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カテゴリ:ふむ。
ちょっぴりうまくいかないことがあって、
久々に落ち込んでいたりする。 ちょっとしたつまづきから、 いとも簡単に過去の傷を再生させて、 ドロドロの自分に陥るクセがある。 通勤のバスの中で、涙を流して、 電車の改札では混雑に怒りをぶつけ、 座席についてフテ寝してみる。 頭の中では、怒りと悲しみが、 ぐるぐる ぐるぐる。 ふと顔をあげると、 おじいちゃんが席を探していた。 席を譲ったら、とっても嬉しそうに 「ありがとう」と言ってくれた。 それに「どういたしまして」って応える自分は、 自分で驚くほどいい笑顔をしていた。 ぐるぐるぐちゃぐちゃの自分も、 人を愛してやまない自分も、 同時に存在しているんやな。 ちょっとだけ、心がほっと軽くなった。 そうしておじいちゃんの、 照れることなく向けてくれた笑顔に、 人の優しさをこんなにも嬉しく感じれる、 今の自分の状態も豊かだなって思って、 またちょっぴり泣けてきた。 晴れのち雨の今日の日と まだ見ぬ天気の明日の日と お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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ほんのちょっぴり嫌なことがあったんだね。
雨の日だったんだね。 (2007.02.17 19:31:47)
うん、そうなの。
でも他にも頑張ってる人の話聞いて、凹むには早すぎるって思った一日やったよ(^_^) (2007.02.17 22:37:41)
ちょっぴりうまくいかないことが、
みぃささんの心の豊かさを改めて気づかせてくれたんだと思います。 ちょっぴりうまくいかないことさん、みぃささんをほんの少し育ててくれたんだね、ありがとう^^! そしてみぃささん、よく気づくことができたね^^! いつも心が豊かでありますように!! (2007.02.18 11:39:28)
みぃささんの日記読んで第5番のボクネンさんの言葉思い出したので書き込みますね。
『みんなもっと悲しくなろうよ、というか、幸せになろうよというか。悲しいことを怖がるとか、悲しくあってはいけないと思う気持ちが、人の本当の幸せを信じきれない理由かもしれない。 僕が第4番で、「幸せは減らない」と言ったのは、みんな幸せになる権利をたっぷり持っている。だけど、人が生きていて、人に限らず、生きものだって、樹木だって、生きている時にものすごい嵐が吹いたりいろんなことがあります。 その中には、僕ら自身が不幸と感じることも、幸せと同じように、まるで粗縄の糾いのようにやってくるし、悲しみということを知らないと、悲しみの心情になる人のことを想像することができない。 自分の中でそれをコントロールする力、抑制するというか、それもまた、人間という生きものが獲得した野生の力だと僕は思うんですよね・・・・。 僕は断言したいんですけどね。 幸せのほうがずっと多いんですよ。 ただ、たくさんの幸せの中にある、ほんのちょっとの不幸が、全てを不幸に思わせてしまう。そういう感情を人間が持っているので、心の中の、心の使いよう、というのは自分自身に責任がある。それをしっかり持って、このいっぱいある幸せを満喫しなければならない、と思うんですね。 何度想ってもそう想います。』 (2007.02.18 11:56:11)
σ( ̄^ ̄)も嫌な事があると、どうしようもなくなる人間でした。何と言うか、自分で考えたロジック、ファクトベースでロジカルに考える、と言う事を全てに当てはめて、それに当てはまらない人は無駄、とすら思う日々がありまして。
人間的に物凄い狭いんです。それをはっきり悟るまで恥ずかしながらこんな歳に成ってしまって。今でもそう言う事をはっきり分かるか?と言うとちょっと不明ですね。でも確かにそんな時でも電車の中で赤ちゃんを抱っこした人とかに席を譲って、赤ちゃんにじ~っと見つめられた時なんか、勝手にニコニコするんですよね。前にみぃさ殿の日記にありましたけど、それで赤ちゃんがニコって笑ったら、カンカンカンカーン!でしょうね♪ (2007.02.18 23:13:06)
ヨッシー^^
そう、揺れたのだ。豊かなことだよね(^-^) おむすびさん このボクネンさんの言葉は何度聞いても感動しちゃいます。悲しみを受け入れた時に、初めて幸せも現れる。光と陰のように。そう実感します。 スーニバースさん 「自分が何も知らないという事だけを知っている」とゆー状態になるのは、時間のかかることですよね。私もまだまだです。人生は未知なることばかり。だから好きさ(^O^) (2007.02.19 21:09:59) |