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大明风华 Ming Dynasty 第30話「覚悟の選択」 永楽帝は伏兵などいないと判断し、朱瞻基(シュセンキ)や于謙(ウケン)の反対を押し切って大砲隊の移動を敢行した。 しかし運悪く撤退しようとしていたエセンの部隊が大砲隊の移動を聞きつけ、守りが緩くなった明軍の本営を攻めようと引き返してしまう。 やがてオイラト奇襲の知らせが本営に届いた。 樊忠(ハンチュウ)将軍は皇太孫に皇帝と逃げるよう伝え、自分の部隊を連れて応戦に向かう。 敵は目前、それでも永楽帝は敵前逃亡などできないと梃子でも動こうとしなかった。 朱瞻基は止むを得ず配下と2人で祖父の両腕をつかむと、なかば強引に本営から連れ出してしまう。 朱瞻基は祖父を山の洞窟へ避難させた。 大砲隊は敵軍に撃破され全滅、統率していたのは永楽帝が最も恐れていたエセンだったという。 そこで永楽帝は于謙を呼び、マフムードの次の一手は何か聞いた。 「山の入り口を死守します、エセンの追撃も続くでしょう 大砲隊は失われ、左右両軍と中央軍は分散してしまった…我が軍は引くに引けない状況です」 「中央軍と左右軍をひとつに…」 「皇上!深みにはまるだけです!敵に包囲されれば補給を失う!一巻の終わりです」 于謙は苛立ちを隠せず、つい声を荒げて諌めた。 ( ˘ω˘ )分かる分かるわ〜于謙の怒りが〜(←誰?w 樊忠が無事に合流した。 戦況が気になる永楽帝は急いで表に出たが、中央軍の生存者は1万程度しかいないと知る。 漢(カン)王や趙(チョウ)王が率いる三千営は三峡を攻め落とせず、タタールと争ううちに大砲隊が全滅、陣営は50里、後退していた。 樊忠は本営に三千営の配備をと進言したが、永楽帝は包囲される危険性があり、左右両軍を呼び戻す時間もないと反対する。 「兵を集め、態勢を立て直せ、まだ勝つ機会はある、本営は退かぬ 三千営に告げよ、一歩も引かず全力で戦えと…」 誰もが撤退を確信する中、皇帝の無謀な命令を聞いた樊忠は唖然となった。 |ω・`)樊将軍が不憫だわ…ハンサムなのに(←関係ないw 永楽帝たちは本営に戻った。 皇帝の幕舎からは奏状が数冊、地図や模型、兵士の名簿などが盗まれていたが、金目のものは残っている。 さすがエセン、戦略に役立つ物だけを奪って行くとは…。 永楽帝が幕舎に落ち着くと、朱瞻基は于謙に見解を聞いに行った。 今日の敵前逃亡で誰もが落胆する中、少し挽回できれば撤退を提言しやすいという。 しかし于謙は鼻で笑った。 「今日はまだ良い方です、エセンの攻め方は未熟でした マフムードなら今頃、私たちは捕虜になっていた 皇上が退避する時、大明軍の態勢は乱れ、軍旗も持ち去れなかった 一方、エセンは余裕でした、我らを捕まえようと本営に乱入、軍旗を奪い、三千営まで攻撃した 我が軍は打ちのめされ、収拾がつきません」 何より于謙が恐れたのは次に来るマフムードの襲撃だった。 「奴は仕損じません、今の状況で大明軍の撤退は難しい マフムードの攻撃を受ければ山海関(サンカイカン)へ逃げ延びることも困難… 大砲隊を台なしにされ、本営と左右軍は切り離されたのです 私がマフムードなら数日中に全面攻撃に出る 勝算を考える時ではありません…勝機はとうに逸した…命を守ることが最優先です! 今すぐ皇上を帰途に、残った軍隊で応戦させれば軍の基盤は保てる さもなくば…60万の大軍は消えます、皇上が戦死でもすれば取り返しがつきません」 一方、宮中では床に伏せった皇太子に代わり、皇太孫嬪・孫若微(ソンジャクビ)が政務を取り仕切ることになった。 皇太子の側近である楊士奇(ヨウシキ)・楊栄(ヨウエイ)・楊溥(ヨウフ)は困惑し、寝たきりの皇太子がどうやって奏状の返事をするのか訝しむ。 若微は自分が奏状を見て要約を口頭で伝え、皇太子は身振り手振りで意思表示をしていると説明した。 「署名は私が模倣を…」 「それは将来、問題になるやも…」 3人の重臣は規則に反すると難色を示したが、若微はこの国難の時に模倣が駄目なら3人が六部の官吏を連れて皇帝のいる草原へ行くしかないという。 まだ若い皇太孫嬪にやり込められた3人はおとなしく席に着くと、早速、若微は奏状の裁定を伝えた。 「太子爺は兵站(ヘイタン)を楡木川(ユボクセン)に置きたいと…蒙古語でウジムチン 輜重(シチョウ)営から最も近く、見晴らしのいい高地で往来時に敵を監視できます 騎兵も動きやすく、攻防に有利です…」 するとそこで若微は折子を閉じ、話を続けた。 「戸部に通知し、直ちに設営を 北方の備倭(ビワ)兵から精鋭を2万ほど選び、楡木川で皇上を向かえるようにと…」 この件は楊栄が引き受けた。 「太子爺が江浙(コウセツ)で購入した湿布と柴胡(サイコ)散、風寒(フウカン)散が斉化(セイカ)門に到着しました …優先して戦地に運ばせてください、特に風寒散は冬に不可欠です」 これは楊士奇が引き受けた。 若微は永楽帝に皇太子の病状を伝えたか確認した。 楊士奇は皇太子妃の要望で密書を送り、控えもあるので見せるという。 しかし若微は密書なら見ないと断り、それにしても皇帝から返事がないのは妙だと言った。 すると3人は顔を見合わせ、複雑な表情で黙ってしまう。 若微は最後に皇太子と相談して自分の名前で皇太孫に文を書いたと説明し、早馬で届けて欲しいと頼んだ。 「慰めは必要ありません、太子爺も太孫を帰さないのは戦が劣勢だからだと… 戦況の報告をいつまで隠すおつもりですか?」 楊士奇は仕方なく事実を伝えた。 すでに大砲隊が潰され、左右両軍と敵軍はこう着状態、皇太子の身体に障るかと黙っていたという。 若微も皇太子にはひとまず茶を濁しておくと伝え、軍報は自分が預かって皇太子の体調が良い時に読んで聞かせると決めた。 「私では心もとないでしょうが、どうかご容赦ください」 しかし3人は、若微のような賢妻が皇太孫を支えてくれるなら幸いだと喜んだ。 そんな中、戦地では幕舎の永楽帝が昏睡していた。 朱瞻基は自分が風邪を引いたことにして軍医を呼び、樊忠だけに皇帝の様子がおかしいと教える。 「許可なく誰も通すな…」 軍医は永楽帝に鍼治療を施した。 朱瞻基は早急に軍医の幕舎を近くに移すと決め、祖父の病状を口止めしておく。 「爺爺(イエイエ)はどれくらい悪いのだ?率直に申せ」 「瀕死の状態です」 一方、第2皇子・朱高煦(シュコウク)と第3皇子・朱高燧(シュコウスイ)は雪山で身動きが取れずにいた。 そこでひとまず2人は本営に戻り、父の指示を仰ぐことにしたが…。 永楽帝はようやく目を覚まし、朱瞻基は安堵した。 「医官によると血の巡りが悪く、静養が必要だそうです」 しかし動くと激しく胸が痛んで起き上がれず、永楽帝は自らの死期が近いことを悟る。 そこで朱瞻基に寝台の下にある書簡を読ませ、実は皇太子が重病だとようやく知らせた。 「書簡はずい分前に届いたが…お前を手放せなかった…」 朱瞻基はこらえきれず、嗚咽を漏らす。 。゚(∩ω∩`)゚。イエイエ… 「イエイエ…もう帰還を…あとは私が引き受けます、北京でしっかり療養してください」 すると永楽帝は皇太子が兵を交代させ、山海関を抜ければ朱瞻基に忠実な部隊がいると話した。 「太子爺…フッ…頭角を現してきたな、抜け目がない」 「爺爺、父上は爺爺に二心など持っておりません、今すぐ帰りましょう 爺爺と父上がいる限り天下は安泰です」 「そうとも限らぬ…お前の二叔と三叔はどうするか…私の懐に奏状がある、取り出せ」 その奏状は以前、和尚の姚広孝(ヨウコウコウ)が記した大明の国運に関する予言だった。 …占星術によれば100年に3度、大変が起きます …辛丑(シンチュウ)の年に一変 …飛龍、天に在る時、皇太子が急死し、天下は覆るでしょう これはまさに″靖難(セイナン)の役″を示唆していた。 …庚寅(コウイン)の年に一変 …群雄が角逐(カクチク)し、天地は血に染まる、兄弟も宮廷にて血みどろに争います …甲午(コウゴ)の年に一変 …白竜魚服(ハクリョウギョフク)して9年 …昇り詰めた龍は地に落ち、返り血を浴び、報復の殺戮が繰り広げられます 永楽帝はこの予言書を朱瞻基に託し、かつての誓いを忘れないよう釘を刺した。 「お前の手を身内の血で染めてはならぬ…」 しかしそれ以外のことは運に任せるしかないと話し、その奏状を子孫に引き継ぐよう頼む。 そこへ朱高煦と朱高燧がやって来た。 朱瞻基は慌てて涙を拭いたが、背を向けたまま拝礼することもできない。 父が横になっている姿を見た朱高煦と朱高燧は困惑し、外で待った方が良いか聞いた。 すると永楽帝は何事もなかったかのように身体を起こし、あと10日でオイラトを攻略できなければ楡木川まで撤退するという。 「太子爺がこれ以上、金は出せぬと申しておる…おとなしく帰ろう」 永楽帝は立ち上がって息子の元まで歩き、2人の肩に手を回した。 「…良い天気だ、共に馬で駆けよう」 驚いた朱瞻基だったが、叔父たちの手前、何も言わずに拝命した。 永楽帝は無理を承知で雪山を馬で駆けた。 息子と孫と高台に並び、眼下には美しい雲海が広がる。 すると朱高煦はあれが狼居胥(ロウキョショ)山だと教えた。 「現地ではハイルハンと呼ばれ、霍去病(カクキョヘイ)ゆかりの山です!」 「ならばそれ以外の山は?」 「遠すぎて行ったことがありません…」 永楽帝は思わず、短い人生ではかくも広大な地を見る暇もないと漏らした。 こうして永楽22年、朱棣(シュテイ)は第5次北伐の終結を宣布し、楡木川にて病に倒れてしまう。 楊士奇は楡木川へ駆けつけた。 永楽帝の目が覚めるのを待つ間、朱瞻基は父の病状が落ち着いていると聞いて安堵する。 ほぼ寝たきりの状態だが、安静にしていれば2年は生き長らえるとか。 楊士奇はともかく皇帝を早く北京で養生させる必要があると訴えた。 しかし永楽帝が頑に拒んでいる。 すると楊士奇は自分と一緒に来た備倭兵の大将が皇太子府の者だと話し、どんな命でも従うと言ってくれていると伝えた。 楊士奇は永楽帝の幕舎で謁見した。 永楽帝はもう65歳になったと話し、それでも目を覚ます度に20代の若造のように感じるとおどけて見せる。 共に年を取り、声を出して笑い合う2人、すると楊士奇は皇帝の労苦を子供たちに分け与えるべきだと進言した。 しかし永楽帝は都には戻れないという。 実は戻りたくても戻れないと分かっていたのだ。 すでに激しいめまいで歩くのもままならず、心臓は刺すように痛み、もはや自分の命は風前の灯火だという。 永楽帝は死期を悟り、楊士奇に大事を託すべく呼んだのだった。 楊士奇は皇太子がまだ2年は生きられると報告した。 今も皇太子は皇太孫嬪を通じて意思を示し、賢明な判断ができるという。 しかし政(マツリゴト)に関与した女子は死罪に処される運命、永楽帝はなぜ皇太子が若微を巻き込んだのか分からなかった。 「帰ったら太子に伝えよ、″宮正司を処刑しろ″と」 楊士奇は便宜上の措置だと訴えたが、永楽帝は退けた。 そもそも皇太子がそんな状態で即位すれば、必ずや惨劇を招くだろう。 永楽帝は国事を誤ることはできないと話し、朱高煦を即位させたいと言った。 そして皇太子一家に良き逃げ道を作るよう頼む。 「汚名を残したくない、″永楽帝は帝位を簒奪、子孫もその真似をして身内で殺しあった″と」 楊士奇は永楽帝の思いを酌み、朝廷が形だけ残っている南京に皇太子一家を移すよう進言した。 「聖旨をお書きください、それを百官に知らしめ、祖廟に祭り、漢王と趙王に誓わせるのです ″朱家の者同士で殺し合えば吊るし上げられ、死後も祖廟に入れぬ″と…」 「最も適切なやり方だ、奏状を書いてまいれ」 楊士奇は幕舎から下がることにしたが、どうしても諦めきれず、突然、平伏した。 永楽帝は楊士奇の願いが分かっていたが、もし孫に帝位を継がせれば2人の叔父に殺されてしまうという。 「私とて繰り返し考えたのだ…孫に勝算はない」 永楽帝は将来、朱瞻基に恨まれることになっても構わないと言った。 仕方なく楊士奇は拝命し、幕舎を後にしたが…。 つづく ※白竜魚服:″説苑正諫″より″白竜が天から下って魚になり泳いでいたところ、漁夫に目を射られた″という故事を引き、伍子胥が呉王の忍び歩きを諌めた→高貴な人が忍び歩きをして卑しい者のために災難に遭うことの例え お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.08.22 13:43:01
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