韓国のお葬式
先週の金曜日に義理の父が亡くなり、急遽土曜の朝の便で韓国へ向かい、昨日日本に戻ってきた。癌だった。3年前に癌と分かってからの闘病生活。あと半年もつかもたないかと医者から言われていたので、私達家族もある程度覚悟していたとはいえ、やはり身内が亡くなるのはつらい。9月中旬に韓国行きを予定していたのだが、義理の父に会う前に亡くなってしまったのが、私としても心残りだ。やっとのことで、土曜の飛行機のチケットをとり、羽田から金浦へ向かい、さらに国内線で浦項空港まで行く。浦項空港に着くと、夫から聞いていた病院の名をつげタクシーで向かった。病院に隣接している葬儀場で葬儀は行われた。(マンション住まいの人など、家での葬儀が難しい場合、病院に隣接されている葬儀場にて葬儀を執り行うことが増えているそうだ。)葬儀場の建物の中に入ると、8畳ほどの部屋がいくつも並んでいる。部屋に入るとなり、韓国の喪服(生成りの麻の韓服)に着替え、そして竹の棒を手に持ち祭壇の前に立ち、「アイゴー、アイゴー」と泣き声を出す。葬儀に駆けつけてくれる来客者の対応にとても忙しかった。韓国にいる夫とも久々に会ったのだが、そんなわけで最初はゆっくり話しをすることも出来なかった。韓国では삼일장といって、葬式は3日間続き、3日目の朝に出棺となるそうだ。(5日間葬儀が続く오일장というのもある。)まるで、日本でいうところのお通夜が3日間続いているような感じであった。私は、土曜の夜に浦項についたので、葬儀場では1晩寝泊りして過ごしただけだったが、私以外の家族や親戚はその前の日の金曜日から2晩泊まっていた。葬儀に来た人達は、礼拝をするのだが、韓国式の礼拝は、まず立って正面を向き、そのまま正座をしながら両手を組み、床につけ深々と頭を手の甲に近付ける。これを2回行い、最期に立って軽くお辞儀をする。その後に、横にいる喪主(상주)にまた同じように礼拝をするが、これは1回。喪主も同じく礼拝をし、訪れた人が喪主へお悔やみを言う。これらの儀礼がすんだ来客の人たちは、祭壇のある部屋とは別の休憩場に用意された食事と飲み物を飲み、語り合う。食事は葬儀場に頼んでおくのだが、来客者への配膳は親族が行う。ある意味、私たち家族より親戚のお嫁たちが葬儀場では忙しいともいえる。こうして食事をし、お酒を飲み語らいながら、帰宅する人もいれば、親族とともに夜を明かす人も。(夫の友人達もみんな来てくれ、その中の数人もその日寝泊りして、次の日火葬場と墓場までついてきてくれた。本当に感謝である。)そうして3日目の日曜の朝、儀礼を終えた後に私達は火葬場へ向かった。韓国では火葬はまだ少なく、とある統計だと、現在は20%ぐらいが火葬だという。伝統的な儒教では土葬であるが、義理父の希望で火葬となったわけだ。家族の間では、最後まで土葬にするか火葬にするかいろいろ話しあったようだが、結局は故人の希望をかなえることに。さて、火葬場から車で40分ほど移動して、義理父の故郷の慶州の山の中にある墓場へ向かう。(慶州公園墓地~경주공원묘원~というところです)韓国では、一般的に家門所有の山に墓地があるのが普通で、義理父の墓の近くに別の親族の墓もあった。雨が激しく振る中、テントを張り儀礼をした。ひととおりの儀礼が終わったあと、自宅へ戻った。既にお昼を過ぎていた。又、3日後にここへ来るとのことである。自宅に着いたとはいえ、祭壇の準備をしたり、親戚達が集まって軽い宴会を始めたので、その食事の用意と女性達は休む暇もない。家についてからも3日間は朝昼晩と祭壇へお供えをして、儀礼をした。3日目の火曜に又墓地へ向かい、最後の儀礼をして一連の葬儀は終わった。本当に慌しい日々だった。義理兄嫁が「こういうふうに葬儀が大変なのは、故人が亡くなって、家族が悲しい気持ちを葬儀の間は忘れる為にわざと忙しくしたのかもしれないね」と、ふと漏らした。本当にそうかもしれない。悲しいのと忙しいのと、いろんな思いで、精神的に疲れた。私は日本に住んでるお嫁として、義理父へしてあげれたことがどれだけあっただろうか。本当にもっと長生きしていてくださったらと思うとやりきれないが、これから残った家族で仲良く暮らしていくのが義理父へのいい供養になるとおもっている。こうして、約5日間ほど浦項(ポハン)で過ごした私はソウルへ向かい、本社へ出社。挨拶周りと、月末だったので少し仕事もしてきた。(簡単な打ち合わせ程度であったが…)帰国前の晩であったので、担当teamの社員たちとご飯を食べる。こうした配慮は、今年3月に駐在を終え本社に戻ったK部長の計らいである。本当にありがたい。今回、本社の社長の名前で献花が送られてもきた。葬儀場の玄関に本社の名前が書かれた献花を見たとき、韓国企業に勤務していてありがたいと思うのであった。人はけして一人で生きているのではない。そんなことを、今回の葬儀で再認識した。