ゴジラ老人シマクマ君の日々

2023/12/19(火)11:39

ティエリー・フレモー 「リュミエール!」 パルシネマno3

映画 フランスの監督(45)

​​ティエリー・フレモー 「リュミエール!」 パルシネマ​  さすがのぼくでもリュミエール兄弟が何者かぐらいの知識はあります。映画の父たちだ、とまあ、その程度なんだけれど。1890年代のフランス、リヨンで始まった映画というものがどんなものだったのかという興味もあります。というわけで、パルシネマしんこうえんの前列3列目、中央で待ち構える事態とあいなったわけです。「リュミエール!」始まりました。映画の始まりの映画の始まりです。 どうやら一話50秒がサイズらしいですね。何だかおおぜいの人が門から出てきます。続けて、少し変化して、三本目は馬車が立派になりました。どうも、これが始まりらしいですよ。  太ったおかーさんがいて、おちびちゃんが食事をしています。子どもが二人で踊っていた、別のおちびちゃんは猫にエサをやりながら、逆に、猫に絡まれています。かわいい!それにしてもデカい猫ですねえ。  我が家にも、この手のちびちゃんや猫たちの40秒から1分のビデオ画像が送られてくるのですが、孫に限らず子役と動物はすごい!ですね。100年以上も前から、誰もがポケットにカメラを忍ばせている現代まで、この可愛らしさは変わらないようです。 ​ この猫も、おチビちゃんも、もちろん映像の中にしか生きていません。今でも生きていたら、確実に「化け猫」になっているに違いないわけで、そんなことを考え始めるノンビリ感が何とも言えません。​​  機関車が向うから近づいてきます。残念ながら、当時の観客のように「思わずのけぞる。」とはならなかったのですが、​​​「なるほど、これが、あの有名な‥‥」​​​ と、変なことで満足しています。​​  水撒きのギャグがあります。壁を壊すシーンの逆回しがあります。これは、きっとウケたでしょうね。曲芸があります。これなら、単純に、今でもウケます。水浴びがあります。軍隊が訓練していますねえ。軍隊なのに雰囲気がいい加減なのが、みょうに面白いですね。赤ん坊と看護婦(?)が次々とやって来ます。何ですか、これは、なんかの喜劇のシーンですか?なんで列をなしてやってくるの?​​​​​​「50秒で、次々と、こんなに面白くていいんですかね。映像があるだけなのに・・・」​​​​​  世界の町が、次々と映っています。ニューヨークも、ロンドンも、パリも、エッフェル塔もあります。​​​​「パリの博覧会の頃やな。漱石もこれを見上げたんか、いや、登った?」​​​ そんなことを考えていると、カメラは垂直に上昇して、やがて俯瞰します。今では当たり前のこの視界の変化が、新しい世界の見方を作り出したんじゃないか、そんな感じが確かに実感できます。​  なんと、日本の剣術の練習の映像までありますよ。​​「スゴイ。これは日本のどこなんやろう。それにしても、やっぱり日本人や。なんでやろう。シーンの雰囲気が「ニホン」やなあ。ヨーロッパ目線か?そうか、そうなんや。」​​​​ 植民地ベトナムのシーンがあります。ヨーロッパ人の女性が二人、小銭をまいている。ベトナムの子どもたちが、我先に、夢中になって拾っています。「アーロン収容所」(中公新書)の会田雄次を思い出しました。​​  そう思っていると、一方で、少女がカメラに向かって歩いてくるシーンに変わります。不思議なことに、シネマトグラフ(?)はアジアとヨーロッパの壁をやすやすと越えて、ベトナムの少女の明るい美しさを映し出し始めるんですね。それにしても、やはり目線はヨーロッパのものかもしれないとは思いますが。​ どの映像もフィルム(?)が修復されたのだと思いますが、映像の美しさに感心させられました。多分、100本を超える50秒。堪能しました。​​​​​「これって、まあ、映画が始まってるよな。どういうことなのかなあ?音楽とか、セリフとか、ストーリーとかないのになあ。今これだと、寝ちゃうけど。」​​​​​ ​結構、お客さんが入っているパルシネマの午後でした。​​ 監督:ティエリー・フレモー 音楽:カミーユ・サンサーンス 原題:「Lumiere!」 2016年フランス90分 2018・12・13・パルシネマno3 追記 ​​ 「映像」とか「カメラ」という装置やシステムこそが、近代的な風景を作り出した。そんな実感を強く感じた映画でした。その上で、サイードが言った「オリエンタリズム」って、こういう視線なんだ、きっと。  観終わって、しばらくたって、そういう得心がやってきました。​​​ ​ボタン押してね! にほんブログ村 ​​ ​​​​​​​

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