【4日目: 死海 → ジェラッシュ → ボスラ → パルミラ】
のんびりした昨日とはうって変わって、今日はハードな1日。
朝8時に死海の快適なリゾートホテルを出発し、デッド・シー・ハイウェイを北へ北へと走る。ちなみに、この道路は、1994年にヨルダンとイスラエルの間で和平協定が結ばれるまで、軍用道路として使われていて、一般の車は走れなかったとのこと。
![jerash1.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/44/0000084344/74/imgc2766772zik3zj.jpeg)
アンマンを通過してさらに北上、
ジェラッシュという町が今日の観光の目玉。
ジェラッシュは、
“中東のポンペイ”と呼ばれるほど、保存状態のよいローマ遺跡がある。大きな地震があり、町が埋まったために残ったのだという。
遺跡の入口には、とても立派な
ハドリアヌスの凱旋門(←)があり、その先に長さ245m、幅52mの競馬・戦車競技場がある。『ベン・ハー』さながら(?)、今でも観光客のために、レース(寸劇)が行われるんだとか。見たかったけど時間が合わず、残念無念。
![jerash3.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/44/0000084344/76/img91f6ac5bzik6zj.jpeg)
競技場を越えると南門があり、なだらかな坂を上ると
“フォルム”と呼ばれる楕円形の広場に出る。
柱がいっぱい残っていて、“中東のポンペイ”の名前は伊達ではないことを実感。と言っても、本家のポンペイには行ったことがないんだけど・・・。
さらに坂を上ると2世紀に建てられたゼウス神殿と、3000人を収容できた
南劇場がある。劇場はほぼ完全な状態で残っていて、サービスで警察のバンドが音楽を演奏してくれていた(↓)。
![jerash2.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/44/0000084344/75/imge21e7395zikazj.jpeg) | 劇場の座席には、αだとかδだとか、座席番号がギリシャ文字が書かれていたことと、舞台の真ん中に凹んだところがあり、そこで手を叩くと音がよく反響したことがとても興味深かった。
それらを活用しているのか、現在でも毎年夏に、この劇場でコンサートが開かれるらしい。
こんな素晴らしい劇場なのに、全景を写真に収めていなかった・・・動画を撮ったつもりだったんだけど、うまく撮れていなくて(涙) |
こちら(→)は、どっしりとした柱が12本残っているアルテミス神殿。
柱の上部は美しい装飾がなされていて、女神の神殿にふさわしい。
| ![jerash4.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/44/0000084344/77/img885b7847zikdzj.jpeg) |
![jerash6.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/44/0000084344/78/img5ed81349zik2zj.jpeg) | そしてこちら(←)は、列柱通り。
通り沿いには、大聖堂と言われる建物や、いくつかの教会跡がある。
ビザンチン時代に、オリジナルの神殿が教会に変えられたのだという。 |
以上でヨルダン観光は終了。
国境を越えシリアに入国。
出入国の手続きは団体で可能だったので、バスに乗って待っていればよく、楽チン。でものんびりしたアラブの国ということもあり、1時間半くらい待ったかな。
この国境に免税店があり、ホテルのレストランでは9~10米ドルもする
缶ビールが1米ドル!で売っていたので、みんな喜んで買ってました(笑)。
イスラム教徒は基本お酒を呑まないので、アルコールを置いていない店も多いし、置いてあってもめちゃめちゃ高いので、呑んべえはツライかも。
![bosra1.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/44/0000084344/72/imge25a99a1zikczj.jpeg)
シリア最初の観光は、
ボスラという町。
ローマ時代の劇場がほぼ完全な状態で残っており、世界遺産にも登録されている。
ここの劇場が珍しいのは、玄武岩で作られているため色が黒いこと(→)。
後のアイユーブ朝時代には、劇場を囲んだ壁が作られ、城塞として使われたのだという。
ボスラの観光はこれだけで終わり、バスに乗ってパルミラへ移動。
ホテルに着いたのは21時前で、それから夕食。
今日は長い1日でちょっと疲れたわ~。
明日はシリアのハイライト、パルミラ観光です!