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■エピローグ ~いろんなこと~を知る強さ
僕はこの旅で何を得ることができたのか?まだ分からない。 これから日本に帰ることで感じるのだろう。 ただ、日本にいたのでは得られなかったモノを得ることができたのは間違いない。 王さんは僕を両親に紹介して「付き合う」という関係になりたかったのだろうか? よく分からなかった。真相も聞かなかった。 中国での僕を心配してくれたのか?別の意味で、よく会いに来たのか?は分からないけど、僕の部屋のシャワーからバスタオルで出てきたときは驚いた。 服を取りに出ただけだ、と言っていたけど。本当に動揺した。 日本人と結婚しないと両親の身分がそこそこ上でも、観光程度にしか日本に来れない、と聞いたことがある。 勝手にいろいろ想像してしまって申し訳ないけど、ついついそういう下衆なことも考えてしまった。 結局、今後も普通の友人と言うことでいいのだろう。 中国最後の朝を迎えた。 早朝6時、馬鹿みたいに大きなリュックを背負って僕はホテルを出た。 ふと、上海で最初の夜に一緒に泊まった、小さなディパック1つの女性、中村さんの姿が思い出された。 この旅行中、自分の大きなザックを見るたびに、彼女は僕の頭に一瞬、現れた。 北京最後の朝も雨だった。朝靄の中、人力車に揺られて西単の民航まで行く。 僕はいつのまにか人力車での行き先や値段交渉ができる会話力がある。中国で自分の感情を表さなければ、余り非日常を感じない。 1ヶ月前、中国に来たときは全てにカルチャーショックを受けた。見るもの、感じるもの全てが非日常だった。 『中国』という新しいスタンダードを僕の身体に染み込ますまで時間がかかった。 自分の今まで持っている当然だと思っていた『理解』は、この旅では全く関係無かった。 人力車は西単についた。愛想の良かった人力車の親父に中国に来て始めてチップを渡した。なんとなく笑顔が見たくなった。親父はうっすら笑ったように見えた。 ここからは、リムジンで空港に行き、北京空港から福岡へ飛ぶ。 北京空港の免税店では、日本人ばばぁの猛威を見た。中国の騒音より、うるさいかもしれない。 杭州でもそうだったけど、飛行場では中国を感じることはほとんどない。あとは、ベルトコンベアのごとく飛行機に乗り、日本へ着くだけだ。 僕は1ヶ月ぶりに自分のベッドに横になった。月並みに「自分のベッドが一番」と言いながら、あっという間に寝てしまう気がしていたけど、なぜか寝付けない。 身体に疲れはあるが、明日の宿や、食事、自分の体調に何の心配もない今の状態が逆に落ち着かない。 僕はこの旅の答えを少しでも見つけておきたかった。 僕はこの旅で、何を「得た」というわけではないが、物事の考え方(捉え方)を1つしっかりと学んだのは間違いない。 例えば「虹」 虹は綺麗だ。 しかし中国で虹は龍の一部として考えられ、不吉の前兆と言われる場合がある。 要は・・・ 物理的に、雨の後など空気中の水滴などに太陽光が当たることで光が屈折して見えるのが虹。 この物理的根拠は世界共通だ。 だけど、心象的には全然違う。 日本では単に「綺麗」だったり「見れてラッキー」だったり肯定的な発想だが、 中国ではそうでない場合もあるわけだ。 僕が言いたいことは、一つ知っていても、それは、物事の一部でしかないことが多い、ということだ。 だから、1つよりも2つ知っていた方がいいと思う。 そういう意味で、海外旅行(いったことのない国に行くことは)大きな意味があると思う。 国自体を知らないわけだ。そこにある全てが、新しい、かつその国での歴史を踏まえた事実があるのだ。 特に予備知識のない国や、文化の全く違う国へ行くと、価値観は一つではないことを思い知るのだ。 応用するといろいろ自分の考えをまとめることができた。 ずっと僕を悩ました物乞いの子ども。 文化が違う所へ、僕がたまたま、今いるだけなのだ、将来を救うわけでもない。 恵んでやりたければすればいい。それはたまたま落ちてるお金を拾ったようなもんだ。 恵みたくなければしなければいい。それは日常だ。 自分の懐や円の強さの前に「恵んでやるべきだが、きりがない」と考えた自分が、浅い。 それこそ、自分の優位を話しているだけだ。 この旅は、僕のモラトリアムの終焉だと考えていたけど、まだ1年半、卒業まで時間はある。 さらに就職を決めなければ、モラトリアムの時間はまだまだ終わることはない。 新しい国に行けば、新しい何かを確実に感じることが出来ると分かった今、可能な限り旅に出たい。 僕は、次の旅へ出かけよう、と思った。そう思うと、心がふっと軽くなった。 もしかしたら、旅の途中から、次の旅の始まりを頭で期待していたのかもしれない。 僕は自分で最初から1ヶ月もの旅行ができるのは、1回くらいだろう、と自分で規制をかけていた。 まずは、この終わった旅をよく噛み砕こう。 そして、次の旅の計画を立てよう。 『~いろんなこと~を知る強さ』を自分の糧していこう、と思うことのできたこの旅の終焉と同時に僕は、自分の心の中にあった『旅』というものが、僕の心の中で、思っていた以上に、とても大きな位置を占めていることに気付いた。小学生の頃から旅は好きだった。でも『旅』自体に意味を感じ、『旅』を想うことは僕の感情を司る大きな要因になることを知った。 それは、僕の永遠の『旅』が始まったことを意味していた。 それが、よく言う「人生は旅のようなもんだ」ということなんだろう。 (了) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.05 15:44:07
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