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カテゴリ:映画と原作の間
好きな映画とリンクするのですが。
なかなか「美しき冒険旅行」のDVDを 見直すチャンスがないので、それまで 他のもので。 今回は、原作が絶対に辻仁成さんの、芥川 賞作品「海峡の光」に影響を与えていたと 思える勝手に人の心理を読む純文学で。で も、個人的には原作、映画ともにかなり高 いレベルの作品だったと思ってます。 青春時代の幻影と現実からの逃避。それに よる新しい世界に対するときめきと期待。 って、ことになるんだよなあ。堅く書くと。 原作の独白。中年男「私」によるものだけど、 これを最初に読んだ84年3月にも“こう いう自分で何も手に入れられず、他人に期待 しておこぼれをもらおうとする男には なりたくないけど、なるかも”と思った 記憶はあるのですが、20年ほどの年月が 経って、やはりなってしまったか、が実感 で。 映画は、中年男を杉浦直樹さんにやらせて、 彼が期待を抱く青年に、沢田研二を配して ます。原作の方が、丸山健二さん自身が、 その10年以上前に書いていた「雨のドラ ゴン」をどこかほうふつさせる期待と現実 の残酷なコントラストを突きつける、しが ない中年男の心理ドラマなのに対し、映画 は無機質な人間関係を、涼しい北海道(函館 から大沼まで、って感じ)を舞台に描いてます。 この映画の公開前に、「風の歌を聴け」の ところでも書きましたが、大森一樹監督に インタビューしたことがあります。その時、 「家族ゲーム」で時の人、に近くなっていた 森田監督に関して「彼(森田監督)はほかの 監督とは付き合わないっていうのを信条にし てるらしいですよ。親しくなるとやる気がな くなるやないか、いうて」と話していたのを 思いだします。 同時期に「すかんぴんウォーク」が上映される という絡みもあって聞いたのですが、考えたら その時に「なんで映画は温かくなければいけな いんや、思いますね」という、「風の歌を聴け」 の低評価に対する、大森監督の本音を聞いた ことがありますが、この「ときめきに死す」 もまさに、そうなりました。「涼しいですね」 という、ジュリーのセリフを劇場で聞いた時、 僕はほんとうに鳥肌が立つほど感激しましたが、 そんな人は当時、ほんの一握り。 大沼公園や函館本線の渡島大野駅を巧みに使い、 映像(前田米造)も、音楽(塩村修)も監督の 狙い通り、透明感のあるガラス細工のような 見事な出来映えで。肝心の映画全体も、丸山 健二の原作ものは、原作があまりにきちんと 出来上がりすぎてるためか失敗作ばかり(「 アフリカの光」「正午なり」)だったのを、 最低ドローに持ち込んだ、ということで覆した 初めての作品だと思ってます。 大森一樹監督の「風の歌を聴け」と、この 森田芳光監督に「ときめきに死す」。 原作を見事に換骨奪胎し、自分のフィールド の話に作り変えて、映画ってこんなに 面白い、っていうのを認識させてくれた 二本。 ともに“温かみがない”と、低評価を受けた のがお笑いで。二本とも見事に、20年経って カルトムービーとして残っている(と僕は 思ってますが)というのが、監督の、と いうか作る側の醒めた映像の裏にあった熱意 の証明ではないか、と思います。 僕は眠れない夜。テレビを見る気もなくつける 時、DVDなら「ときめきに死す」、ビデオな ら「風の歌を聴け」をバックグラウンドムービ ーとしてよく使ってます。ともに、本当に心地 いい。こういう見方をされることを制作側が 望んでいたかどうかは知りませんが。 (下)「ときめきに死す」(文芸春秋、84年2月 10日発行の第三刷、映画公開に合わせて 増刷されたんだと思います) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年03月08日 00時43分23秒
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