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テーマ:中国旅行(113)
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船は島と陸の間を進んでいく。岸壁から見たときには白いホテルと観音像以外何もなかったのに、島に近づくといろいろな建物が建っていた。「加快旅游産業発展,提高人民生活質量!」と書かれた赤い横断幕が掛かっている。日本語に訳すと「観光産業でみんなの生活を向上させよう!」と言うことなのだ。地方自治体の考えることは中国も日本も同じらしい。やれやれ・・・・
それにしても島蔭の湖面は鏡のように静かだ。漁師の夫婦が仕掛けていた網を上げている。乗っている船が、まるで丸太舟のような形をしているのが面白い。いったい何を獲っているのだろう? 【さんずいに耳】海に浮かぶ島と鏡のような湖面 tetywestの予想に反して、我々の乗った船はどんどん島の桟橋に近づいていき、舳先から桟橋に着岸した。たった5分の船旅だった。tetywestはもう少し乗っていたかったのだが、こうなったら降りるより仕方がない。 桟橋にはスーツケースやリュックを持った白人の団体が船を待っていた。陸から島に渡るのはtetywestたちが一番乗りだろうから、この団体は島のホテルに泊まっていたのだろう。 桟橋の階段を上がると、そこは遊園地の入り口のような改札口だった。傍らに入場券売り場がある。売り場の反対側には金文字で「南詔風情島」と彫られた大きな大理石の原石がある。昨夜、ヘッドライトに照らされて読んだ看板はこの島のことだったのか・・・hxyさんがみんなの入場券を買ってくれる間、大理石の前で再会を記念してwhさんと家内のツーショット、tetywestとのツーショットを撮る。 島の入り口でwhさんとの記念撮影 大理石の原石はまるで牛のホルスタインのような模様をしていた。「大理石」の名前の由来は、ここ「大理で採れる石」と言う意味なのだが、もちろんtetywestはこれほど大きな大理石を見たのは初めてだった。 では、なぜ「大理」なのだろう?これは帰国後に調べたのだが、7世紀に雲南の部族を統一して出来た「南詔国」は、738年に本拠地を大理に移した。その11代目の王の時の国号が「大礼国」だったのだそうだ。「礼」は「理」と同じ音だったので、「大治大理、富国興邦」という意味を込めて「大理」とした。その後、西暦937年に段思平という人が「大理国」を打ち建てて以来、ずっと国号とされている。 現代でこそ雲南省の省都は昆明だが、1253年(元の時代)に、フビライ汗の率いる12万のモンゴル軍が雲南に入り大理を攻め滅ぼすまでの500年以上の間、大理は雲南の中心だったのだ。 「南詔風情島」とは、日本ならさしづめ「飛鳥の風情を味わえる島」ということなのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年10月11日 00時29分06秒
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