382370 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Freepage List

Category

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

スポンタ

スポンタ

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Headline News

2007年03月14日
XML
【2ちゃんねる閉鎖騒動】

 2007年1月15日、ネット上の巨大掲示板である「2ちゃんねる」が、運営者・西村博之氏の債権未払いに関連する閉鎖騒動に巻き込まれた。
 これは、カテドラルの主(既得権者)たちが、バザールに集まった人たちに退去命令を出したと、形容することもできる。

 考えてみれば、カテドラルもバザールもメディア(媒体)の上で情報を交換してきた。だから、メディアの危機が訪れれば、その上にあるコンテンツも変質せざるを得ない。また、メディアが攻撃目標にされ、情報伝達が停止に追い込まれることも避けられない。

 だが、カテドラルやバザールがなければ、人と人は情報を伝達できないのだろうか。メディアがなければ人と人はコミュニケートできないのだろうか…。

 そんなことはない。
いつの時代も、人と人はコミュニケートしてきたし、それはメディアがあろうとなかろうと関係がない。
 それが、P2P(メディアを介さない情報伝達方式)の時代である。


東財論_f06.gif



 メディアの構築には対価がかかるため、その対価を支払った個が権力を持つ。権力を持った個はそのまま発信者となり、言論を欲しいままにする。それが、グーテンベルグの発明以来世界中で繰り広げられてきた伝統だ。
 だが、インターネットの登場により、メディアの構築費用は限りなくゼロに近づいた。
 結果、いままで対価を支払うことで強権を得ていた発信者の合理性が希薄になる。これまでメディアを持つ余裕のなかった人たちが発信権を持つことにより、いままでメディアを牛耳ってきた強権者たちの歪んだ言論が糾弾されることが日常になった。

 2006年。ブログが普及し巨大掲示板が一般的になった。
そのトピックスは、有名人ブログの炎上や、既存マスコミが、批判という文脈ながらも、インターネット言論を引用しはじめたことだ。
 インターネット言論の社会的注目度は限りなく盛り上がり、堪りかねた強権者たちは、一致団結して、言論封鎖をしかける。
そして、2007年。正月早々に2ちゃんねるの閉鎖騒動が起きるのである。

 悪名高い2ちゃんねる。それが世の中から失われて喜びの声を上げる人たちも多い。だが、この稀有なスケールを持つメディアが、多様な言論を許容してきた役割は大きいし、その価値は高い。
 この言論のサンクチュアリ(聖域)が、管理人である西村博之氏が訴訟の一切を発言者に代わって引き受けることで成立していたことは重要である。
 私は、「2ちゃんねるは、管理人の西村氏が訴訟のバッファ(緩衝材・調整槽)となることで、かろうじて成立している」と指摘してきたが、今回の閉鎖騒動がどう展開していくにしても、管理人・西村氏がゲートやフィルターではなくバッファでしかなかったことが理解できる。


東財論_f07.gif



論外追記:

黒崎氏が指摘するように、ブログスフィアも実は、ブログスペース運営会社のビジネスの上に乗っかっているバイラルなものであることは、言うまでもない。

だから、2ちゃんねると同様に、ブログ上に公序良俗に関わる言論が提示されれば、公権力の介入は避けられない。

事実、イザというブログスフィアにおいて、運営者からブログ者への削除依頼があった…。

ブログスフィアは自由な言論空間ではない。



昨週末、私はトリル氏と公権力の窓口を訪れたのだが、公権力の側もそれ以外の手段を想定していないようである。(私はトリル氏の行動に同意したのではなく、純粋コメント者トリル氏が抱える問題を体現したかったのである…。)

彼とは初対面であったが、素直な印象を述べれば、私と同じ、非エスタブリッシュの側にいるようだ。彼には思いがあり、理想があるが、エスタブリッシュへの恨みはない。そういう清清しい人物…。

窓口の担当者に思いを語るトリル氏は苦戦していた。
私は、その窓口の担当者にすぎぬ人に、RSSリーダーというものが広がっており、メディアを通じたコミュニケーションではないから、被害の実態が分かりにくい状況になっていることを指摘した。

ま、P2Pのコミュニケーションなどと突然言われたとしても、私よりも年長である非ネット者にはなかなか理解できなかったことだろう。

今回は、まだ、公権力が介入するレベルに達していないし、トリル氏も善意の第三者でしかない。



私は、公権力が介入することによって、世の中が窮屈になっていくことを指摘したが、窓口担当者もうなづいてくれた。

問題を当事者同士が解決できなければ、民間のインテグレータが解決を模索する。そうしてはじめてオーソライズ機能とでもいうように公権力が介入にいたるべき。

しかし、現状は、当事者同士も解決のための労をとらない。インテグレータも存在しない。
結果、当事者にすべての原因があるにも関わらず、法の不備や公権力のふがいなさに不満をぶつける。

そのようにして、窮屈な日本ができあがっていく…。



語らぬことで自己主張ができぬ純粋コメント者トリル氏は、多くの気づきをこれからも私に与えてくれるだろう。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007年03月14日 09時43分57秒
[「メディアの時代からP2Pの時代へ」] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X