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カテゴリ:たびたび旅に出てみれば(山旅含む☆)
これが、私たちが、ネイティブと時間を共に過ごした、キャンプの様子だ。 アースダンスのダンサーたちに見習い、 私たちも、そこに滞在中は、断食で過ごした。 おおよそ、一日半(2泊)。 食事をしないせいなのか、 なんだか、とっても、沢山の時間があったような気がする。 やることは、踊ることと、スエットロッジだけ。 後は、移動もないので、キャンプ地で、ゆるゆると過ごした。 キャンプ地には、大きな樹があり、 そして、広々とした広場もあった。 大きな樹の陰でくつろぐひとときは、 何にも代えがたい、平穏な、平和な一時だった。 写真で見ると、この木の大きさがわからないかもしれないけれど、 人間が小さく感じられる、素晴らしく大きな木なのだ。 時差のせいなのか、 断食のせいなのか、 着いて早々、睡眠時間も、食事時間も、めちゃくちゃ。 頭が、ぜんぜん働かない、集中力がでない、 しょっちゅう、物をどこに置いたかわからなくなってしまう。 つまり、 しょっちゅう、物を失くして、また、出てくる。 失くすだけでなく、きっと、また、見つかるところが、 なんだか、可笑しかった。 ある時は、私は、お気に入りの腕時計をどこに置いたのか、 失くしてしまった。 おおよそ、12時間ぐらいも経ってからだろうか、 そう言えば、顔を洗った、あの共同のキッチンに置き忘れた。 と、思い出し、その場所に行ってみると、 何事もなかったかのように、時計は置きっぱなしになっている。 こんなところで、フィンドホンを引き合いに出すのも、変だけれど、 その感じ、なんとな~~く、フィンドホンの感じに私の中では、似ている感じがするのだ。 その安全な感じとか、 旅先なのに、家に居るような感じとか。 風が語りかけてくる感じとか、 樹に守られている感じとか、 植物や動物、自然がいつもより、ずっと、なにか、語りかけてくる感じがある。 そんな中で、私が、メッセージのように受け取ったことは、 ただ自然や、樹や、パワースポット、聖地、があるのではなくて、 人が、そこに働きかける、 人間の役割みたいなものがあるということ。 人の意識、愛、思い、が、その場の波動を上げている。 ただ、セドナという土地があるだけでなく、 そこを聖地として、 大地を敬い、守ろうとするその意識が、 その場所を、特別な場所に創りあげていく。 フィンドホンの創始者の3人も、初期のころ、 土地に愛を鋤きこむように働くように、 ガイダンスを受けていた。 その土地が、もともと、特別であるのも、そうなのだろうが、 人が、そこに、働きかける、その役割も、大きいのではないかと思った。 だから、彼らの祈り、敬いを学んだなら、 私の日常の場を、サンクチュアリにするために、 私の生きている、その場所で、実践することが、大切なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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