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2001年12月01日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「寧波」観光(3)

 沈さんが中国の寺の建築様式について詳しく説明してくれた。まず弥勒菩薩がにこにこしていて、その後ろは韋駄天。四方に四天王がある。みんなろうそくか線香を焚いて、椅子に膝をつけて体を折っておじぎをしている。日本よりお参りの仕方が丁寧だった。次に本堂があり、前にはお釈迦様。その右は阿弥陀如来、左は薬師如来となる。お釈迦様の後ろは五百羅漢で中央に観音様がナマズの上に乗っている。それで地震が起きないのだそうだ。何となく納得してしまった。観音様の上後方には修行中の釈迦ががりがりに痩せた姿の像がある。五百羅漢の中で目立つのが右の足の長い羅漢様と左の手の長い羅漢様。それぞれ「海を渡れる」「月を取れる」という羅漢様でこの世は苦しいことが多いが実力によって苦しみを克服できるということを示しているのだそうだ。またこの寺の釈迦の涅槃像はちゃんと布団を掛けてあった。ガイドさんがこれは寝ているのではないのですよ。死んだときの釈迦を表しているのですとわざわざ教えてくれた。この仏像群は文化革命で壊され79年に復旧した。全て楠木に金粉を塗ってある。一般に公開されたのは85年からだ。従ってまだ、みやげ物屋さんも少なく、観光地として整備されていない素朴なお寺だった。

 中国の民族服を着た髭を生やしたおじいさんが何か一生懸命話しかけて赤い紙を渡そうとしている。沈さんの話では占いの一種で良い言葉が書いてあるのだそうだ。1元か2元か、その辺は値段は言わなくてお心まかせだそうだ。

 本堂から向かって右の方へ行くと鑑真和上の像があった。教科書で見たとおり目をつぶっているが金ぴかだった。三回目の渡日に失敗して四回目までこの寺にとどまっていたそうだ。また本堂の左側には元の時代に建てられた文化財に指定されている七重の塔もあった。

 そのあと寧波へ引き返し三江口へ行く。ここは曹洞宗開祖、道元が最初に上陸した地点で、そこから東へ延びる大河路は昔は運河だったそうだ。それにここにかかっている釣り橋は92年に出来たもので、それまでは船を並べて浮かべた浮橋だったそうだ。道元は中国への第一歩をここへ印し、その後対岸の宿舎で入国手続きのために二カ月滞在した後、天童寺へと大河路の運河を通って向かったという。道元以外にも日本から雪舟、栄西も天童寺を訪れていて、寧波は古くは遣隋使の時代から日本と関係のあった都市だとわかった。何やら寧波に大変親近感を覚えてきた。






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最終更新日  2001年12月01日 12時39分45秒
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