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テーマ:アメリカ旅行記/生活記(903)
カテゴリ:旅行
2月17日(火)1976年
車を売ってからこっち、やることがないので毎晩読書をしている。それも「世界」とか「月刊エコノミスト」とか「朝日ジャーナル」のたぐいなので、若干時代は古くて去年のものなのだが、世界の流れ、特に韓国に対する認識というか、問題意識をかなり持つようになった。 しかし、人間というもの、知らない方がどれだけ不幸なのかということは一概には言えないような気がする。つまり、一番幸せに生きようとするなら、自分の直接かかわる範囲だけを見つめて暮らすのが一番いいんじゃないかなんて思ったりするのだけれど・・・ でも、人間には知識欲というのがあるから、やはり知ったときにはそれなりの満足感がある。つまり、この満足感を得るために知らずには居れないのかも知れない。 それにしても、こんなことが書けるようになったのも精神的なゆとりなんだろうな。最初の頃には夜はとても短く感じたものなのに、この頃は長すぎるという感じだもの・・・ 今日は昼から肥料の散布をやったりして、後2日になった。 もう昔のことはだいぶ忘れている。ここでの生活のテンポがいかに速いかということだろうね。その日に起こったことが後日に及ぼす影響はとても少ないのだ。もちろんこれはtetywestが日本人だからなので、アメリカ人にしてみればこんなのが当たり前なのだろう。異国での生活っていうのは、やはり言語、習慣、ものの考え方なんかで行き詰ってしまう。 「世界平和」なんて簡単に言うけど、「言語の壁」っていうのは厚いものだと実感している。これじゃ、「人類がひとつに・・・」なんて無理じゃないのかなって思う。 最後の2日間なんてあっという間に終わるだろうし、それから帰国までもあっという間だし、全て終わるんだ。 アメリカか・・・・・後になって思い出となってしまったら、どんなもんかな・・・・懐かしいものだろうな、やっぱり。 ここの生活も・・・・どれくらいtetywestの人生に影響を与えるのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月17日 17時57分35秒
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