して意見など言えない」
社会だ。
「言わない」のではない。
「言えない」だ。
正確には
「言うことが許されていない」
社会構造であるということだ。

原作である『竹取物語』自体からして、
貴族をとことん愚弄する構造になっている。

山に入って竹を取っている夫婦の娘が
貴族の申し出に条件をつけたり、
社会の頂点である帝の要望を断るなど、
当時の身分階級社会ではありえない。
断った時点で、即皆殺しだ。(いや、本当に)

さすがに『ジブリ』ワークスだけあって、
そちらの方向に舵を切っている訳ではないから、
物語はあくまで
一人の少女(個人)が思い描いた幸福と
周囲(主に社会的地位にある男性)が考える
幸福との温度差が描かれる。

ここがすごい。
しかもその「幸福」とは
野山で少女がはしゃいで走り回るという
ジブリ印なイメージでもあるわけだがしかし、
本作ではさらにこれを破壊するのだ!

「全速力だけど、逃げるため」
「楽しく走っていたのに、突然やめる」

ここがすごい!
高畑監督すごいことをやっている!

よくよく考えてみると、
この作品自体も『竹取物語』よろしく、
紡がれた当時の背景が
明確に「隠されている」と
見えないだろうか。

「誰もが知っている原作」のアニメ化。
美少女がいきなり現れる、
いわゆる「落ちモノ」。
舞台は自然が残る「山村と地方都市」。
(一応は、だが)お金の心配なく、
「風光明媚な山村でぐだぐだと一日中遊ぶ」

ほら、これだけでもう、
立派な
『現代萌えアニメ』なのである。

ここに
自分の中に真っ先に浮かんだ
「なぜいま『竹取物語』なんですか、
 高畑監督?!」という
疑問の雲は
きれいさっぱり消えたのである。

エンターティメントという言葉が
生まれる前に書かれた古典というのは、
ややもすると「分析」「研究」だけの
視点になりがちだ。

本作は「一人の少女の眼」に
拘ることでいたってシンプルな
成長譚として見る事ができる。
『ノイタミナ』枠にあっても
おかしくない位だ(そうか?)

けれども、『かぐや姫の物語』の
かぐやは成長しない。
することを「許されていない」。
そのニュアンスがラストシーンでも
はっきり読め、確信を得た。

「見たことがないような映像」も
さることながら、
国井視点での
『萌え(燃え)アニメ』としては、
やっぱりそこに痺れてしまう。

いや−、良い物を見た。
年の瀬も迫った時期、
こんなにも凄い物をみてしまったら、
他の作品の印象がすべて
すっとんでしまうのではないか。
少なくとも国井はそう。
すっとんで消えてしまった。

本作の最大の罪は、ここかも。
  higan.jpg


それと、
既に告知されているとおり、
2006年から始まったこのブログは
本年12月31日を持って終了します。
ただ、先方の厚意により
掲示板機能はそのまま残ります。

これはどういう事かというと、
仕事として受注を受けて
「毎日書いてほしい」
「毎日書きます」という事では
無くなるということ。

つまり、「仕事として必ず書く必要はない」
ブログになるという事になる。

メンバーによってどのようにこの
掲示板を利用するのかわからないので
更新頻度もまちまちだ。今まで通りに
更新してゆくメンバもいれば
まったく書かない人もあるだろう。

国井は後者かと思うが、
仕事ではないから、気楽なものなら
あげるかもしれないが…どうだろう(笑)













最終更新日  2013.12.07 00:03:37
2013.11.29
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第375席


なぜスタジオジブリの新作の話なのに
このタイトルなのか。

  taketorinookina.jpg

現時点で国井は
『かぐや姫の物語』は見ていない。
けれども、イメージとして
「やはり、トキとラオウなのだな」
というのが国井の結論だ。

なんの結論かというと、
つまり、『かぐや』の監督である
高畑氏と『風立ちぬ』の宮崎駿監督が
国井にとってはまさしくトキとラオウ、
「同時代に生まれた別タイプの天才」だということ。

こういう『凄さ』を
同時代に体感できると言うのは
ある意味、幸福だ。
これには「自分にはできないという事を
再認識させられる」という苦い側面もあるが、
これらを含めるからこそ「凄い」のだと思う。
これも「他者との距離」を掴む為の重要な
プロセスだと考えるからだ。

単に快楽ばかりに終止するようになっていると、
自己顕示欲の肥大のみになって、人間は荒む。
国井はそう思うし、そう見える。

まるで長い時間をいきている
人間の物言いだ。17歳なのに。
妙だな。

話を戻そう。


「トキとラオウって?」

と言う人も正しい。
マンガ『北斗の拳』の登場人物である。
なのでもはや若い世代にはピンとこない
比喩だとはおもうけれど、あえてこの
二人の名前を使う。(アニメだからだ)

高畑監督と宮崎監督の
日常のオンとオフを国井が知る訳ではないので
長い時間「いち観客」として見て来た
邪推ではあるが、国井のイメージでは
宮崎監督がラオウで高畑監督がトキ。

もちろんこれは
キャラクタ設定がイコールではない。

「宮崎監督はラオウだ」

などと言うと、
作品世界のものとイコールで捉えて、
恐怖政治がしかれていると
考えてしまう人もいるだろうから
注意しておく。

『北斗の拳』で語られている
この二人の天分のタイプというのは
つまり「静と動」であり、
それが端的にジブリの二大巨頭に
オーバラップしてしまうのだ。

いや、
「ジブリの巨頭」というのは、違う。
現代の『日本のアニメ』と言っても
良いかもしれない。

すると、

「おいおい、
 高田さんより押井さんだろ」

と思ったあなたはもう30過ぎ。(失敬?)

国井は17歳だけれど(しつこい?)、
確かに「静的」と言う意味でも
押井守監督を
トキとしたいところだ。
けれども全体を考えれば、
やはり高畑監督がトキなのではないか。

押井監督はケンシロウだろう。
だから海外でもいちはやく
実写映画になるのだ。(意味不明?)

「じゃぁ、ジャギは…」

いやいや。
私は『天才』の話をしている。

             次週へつづく








最終更新日  2013.11.29 21:18:00
2013.11.22
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第374席

いわゆる『ネタバレする』ので
気になる人は今週は
読むのをやめる方が良い。

   ijigenn.jpg

もちろん、
具体的に劇場映画の『まどかマギカ』の話を
するわけではない。

「なんだ、
 それではネタバレじゃないじゃないか」と

思われる人もいるだろうが、
もし、このブログで書いていることが
ミステリィなどの物語(商品として、の意)で
あるならば、
上記のような「こういう話ではない」という
感想も十分なネタバレになる。

「あんなどんでん返しありえねー」

などと言うのも、
ネタバレにあたるだろう。
構造を把握する視点から読めば
「終盤でひっくり返す」と言う
構成がわかってしまうからだ。
これはつまり、
冒頭や中盤に「ミスリード」という伏線が
張られているということを指すからだ。

「これはマジックショーです」と言われてから
派手なスーツを着た人物の前にあった
テーブル上の小物が消失するのを見るのと、
たまたま入った喫茶店の
隣のテーブルに座った
人物の目の前にあったガムシロップが
消えたのでは、
おそらく「驚き」が違ってくるはずだ。

事前になにかが起こるという事が
わかっているから観客はその前提で
事象を観察しているからだ。

だから前者の驚きはやがて
「こんな技術を持っているんだ」と言う、
マジシャン本人への評価につながるが、
後者の場合は印象だけが強く残り、
それを他者に伝える時に
印象だけを口にする傾向に
あるように思える。
つまりは「見たまま」だ。

…『のんのんびより』の7話。
よかったなー。

それと特筆すべきは
『ガリレイドンナ』の第6話。

あのガンアクション(ここでは
「道具を扱う」動き、の意)の
凄いことすごいこと!
詳しい人ほど「ん?」となるように
ミスリードさせておいてから、あの動き。

国井言うところの『スパナ娘』系な
三女の「思わず凝視してしまう
オーバーオール(今はサロペットだっけ?)の
着こなし」と同等に、あのオートマチックの
扱い方に国井はぐっときてしまいました。

あれをアニメ(絵)でやるなんて、
相当なこだわりと覚悟です。

いやもう本当に、
三女のオーバーオールと同じに
たまらんかったです。
(本音はどちらだ?)






最終更新日  2013.11.22 20:30:08
2013.11.15
カテゴリ:金曜…国井咲也
時間の合間を利用して映画鑑賞。
直後である。
便利だな、インターネット。(しみじみ)


  feardoream.jpg

映画は、
怖い夢を見ていた少女の物語。

…と書いてしまったが、
これでも十分なネタバレなのである。
ここが難しい。
これについては次週へつづく。


叛逆どころか、
観客の物語として語るならば
もちろん『半額の物語』ではない。
映画としては『満額の物語』だったのではないか。

二時間で1800円。

「コストパフォーマンス」で
国井は映像作品を捉える部分もあるので、
冒頭の変身シーンが1800円の価値は
あると感じたので満額。

あれは新しい!
いや、マジで! 必見。













最終更新日  2013.11.15 13:25:52
2013.11.08
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第373席


数が多い中にあれば
「少ない」ことが珍しくなるし、
少ないものに囲まれていれば
「多い」と言う事に驚いてしまうのも
当然と言えば当然だ。

それがその人にとって
「非日常」になるからだ。

つい、この間仕事で
鳥取県と島根県(ここは国井の『観光』だ)の
電車を利用したのだけれど、
ここで困った。

米子駅から
電車に乗ったはいいが、
島根県の出雲までは一時間以上もあったので、
途中、トイレに行きたくなったのだが、
よく考えたら、国井の「日常」のように
次の停車駅で下車して駅のトイレを使い、
すぐに次の電車に乗る、と言う事が、
この島根に向かっている電車ではできないからだ。

降りたら最後、
次の電車まで一時間以上も駅で
待たなくてはいけない。

そこで気になったのは
通勤や通学で
使うような人たちはどのように
対応しているのかと言う事だ。

「よ、よもや老人用のおむつ?!」

思わず明らかに「観光客」ではない
乗客の腰回りを観察しそうになる。
そんなはずはないが、
その時は国井が
トイレに行きたくなっていた為に
思考力が下がっていたのだ。

しかしどうするのだろう。
観光であれば、まぁ、
「ムダに一時間過ごすのも贅沢な旅」と
思うこともできるが、
通勤通学ではそうはいかない。

どう考えても、このアクシデントへの
対応の正解がアテントに帰結してしまう。

あまりに気になったので、
携帯電話を取り出し、
知人(先だって京都みやげをくれた人物)に
電話する。すると驚きの答えが!

「電車のトイレ使えば?」

天地がひっくりかえるほどの衝撃が走った。
知人いわく、たいていの車両には
トイレはついているはずだというのだ!

「そ、そんな贅沢なことが…」
「いや、ついてるって」
「車両トイレなんて、
 俺は新幹線でしか見た事がないのに…」

言葉を失いつつ、
列車内部をよく観察すると
確かに
「トイレは二両目連結部にあります」的な
表示が!

世界は、まだまだ謎だらけだ。
(なんだ?このまとめかた)



suisya.jpg

上の写真の建物はれんげちゃんには日常か。

国井はれんげちゃんと
同じくらいの年頃に木工工作キットでしか
作ったことしかない建物だ。

けれど、よく見るとこれは観光用。
言ってみれば実物大の稼動可能な模型で
ややがっかり。

しかし、もっとよく見ると、
その観光用パフォーマンスとしての
稼動時に利用されるであろう水路の水。

  suisyamizu.jpg

その水がこの透明度。水道水ではないのだ。

ここが「贅沢だなー」と国井が唸る部分。
見逃してはいけない。







最終更新日  2013.11.08 19:09:18
2013.11.01
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第372席

作り物でしか見た事がなかったものが
眼前に広がるのだから、
「おお! おおお!」と
きょろきょろしてしまう。
この状態を外側から観察されると
「おのぼりさん」という事に
なるのだろう。
超高層の電波塔を眺めて
国井は何が楽しいのか、
何が珍しいのかといぶかしむけれど、
これは、神社や「森」をみて、
何が珍しいのかと
けげんに思うのと同じことだ。
その人物が
育った(見て来た)環境と言う
バックボーンによって、
これらが異なってくるのは、
ごく自然なことだと言える。

    billding.jpg

ここで見過ごしていけないのは、
一見の観光客にとって
この「何が珍しいのか」という事の
強調が求められてくるようになる、と
言うこと。

「世界一高い」
「歴史が古い」

というようなものだ。
多くの人の価値観は
ここで止まる事が多いから
「いちばん」
「凄く」
と言う強調が頻繁に使われる。
最近では「絶品」という表現を
嫌というほど耳にする。

なぜそこまでの高層化が必要で、
それを作り上げる為の技術革新の経緯。

神社などであれば、
「なぜその土地にそれが建築されて、
 なぜそのような名前(字)が
 当てられているのか」
というような部分にまで興味を持つ人は
稀だからだ。

これがどんな分野でも散見できる
「濃くなる」プロセスだと
考えている。

逆説的に
『極悪』『史上最悪』
『最狂』などと言う
マイナスイメージの表現も、
この味付けプロセスによるものだろう。
つまり、まず最初に
すべてが均一化すると言うような
『飽和』がベースにある。
豊かな社会だ。悪くはない。

さて、「均一化」と言っても、
すべてが同じではない。(当然だが)

『見せ物』としての
ドラマ(アニメもドラマだ)の
ニーズとは、極端だがつまり、

「自分と同じでありながら、別のもの」

ではないかと感じる時が多々ある。
自分と全く同じでは
ドラマとして「面白みがない」と
なるのだろうし(切り捨て御免!)、
完全に「新しいもの」では
理解されない。

「人間が描けていない」

などと言う批評はこのあたりに
要因があるのではないか?

アニメでも同じだろう。
「ジンガイ」だの、
「ケモノ」だの、
「男装女装」だの、
「擬人化」だのと言っても、
その核にあるものは、結局、
『人間』(ほとんどは
対象ユーザにとっての異性)に
なっているからだ。
少なくとも
国井にはそうにしか見えない。

繰り返すが、
それが悪い、と言っているわけではない。
注意されたい。

                つづく


  inasatorii.jpg

来週末にWOWOWの
『トークストック』という
イベントに出演するので、
その話を少しだけしよう。(いわゆる告知)

サンキュータツオ氏の依頼で
なんだかちょくちょくやっていた
国井の鉄砲とアニメの話を再度行う。

もちろん、昨年の『ソクラテスの熱弁』や
それ以前の『コレカミ』に
来てくれた人の事も考えると、
『まったく同じ』ものにはしない。

…と、言うと聞こえがいいが、
基本的には単なる
国井のこだわりかもしれない。

なので今回は実写映画
(ハリウッドガンアクション)も
からめるつもり。

前回は『理論と実践』と言う
ライブテーマだったので、
『実演』したのだけれど、
今回は『動き』ではないディープさを
増量して『弾薬』の話も含める。

なので残念ながら、
今回はゲストに
セクシー川田くんを呼んでの
「目で見るCQC」のコーナはない。
ないのだが、
見る事はできるようになった。

『熱文字』のブログ。
編集長が動画として去年のものを
あげてくれている!

勢いで喋っているので、
マニア的には
ミスな表現も多々あるが、
新しい形の
「アニメ大好き!」と言うプレゼンと
して楽しんでいただければ幸いだ。

川田君が実にいい仕事。
もちろん、進行の
タツオ氏もそうなのだけれど、
見返すたびに感謝。






最終更新日  2013.11.01 17:34:24
2013.10.25
カテゴリ:金曜…国井咲也
国井咲也の満巻全席 第371席

今では聞かなくなったけれど、
「おのぼりさん」という言葉が
流布していた頃があったように思う。

その頃の使われ方では
どうも「東京に来て
きょろきょろしている田舎者」と
言うようなニュアンスで
使われていたようだ。
だから「上京」という言葉から
「のぼってくる」という事なのかも
知れない。語源は知らない。

テレビなどで「毒舌」と呼ばれる
東京出身のお笑い芸人が
『ネタ』として
観光客(とその行動パターン)を
揶揄していて、それによって
マイナスのイメージで
定着していたかに思う。

何度も書いているが、
どの都市も巨大なターミナルが
整備されているようになっている。
施設に必要なのは
「大人数を効果的にさばく」だろうから、
どこも皆、同じようになる。
求められるのは同じ機能だからだ。

こうして目的地の「入り口」の
均一化が進み、その上で
移動の高速化も進んでいるわけだから、
「テーマパークでのアトラクションめぐり」
と言うものとほとんど変わらなくなるわけだ。

たいして変化のない場所にいるわけだから、
「おのぼりさん」という言葉も
聞かれなくなるのだろう。

こうなると
逆説的な欲求も生まれてくるはずだから、

「のんびりいこう」
「時間を買うのです」
「スローを楽しむ」

みたいなニュアンスの
広告や移動手段(高級船舶や寝台列車)が
出始めるのはその為だ。
「最初の部類」であれば、
主流に対するカウンターとしての
告知効果があるからだ。

話がそれるようだが、
少し前に訪れた、島根観光について。

奇麗な海に向かって20分歩き、
レンタルサイクルで
うっかりヒルクライムを
楽しむはめになり、
英国式庭園のシンメトリーに
にやけ顔を隠さず文字通り「ブヒブヒ」と
感嘆の声を上げながら
写真を撮影していたわけだが、
この状況こそ、地元の人にいわせれば
まごうことなき
「おのぼりさん」だったはずだ。

事実、
アニメ会の三平氏と比嘉氏は
地方都市出身だからだろう、
この国井咲也の過度なブヒり度に
対して「田舎を珍しがりやがって」という
ツッコミをたびたび喰らわせる。

的確なツッコミだけれども、
ここで重要なのは、
里山があって、小川が流れて、
釣りができるような海もすぐそばにあって、
というような場所がやはり
国井には「珍しい場所」で、
二人には珍しい風景ではないと言うことだ。

国井の父方の実家は
首都高と高速併用で片道2時間。
母方にいたっては
都営地下鉄新宿線で20分と言う
環境であったから、
夏休みに泊まりで帰省する、
行きと帰りの大渋滞、と言うような
『盆暮れの名物』が子供の頃、
本当に意味が分からなかった。

つまり、人気のゲーム『ぼくの夏休み』や
『のんのんびより』の世界は国井にとって、
「作り物の中でしか見たことがない」
世界だった訳だ。

           次週へつづく


   kenna.jpg
その島根で撮影した一枚。
先日の『ぷらすと』
(まどかマギカについて語れ)の中で
少しだけ触れた、国井が傾倒する
写真家のM・ケンナに強く
影響を受けていると目される。(笑)

このニュアンスの背景が
どのキャラのどの心象シーンにあったか、
今度公開される映画の前に
予習しておこう! ヒントは

「国井咲也は『インフィニット・ストラトス2』の
 会長にもご執心」だ!








最終更新日  2013.10.25 22:10:02

全471件 (471件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 48 >

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

フリーページ

日記/記事の投稿

楽天カード


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.