私にとって輝いて見える人は、
きっと今の私にとり、必要な人たちだからだ。
リハビリの訓練施設で出会った遥かに年上の人。
まるで少女のように光って見える。
何故なのだろうって考えた。
今は確かに、ただの腕の動かない杖を持った老婦人だ。
彼女も倒れた訳だが、
焦りは無いと言うから不思議な気がした。
後から、
彼女は自分の生きかたを肯定しているからだと考え付いた。
一時は万葉集の「万」の言葉さえ忘れてしまったと言う。
今でも上の句を聴いても下の句が出てこないのだそうだ。
動けるようになり、初めて聞いた万葉集の朗読のステージに、
私だったらもっと上手に読めるのに!と感じたのだそうだ。
でも、それは一瞬だけだったと言う。
私もいつの日か、できるようになった時にやる。
今できることを精一杯やると考えてから、
焦らなくなったのだそうだ。
過去の生き方が在るから、今が在る。
私の事を待っていてくれる人も、
決して今の状態を見るだけで待っていてくれる訳じゃ無いと思い、
かえって嬉しくなった。
倒れても、
いつか生えてくる羽根を信じている私を、
待っていてくれる人がいる。
周りに支配される事では無く、
自分の感覚を信じて、
「楽しみながら力いっぱい生き抜くこと」
術中に嵌る。
忍術を使われたように囚われたら、相手の思う壺!
「明らかに見るのと諦めるのは違う。」
と、友達も言ってくれるのに・・・
解っているのに、何故かな?何故かな?
条件反射のように、焦ってしまう。
えへへ♪
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